魂の勇者とコンフォートゾーンの話
こんにちは、MAIです。近所のモールでTim HortonsのLondon Fogとバターをextraで追加したクロワッサンの朝ご飯を食べながら書いています。
この私の大好きな朝食、日本では再現できないのが悲しい。きっと、帰国したら、こうしたバンクーバーでの日常が恋しくなることが、帰る前から分かって切なくなります。
それでも来年2024年の8月末に、日本に帰国しようと思います(まだ未確定ではありますが……)。カナダ永住権を取りたい気持ちは変わらないので、いつか、またカナダに戻ってくる前提で。
帰国しようと思った理由
2022年8月にバンクーバーに来て、私は年齢や(母親など)期待される役割や、こうしなきゃというプレッシャーから解放されて、息子と協力しながら困難を乗り越えて、深く呼吸をしながら、自分らしく、好きな自分でいられる日々を実感しています。バンクーバーの多様な文化と価値観を受け入れる、受容力の高い環境は、いろいろな社会的なプレッシャーを感じて生きてきた日本人女性である私が暮らす場所として、率直に言って、とても心地よい。
それでも今、この1年以上かけて築いてきた心地よい環境を離れて、新たなチャレンジをしようと思っています。せっかく念願の快適な生活を手に入れたのに!
日本に帰って生活するのは、とても気が重い。20年近く東京に住んできても、未だに満員電車や人混みは苦手だし、終始耳に入る電車やバスの大きな音のアナウンスも苦手。子どもたちに固定的な価値観を提示する美容整形の広告や、不安を過度に煽る広告が生活の中で目に入ってくるのも気が重い。
でも、これらの課題から目を背けて、距離を置いて、自分だけ快適な環境に身を置くのは、居心地が悪い。そんな自分は好きでないことに気づきました。そして、日本が抱えるいろんな社会課題の解決に直接関わりたい、そう感じて、大学院を修了する来年夏に帰国しようと思いました。(ちなみに娘にそれを伝えたら、なんか政治家みたいだね、と言われましたw)
私がこれまで戦ってきたもの
私はこれまでも「こんなのおかしい、日本社会を変えたい」と思って、自分の体を実験台に、日本で20年近く働いてきました。キャリアも子育ても諦めずに、女性が幸せを感じて生きられる社会が、あるべき姿だと思っていたから。
これまでやってきたこと↓
2000年代半ばに、24歳でアメリカ留学から帰国して就職した際には、当時の日本社会と価値観が違いすぎて、戸惑いました。先輩に「帰国子女」ってからかわれたくらいに(ちなみに、留学していただけで、帰国子女ではありません)。夜8時に自分が企画した記事の大幅修正を指示されて、ダメ出しされているときに、「あの……私が主催の会(合コン)があって、どうしても行かないといけないんですが……」と言って、めちゃくちゃ叱られたこともあります。それくらい、当時の日本の常識と自分の価値観はずれていました。
そして早く生まれすぎたZ世代、と自分のことを思っていましたw 20年ぐらい生まれる時期を間違えたと。ちょうど北米と日本の価値観の差って、20年くらいある気がするので、価値観が形成される大学生時代に、男女平等を意識的に推進していたアメリカにいたことが、20年経った今でも埋まらない、日本での生きづらさに繋がったのかもしれません。
20代の頃、尊敬する女性上司が、とても優秀であるにも関わらず、残業をしながらワンオペでの乳幼児育児を余儀なくされ、結果、外資系企業に転職してしまいました。こんな能力の高い女性が、全力でパフォーマンスを出せず苦しむ社会はおかしいと、そのときから憤りを感じていました。
そして、2009年に長女、2012年に長男を出産した後は、自分がその苦しみを体感しました。正直、キャリアと子育ての両立は、当時めちゃくちゃ大変で、3ヶ月に1回、泊まりがけで三重の母に東京に来てもらわないと回せないほどでした。
そのときも「ええー、なんかおかしくない??もう2010年代ですよ!昭和じゃないですよ!」と思いながら、普通の人だったらこれ、無理ゲーだよな、と心の中で自虐的になりながら、乗り越えました。保育園のお迎えに急いでいて駆け込み乗車したら、足がドアに挟まって、靴が片方ホームに落ちたことも。それでも、お迎えの時間が迫っていたから、駅から保育園まで片足裸足で歩いていきました。
