リバース・エッジ
「リバース・エッジ」を観た。
ハードボイルドな、でもふわふわした映画。
小沢健二の「アルペジオ」がエンドロールで流れて映画がまとまる、そんな感じがした。
わたしは、感情をあまり表に出さない。
感じることは沢山あっても、感情的になることは少ない。それは、どこか冷めているような感覚もある。自分のことに関しても、他人事のように思える時がよくあるからだ。
思春期の頃は誰かと一緒に連んでいないと不安だった。独りになる事が怖かった。
でも、最近の話かもしれない。ここ数年でその感覚が変わって、「独りでいること」が怖くなくなった。群れなくても良い、集団でいることの必然性という事が意味のあまりないことだと感じ、自分を信用できるようになった。というより、自分は自分だし、合わせるのも苦手だし、なんとかなるって思ってからは自分の意思で動けるようになった。感情が解放された。
それは併せて俯瞰で自分を見て、自分のことなのに他人のことにように思うようにもなった。客観的な目線といったら聞こえが良いけれど、そうではなく、どうでもよくなってしまう時がある。それは、投げやりという訳ではなく、理性や常識が吹き飛んで自分の気持ちに素直になる時だ。だから、例によっては誰かを傷つけているかもしれないし、常識に反するかもしれないのに、何も感じなく、悪気もない。悪いとは思わずにしている行動に気づき、わたしは感情がないのかもしれないと思う事が多くある。
悪口を言わないとしても、それは一見良いことかもしれないけれど、本質的には興味がない対象と認識しているだけで冷たい人間なのだ。我関せず焉。
心が動くときはある。胸のあたりがぎゅっとなったり、こみ上げてくるものがあったり。もう少し、歩み寄ってにれば冷たい自分が変わるかもしれないのに怖くてできない。だから壁のないふりをして見えない壁を創り、自分は他人の気持ちに土足で入り込む。行動だけは天真爛漫。そんなところが他者には不思議な存在に感じたり、落ち着いているように感じたり、冷静なのかと思ったりするのだろう。
リバース・エッジを観てそう思った。
自由で良いんだ。だから彼らの感覚に親近感がわき、ハードボイルドな内容にも関わらず平常心で終始見る事ができた。
出来事に対して良いのか悪いのかわからないけれど、まあこんなもんでしょ、そう思ってしまうことを治したい。もっと感じたら自分の世界が変わるだろうに。