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【生える努力】1/25の短篇

草花は、時に雑草のようなものは、勝手に生えると思われがちだ。
私は雑草協会会長。
この界隈の雑草の組合を取り仕切っている。
雑草には雑草の美学がある。
もちろん勝手に生えるなんてことはない。

皆さんにはおわかりいただけるだろうか?
雑草に生まれた者たちの不遇な境遇を。
すぐ近くに生えている花なんかは、時々見ず知らずの人が写真を撮ったり、きれいね〜なんて話しかけられて上機嫌だ。
しかしそんな扱いを受けたことは、生まれてこの方一度もない。
その花の写真の隅に添え物のように写ることはあっても主役にはなれない。
ましてや、きれいなんて言われるはずもない。
だから我々は、他人の評価など一切アテにせず、ひたすら生える努力をする。

我々にとって「生きるとはなにか」みたいな問は邪魔だ。
そんなことを少しでも考えようものなら「他のきれいな草花の養分まで摂取してこの有様なら、いっそ枯れたほうがいいのでは」などと悲観的になるのがオチだ。
だから余計なことを考えずひたすら生える努力をするのみ。
そんなふうに、誰かの何かの役に立っているなんて思うことは一切なく、淡々と生きている。

だがしかし、人間界ではこんな我々に注目して教訓にしてくれる人もいるという。
かつて「雑草魂」というキャッチフレーズを浸透させた野球選手がいたというのは、今でも我々の組合の中で、伝説として語り継がれている。
雑草にスポットライトが当たることはめったにない。
だからどんなことでも嬉しい。
例え嫌われようが踏まれようが、我々にできるのは結局「生える努力」だけなのだから。