学んだ知識でコンテンツがさらに深く楽しめるようになる(『鋼の錬金術師』と『世界は贈与でできている』について)
独学で少し知識が身についてくると、今まで見えていた物語を違った角度から見えることがあります。
それはとても楽しいものです。
今回は『世界は贈与でできている』を読んだら、『鋼の錬金術師』がもっと楽しめたお話をしようと思います。
完全なネタバレがありますので、『鋼の錬金術師』を読んでない方はぜひ、いますぐ、こんな記事よりも先に読むのをおすすめします。
さぁ読みましょう。
読み終わりましたか?
読み終わりましたね?
さて『鋼の錬金術師』の中で出てくる錬金術、その基本法則が「等価交換の法則」です。
無から有を生み出すことはできない。一のものからは一しか生み出せない、という法則ですね。
この「等価交換」は折に触れ作中で語られ、作品の軸となります。
そして作中に流れるもう一つの軸が「全は一、一は全」です。
自然界での流れを見ると分かりやすいですね。植物は草食動物に、草食動物は肉食動物に、そして生き物はやがてバクテリアによって土にかえり、その土から草木が芽生えます。
こうした世界全体の流れが「全は一、一は全」と作中では表現されます。
この二つの軸ですが、実は「全は一、一は全」は等価交換ではありません。
肉食動物が草食動物と直接なにか交換しているかというと、別にしていないのです。
「等価交換」というよりも「贈与」なのです。
ここで『世界は贈与でできている』とつながります。
実はこの『鋼の錬金術師』は資本主義の原理である「交換」だけの視野から抜け出し、「贈与」を見つけるというお話でもあります。
『世界は贈与でできている』と同じものが根底に流れているのです。
ちなみに贈与の一つの形が「背中を見せる」ことだとほかの記事で書きましたが、背中を見せる、後世に託す、そんなかっこいい大人が多いのも『鋼の錬金術師』の魅力です。
(関連記事:子どものためにも「親の心子知らず」であるべき理由とその実践法)
この「背中を見せる」ことを作者はうまく作品に落とし込んでいると感じるのですが、それは作者の荒川弘さんが農業や酪農が家業である家に生まれたということも大きいのではないかと考えています。
背中を見せる、後世に託す方法のひとつが「食べられる」ことだからです。
食べ物を食べるというのは、ある意味では託された、贈与されたとも受け取れます。
荒川弘さんは、そんな受け取った実感を日々感じていたのではないでしょうか。
さて、この物語は「交換」から抜け出し、「贈与」を見つけるというお話と書きました。
しかし、錬金術師である主人公たちは「等価交換の法則」に縛られます。実際に錬金術を動かしている法則だからです。
自分の常識となっているもの、その土台を覆すことは簡単にはできません。
だからこそ最後の最後、主人公であるエドワード・エルリックが錬成の引き換えにするものが「真理の扉」なのです。
真理の扉がなければ錬金術は使えません、つまり「等価交換の法則」の源ともいえるようなものを材料にし、自身は錬金術師ではなくなります。
こうして等価交換の法則から抜け出し、物語は大団円を迎えます。
交換から贈与へ。
だからこそ最後に主人公の兄弟が検証するのが「10を受け取ったら11にして誰かに返す」という法則です。まさしく贈与ですね。
ちなみにこの10を受け取ったかどうかは、受け取り手が決めるべきでしょう。
送り手が決めると、「10送ったんだから11返せよ」みたいなトイチ違法金融になります。(作者のオマケ4コマでもありましたね)
そして錬金術の世界から抜け出た後はさらに広い世界が待っています。
しかし「交換」を捨てたわけではありません。だから弟のアルフォンスは錬金術師のままです。
片方を否定するのではなく、両方を携えてさらに幅広い領域へ。
だから最後兄弟は旅に出るのです。
独学も似たようなものでしょう。
今ある「真理」を蹴っ飛ばして、旅に出るのです。
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●関連書籍
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『死を食べる』 「死とは食べること」を表現した子供向け本
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