フランス滞在許可証をめぐって

今回のフランス滞在中、いきさつは省くが滞在許可申請をしている。
随分前、それこそ20年とか前にパリに住んでた頃にやって以来、久方ぶりにリヨンでやっているから、時代も場所も違い、その体験が私に多くのことを想わせるので書き留めておこうと思う。

フランスに長期住もうとすると滞在許可証Carte Sejourなるものを取得せねばならない。
フランスに「住む」ためにはフランス語を話すことが義務の一つとなる。その文化に融け入っていくためには言語は必要不可欠だ。だから滞在許可証を申請する際にフランス語のテストがある。日常会話レベルに達するまでの講座(通学)は無料(=フランス国民の税金で賄われる)。ありがたいことに私はすでに20年以上もフランスにお世話になっていて、すでにそのレベルには達していたのでフランス語講座は免除となった。

そしてフランス共和国への融合を約束する契約書にサインをする。
フランスが私たちを融合するために「権利」をくれ、同時に「義務」を課す、その事実を確認しあう契約。
その結果「フランスで生きる」にあたって最低限度の知識を得るための講座が4日間にもわたって開催される。私はそれを今回受けなおしている最中である。
それはフランス人がどういう歴史を経て、「現在のフランス」を作り上げてきたのか、そこにはどのような信念があり、権利があり、義務があるのかを、駆け足ではあるが、ぎゅうぎゅう詰めにして情報を渡してくださる。

第一回目のクラス。リヨンのとある部屋に18人もの人々が集められていた。老若男女集まっている中、そのうち半数強がシリア人だった。今もなお続く内戦によって難民として来ていらっしゃる方々だろうか。一番お年を召した方は見たところ70歳を超えていて、その年齢で自国を離れて言葉のわからない国に行かざるを得ない状況を想うと、心が締め付けられる。残りはセネガルやコートジボワールなどアフリカのフランス植民地領からの方々で、いくらかフランス語ができた。極東アジアの黄色人種は私一人だった。さらに、いわゆるG7に入っているような「先進国」から来ているのも私一人だった。フランスに来ることを余儀なくされた人々と、好きで来ている私との間にはあまりもの大きな違いを感じる。

講師はフランス語で講座を進める。その日は二人の同時通訳者がいて、必要な人はヘッドセットを渡され、講座を理解可能な言語で聞け、いつでも質問できる。アラブ語とジョージア語だった。

国の中核となる「自由・平等・博愛」の精神を基にどんな法やシステムができているのか?
「自由」の項目を話していた時に、「自分の身体について自由に決定できる」権利があると説明された。講師はもちろんプロなので、多くの国々ではそうではないことを知っている。来ていた人々の女性は私以外全員ヒジャブをかぶっていた。
「フランスでは15歳から女子は性行為に関して同意できる自由があり(それ以前は強姦とみなされる)、中絶は男性の意志によらず、女性の意志のみで決めることができる」という話を強調した時は、考えられないといわんばかりのざわめきが起こった。講師は「あなた方があなたの国でどうであっても、それは私の問題とするところではありません。しかし、フランスではこうです。」ときっぱりいった。「あなた方が心の中でどういう考えを持とうと、そこには思想の自由がありますが、それを発言した時点で罪を問われる事々があります。心してください」

「住居」についてのトピックのところでは、一番不安定な状況から一番安定している状況まで様々なケースが紹介され、一番不安定な状況としてSquat(空き家に入り込んで住む)これは違法であり、2番目に緊急の収容所(ホームレスの人たちが電話して一晩簡易ベッドを提供される)は無料で提供されていると説明があった。聴講者の一人が「収容所なんかいつもいっぱいだ」と言った。リヨンの街中にも驚くほどのホームレスの方々(子供を含む)がテントで暮らしているのを目にするが、ここでも当然のように賃貸マンションを借りてぬくぬくと暮らしている自分との間に、気の遠くなるような隔たりを感じる。フランスは、その講座は、Squatが違法であることから説明をしなければならない地平にある事に目を向けなければならない。
数えきれないエピソードがあるから、このくらいにして…

日本で安定した暮らしをしていると、どうしてもその中での物差しで物事を測り、頭を悩ませてしまう。あと1キロ痩せたいとか、貯金足りるかな…とか。しかし、人の問題意識はあくまでも主観的なものであって、彼らと比べて私たちは幸せなもんだとか、日本人は平和ボケしてるとか、そんな短絡的なことを言うつもりはない。
ただ外を見てみると、自分の抱えてる問題が些末なことであったと思えることは多々ある。

「多様性」が叫ばれる世の中であるが、ほとんど対極と思われるような文化を世界はすべて包含しているのを目の前にして、その中での相互理解、平和は全く容易なことではないとわかる。

自分が世界のためにできることはなんだろう?何をすれば「良い」のだろう?
そう思っても、何もできない自分に腹立たしくなっていた時期もあったが、年を経れば経るほど、そういった焦燥感は減ってきた。自分の人生をしっかりと生きるしかないのである。喜びも悲しみも深く感じ入って、自然とも人とも自分とも対話を重ねて、深く「内」に向かうことは、遠くの「外」に通じていると信じて。
私のこのしたためも、シリアの誰かに通じているはず

最後に二つの言葉と私の個人的な訳を載せておく

We are all leaves of one tree.
We are all waves of one sea.
-Thich Nhat Hanh
私たちは皆 一本の木に芽吹く葉
私たちは皆 一つの海に打つ波
ティクナットハン

Il n'y a pas d'âge pour réapprendre à vivre.
On ne fait que ça toute sa vie.
-Françoise SAGAN
生きることを学びなおすのに年齢なんて関係ないわ
どうせ私たちは一生の間それしかやってないんだもの
フランソワーズ サガン

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