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「大好き」と「オタク」の境界線

「オタクになってるんじゃないの?」

自分がRAB(リアルアキバボーイズ)について熱く語った後に飛び出してきた親友からの一言だ。

これにショックを感じた訳じゃ無い。ただ、「大好き」が「オタク」になるなんて、もっと若い世代のことかと思っていた。だから、後半戦を生きるシニアの自分でも、その枠に入るのかと思うと、ちょっと不思議な気分になった。

RAB

今年7月に動画投稿サイトで、YOASOBIの楽曲「夜に駆ける」の「踊ってみた」を検索し、数ある動画の中から、夜の秋葉原で踊ってみた、という動画を選択し、そこで初めてRABを知った。

それは、男性だけで踊るブレイクダンスの動画だった。その高いダンス技術で、曲と歌詞の内容を見事に構成する表現力に驚きを感じた。

またこの動画をきっかけに、さまざまな企画を通じて、彼らの経歴や得意技、好きなアニメキャラなどを知り、自称アニメオタクとしての在り方をブレイクダンスと融合させている斬新なスタイルに、単なる好きを超えて憧れすら感じた。

行動の変化

その興味が高まるにつれ、自分の行動も変わり始めた。女性ファンが多くて行きにくいライブは避けたが、代わりに有料配信を購入した。さらには、勇気を振り絞って短いゲスト出演を見に行った。また、noteを始めて、彼らの動画の紹介記事を書いた。記事へのスキは少なかったが、あると嬉しかった。

自分を振り返ってみると、「大好き」なだけの行動をしていたのに、それが「オタクになってるんじゃないの?」という発言につながったようだ。
だが、自分に「大好き」から「オタク」に至る境界線を越えたという実感はない。

これを客観的に判断する方法やモデルはないのだろうか。この問いを、もっと深堀りしてみたくなった。

「大好き」から「オタク」への移行モデル

「大好き」とは興味や注目、強い好意を対象に集めている状態だ。
一方、「オタク」とは、その対象に好意を集中させ、時間、費用といったリソースを可能な限り全力で投入する状態とされている。

「大好き」と「オタク」の境界を明確にするためには、わかりやすい例が欠かせない。社会一般によく見られる例に、親が子どもの「社会的成功」を目的として、時間と費用を「熱心」に投入し、それが過度になると「献身」と形容されるケースがある。

この「熱心」から「献身」へ至る様子は、「大好き」から「オタク」への移行過程にかなり近い。

問題は、「大好き」や「オタク」のリソース投入が、親の「熱心」や「献身」と同じく、対象の「社会的成功」を目指して行われている、と言えるかどうかだ。

以前は個人的趣味の充足がその主な目的だったと思うが、「大好き」や「オタク」を含む推しの文化は、時代と共に変わってきている。現代ではSNSや動画投稿サイト、同人イベントなどを通じて、対象の社会的評価や価値を高める活動が大きく増えているのだ。

とすれば、「大好き」や「オタク」のリソース投入も、対象の「社会的成功」を目的としていると見なせることになる。

これにより、「大好き」から始まるリソース投入の目的が対象の社会的成功であれば、その投入量が過度になった時に「オタク」の境界線を越える、というモデルを作成することが出来た。

これを用いれば、「大好き」が「オタク」のレベルに達しているかどうかを判断する目安になるだろう。

モデルの自己適用

RABへの自分のリソース投入量と目的について、このモデルを適用し、「大好き」が「オタク」に達しているかどうかを考察してみた。

投入量の時間面に関して、以前は異世界系マンガに多くの時間を使っていた。今は、RABのコラボや過去の動画のザッピング、noteでの解説記事作成と、かなり注力しており、踊る気持ちを理解したくて経験ゼロでストリートダンスの基礎講座も受けたりした。

一方、費用面ではまだ控えめで、主に有料動画と会員登録に留まっており、グッズ購入などはしていない。

最初にRABに惹かれたのは、ブレイクダンスとアニソンという斬新な組み合わせだった。その個性だけでなく、彼らが16年間で経験した成功と失敗、それでもなお活動を続けてきた姿に感動した。そして、彼らが目指している武道館ソロライブと自らのアニメ化という大きな夢を知ったとき、ただ楽しむだけではなく応援したいと強く感じた。

これらを総合的にみると、リソース投入の目的と時間面の量はモデルの条件を満たしているように思えるが、費用面での達成はまだ遠そうだ。

親友に「オタク」と言われて、それが自分のことではないような不思議な気分になったけれど、現時点ではオタクの境界線を越えていないようだ。

オタクの境界線を超えるか?

まだオタクの境界線には達していないとしながらも、RABが私にとってエンターテイメント以上の存在になっているのは確かだ。

今後は、従来の動画探索に加えて、マンガ原作大賞に応募するなどの時間面でのさらなるリソース投入を考えている。また、大規模なライブにも参加し、そこでのグッズ購入、さらなる配信の購入など、費用面を多角的に積み重ねていくのも楽しそうだ。

動画のクリックから始まった選択が、日常の過ごし方、時間やお金の使い方を変えた。そして、その変化を楽しむ自分がいる。この新しい「楽しみ」は、ただの興味や好きを遥かに超え、生活そのものにまで影響を与えている。

そう気づいた瞬間、「オタクになってるんじゃないの?」と言われたことにショックを感じなかった理由がわかった。

「大好き」が「オタク」の境界線を突破する日は、そう遠くはないようだ。

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