毎日が忙しすぎて、しょっちゅう転んで怪我をしていて、下の子を抱っこ紐で抱えて、上の子の手を繋いで急いで保育園に向かっていたら、前が見えずにつまづいて転んで、両膝血だらけになり、ストッキングも破れたまま、出社したこともありました(チームメイトに驚かれましたw)。
浅くしか呼吸ができなかった日々。足元を見て、一日一日を必死で生きていたあのとき。
あの頃の敵は、日本社会だったかもしれない。「保育園落ちた、日本死ね」と言った方の怒りは自分事として感じていました。こうした理不尽に負けたくなくて、キャリアも子育ても諦めないことで、後輩に道を開いて、自分の生き方で世の中を少しずつ変えていきたいと、本気で思っていました。
そして、とても疲れていました。私より後に出産した同僚にも、ママのロールモデルがこんなに頑張りすぎてると、プレッシャーだわw、と言われました。
今思えば、そこまで無理して頑張らなくてもよかったかもしれない。だから、小さい子どもを抱えるお母さん達には、声を大にして言いたい。
「諦めなければ、キャリアは積み上げていけるから、焦らず、長期的な視点で考えて、子育てとの両立でしんどいときは無理せず、自分をもっと大事にしてほしい。そして周りに助けを求めてほしい」と。お母さんが元気で幸せでいることが、子どもにとってもいちばん幸せな状態だから。
離れて見えてきた日本の強み
そして、子どもも中学生と小学校高学年になり、子育てに余裕ができてきたタイミングで、MBA留学を決めました。大学院での学びも楽しく、バンクーバーは、これまで訪れたことがありませんでしたが、とても大好きな場所になりました。
ここで出会った人たちは、自分の大切にしていること、幸せに感じる生き方に向き合っていて、「社会的なプレッシャーで役割を全うしている」のではなく「自分で決めて主体的に生きている」方が多いように感じました。移民が多いこともその一因かもしれません。自分で決めて、祖国を離れて移民してきているのですから、彼ら彼女らはとても勇気があります。
また、離れたところから日本を見ると、いい部分もたくさん見えてきました。まず、日本は食のクオリティが高く、とても美味しい。細部にもこだわる品質の高さは、世界一なのではないかと思います。文化や芸術についても同様で、日本人の細やかさと思いやり、こだわりと集中力が、世界にも誇れる文化を生み出していると感じました。
そして、世界各地で紛争が起き、武力による衝突が後を絶たない世界において、唯一の被爆国として、かつては敵対した国の価値観を受け入れながら経済成長を遂げた日本だからこそ、世界の平和に向けて果たせる役割があるのではないかとも思います。
こうした強みは、今後日本の国際競争力を高めていくためにも、強い武器になるはず。こうした日本の素晴らしい価値と、日本だから果たせる役割を世界に届けていくアクションにも、これから関わりたいと思っています。
自分を振り返ることで見えてきた使命感
とはいえ、居心地の良い環境を離れて、新しいチャレンジを始めるのは勇気がいります。漠然とした不安を抱えていたときに受けた、コーチングのセッションで、信頼するコーチにかけていただいた言葉が、私を勇気づけてくれました。
それは「魂の勇者」という言葉です。
「自分の心地よい快適な環境を捨てて、日本が抱えるさまざまな課題解決のために帰国したい、できるのにやらない選択をしたら後悔すると思う。でも、なんでわざわざ大変な方をいつも選ぶのかなと感じる」という私に、心に残る言葉をかけてくれました。
「MAIさんは自分のことだけではなくて、世の中を良くしたいと言うモチベーションでこれまでも動いてきたし、こういう使命感で動ける人を『魂の勇者』っていうんですよ」。
魂の勇者、かっこいい!なんか、ゲームのヒーローみたい!
どんな人のことを言うのかと思い、調べてみました。
「勇気を持って、その現状に波を立てる。向き合い続ける、それが大事」
なるほどと思いました。自分の弱い部分が、そんなの放っておいて、自分の幸せにフォーカスすればいいのに、と囁くのですが、それでも、見て見ぬふりをしている自分は好きじゃないことに気づきました。
自分のことを好きでいるためにも、「魂の勇者」でいられるように、勇気を出してコンフォートゾーンから抜け出して、前に進もうと思います。
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