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不寛容な社会で自分ができること

今週、トランプ大統領の就任演説とワシントン大聖堂での主教の語りかけの動画を息子と一緒にみた。

ワシントン大聖堂で主教がトランプ大統領に対し、マイノリティや移民への温かい慈悲の心を求めた。それに対し不快感を示し、謝罪を求めた大統領と、YouTube動画のコメント欄に並ぶ日本語での不寛容な言葉に、息子はすごくショックを受けていた。

12歳の子どもにとって、穏やかな口調で優しく語りかける主教の言葉は、疑う余地もない、誰にとっても違和感のない言葉だったから。

それに対して、たくさんの批判が出る世界に、慄(おのの)いていた。

カナダの小学校で息子は、先住民や移民、LGBTQなどマイノリティに対する理解を深める教育を受けていて、いろんな違いを持つ人が、それぞれを尊重して生きることは彼にとって当たり前のことだった。

もちろんカナダでも今、増えすぎた移民に対する締め付け強化など、政策は保守に傾きつつあるけれど、少なくとも周囲のバンクーバーの人々は、そこまで不寛容ではない。

「おれは日本でやっていけるんだろうか」

息子が心配するので、SNSなどでは、極端な主張や言葉が使われることが多いけど、多くの人がそんな過激な意見を持っている訳ではないので、SNSの言葉に惑わされないようにと伝えた。

それと同時に、多くの人がトランプ大統領を支持する社会について、想像してみた。

私も息子も、自分をまず大切にして、そして周りの人も大切にしていきたいと思っている。それはもしかして、住む場所や食べものに困らない、恵まれた人の理想論なのかもしれない。

多くのアメリカの人達が、住宅費や生活費の高騰で、将来が見えない生活をしている。以前の中間層のような楽観を未来に持てない。そんなときに「周囲のさまざまな事情を抱えた人にも思いやりを持ちましょう」と言われても、反発しか抱けないのかもしれない。

理想論に終始して、足元の暮らしを良くしてくれない民主党から人々が離れて、ビジネスのプロフェッショナルであるトランプ氏を選んだアメリカの民意。

51番目の州にならないかとアメリカに言われ、関税25%を示されて渋い顔をするカナダ。カナダも多くの課題を抱え、リベラルな価値観が揺さぶられつつある。

社会保障費や生活費は増えるのに所得が増えず、円安も相まって相対的に貧しくなった日本。

どこの国に住むか選べるというのはとても恵まれたことだ。日本に生まれたからこそ、比較的自由に選べる。

自分で選択して、行動することは大変だし、勇気と労力を伴う。でも、選べる、行動に移せる、という、そのことだけでも、とても恵まれたことなのかもしれない。

置かれた環境によっては、自分で選べない人、行動できない人もいる。そのことを自己責任で済ませたくないけれど、どこまで社会で支えていくか。

その寛容さは、器自体に余裕があるときは大きくなるが、余裕がなくなると不寛容になる。寛容でいられるのは、豊かだから?

外国に住んでいろんな煩雑な手続きに対応し、日々仕事と自分と子ども達のことで忙しくて余裕がなくなると、周囲の大切な人や、その一歩先の社会のことまで思考が回らなくなる。

器をもう少し大きくできるように、せめて、自分の中だけでも、物事の捉え方をもう少し寛容にしていきたい。なかなかうまくできないけれど。


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