「帰ろう」 この世界に在ることと、手放すことと。
土曜日の夜、一緒に飲んでいたカオルちゃんが唐突に「風くんいいのよ」と教えてくれた、藤井風くん。
https://www.youtube.com/watch?v=goU1Ei8I8uk
先月沖縄を車で走っていた時に一緒だったマユさんも「風くん聴こうっと」と流していたのだけど、受け取るべきメッセージを私がちゃんと受け止められなかったから、きっとカオルちゃんがもう一度教えてくれたんだと思う。
私にはちっちゃな子供の時から、ふたつの大きな、ふしぎな感覚がある。
とっても幸せな感覚と、何をしても無駄という虚無感。
田舎育ち、ひとりっこだったから、遊ぶ相手がいない時はただただ自然を相手に遊んでいた。
家の周りを囲む稲が風に揺らいでいる風景や、きらきらと輝く田んぼの中を泳ぐおたまじゃくしの姿や、冬の太陽の光につららが一滴一滴溶けていく様を、ただただ眺めている。
それだけのことが最高に幸せな遊びだった。
陽の光に自分を溶かした感覚でいる時、空を見上げて雲から落ちる雨に自分を重ねている時、飛んでいる鳥に自分を同調させている時、風を全細胞で感じている時、理由も原因もなく自分の内側から幸福感が湧き上がってきて、もうそこに在るだけで幸せというか、自分自身が幸福感そのものになっている感覚。
でも同時に時たま襲ってくるのが、「何をしても無駄」という大きな虚無感。
生きている間に何をしても何を築いても、それはいつか廃墟が風に吹かれて跡形もなくなくなってしまうように、何をしても無駄、そんな感覚。
この感覚と一緒に、自分も風に吹かれて散り散りになって、跡形もなく消えてしまうような。
ずっとぼんやり抱えてきた質問、じゃあなんで、ここにいるんでしょうね?
5月のあるいいお天気の日、この感覚を同時に感じる瞬間があって、どっちもある、なんかもうどっちでもいいやって、ちょっと突き抜けた瞬間があった。
あるし、ないし、どっちでもいいの。
「帰ろう」を聴いていると、あの日とおんなじ感覚になる。
いつかこんな気持ちでこの世界を後にする時が来る。
でもそれまでは、感じて触れて味わって、遊び尽くして、この世界にいたいとも思う。
だって今日も、こんなに世界は美しいから。