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Dreaming and Creative Writing ~土地の聲を聴くキックオフ in 東京「夢見る身体と出合う by 田口ランディ」に参加したハナシ

2024年5/25、田口ランディさんと佐野浩子さんによるクリエイティブライティング&プロセスワークとドリーミングボディ〜土地の聲を聴くイベントに参加した。記憶が新しいうちに備忘録を残す。
(記録なのでラフな文章になる、ごめん。)

※「プロセスワークとドリーミングボディ」の解説は下記、サイトから転載した。

プロセスワークでは、「困ったこと」は意味があって起きていると捉えます。どのような場にも見えない次元が存在し、そこには川の流れのような物事の変化の流れがある。これを「ドリーミング」とよび、時にこのドリーミングが困ったことを生じさせ、個人や組織に何かを学び変化するように迫ると見るのです。

参加表明を突然思いたった時、当方は一参加者であったが、ランディさんより受付サポートを仰せつかったこともあり、いそいそと会場に向かった。
会場にはスタッフさんがおられて、
Yさん Sさん Mさん(こまめさん)、(プロセスワークをfacilitateしてくださった)佐野洋子さん、(場所のオーナーであり、会場の提供と此の地の説明をしてくださった)山崎さん…(こちらは、並々ならぬオーラを発しておられ、あの(株)COTENの深井さんともオトモダチであるということで、ドンびいた。)
スタッフ間でアチューメントを行った。

他参加者が来場。私は一階で誘導係をする。
そのあと、いつものように、部屋の中央にはセンターピースがおかれ、円になって手を繋ぎランディさんのリードでアチューメントを聴く。
気持ちが引き締まる。高い視座で。たとえ何かがあってもそれはプロセスの中にいると信じる。

ランディさんの著書「ヒロシマ、ナガサキ、フクシマ」より下記抜粋。

感情をコントロールすることを学び、どのように意見の異なる他者とも話し合いによる解決を放棄せず、貪欲さを捨て、バランス感覚を磨くことで問題を乗り切っていくことが、科学技術を発展させてしまった私たち人類の生きる道なのだと思われます。

Dreaming & Creative writing【 土地の聲を聴く】
クリエイティヴ・ライティング in 東京
【スケジュール詳細】
ランディさんからのメッセージ:
私たちは、この数年でコロナウィルスによるパンデミック、ミャンマーのクーデター、ウクライナ紛争、そしてパレスチナ紛争と、全世界を揺るがす困難な情況の渦中に放り込まれました。さらに
2024年1月1日には能登半島で大きな地震が起きました。気候変動は加速し、北朝鮮のミサイル報道にも麻痺しているような情況です。
コロナ禍以降、原因不明の体調不良を訴える人が増えました。それぞれの身体や人生に起きている異変や不調は、もしかしたら地球規模の大きな変化のプロセスを伝えているのかもしれません。東京でのクリエイティヴ・ライティングは、いまどんなプロセスが地球規模で展開しているのかを、受講者の作品から学んでいきます。
日時:5月25日(土)10:00~16:30
会場:南青山フラットベースタイムスケジュール
1. 時15分作品発表
それぞれの作品を音読していきます。
2. 時10分アナウンス&終了セレモニー
16時30分 終了
10時00分オープニング&アチューンメント
10時20分 ワーク1東京の記憶
11時40分 ワーク2靴の記憶
12時20分休憩&ランチ
13時00分 ・麻縄のワーク
14時00分 クリエイティヴ・ライティング
執筆時間 いちおう20分
15時00分 休憩15分

オープニング。ランディさんより「仁義を切る」ことの大切さの説明。
自分はどこから来た何者かなど、最初に相手に伝える「仁義」が対話の第一歩。自分が何者なのかをちゃんと相手に伝えることができたら、もっと自信を持つことができるんじゃないかなぁ。水俣で、ランディさんが彼の地に受け入れられたのは、ランディさんが仁義を切っていたから。:水俣に来る人は、自分の出自も言わずに、散々彼らのことを調べて聞いてくるばかり。ランディさんは自ら自己紹介をしたので受け入れられた、と。

その後山崎さんによるこの土地の説明があった。
宇宙からみた地球。大気に包まれているが、大気は太陽光から赤外線と紫外線をフィルターしてくれている。
大気は、窒素78%酸素21%二酸化炭素0,02%で、植物は大気中の二酸化炭素では足りないので生物が吐く二酸化炭素で生息できている。地球上では動物が酸素をとり二酸化炭素を吐き、植物が二酸化炭素をとり酸素をだし、さらに雨水に含まれる窒素から栄養をとりさらに土地を豊かにするという、精緻なバランスの上に成り立っていると説明を受けた。
地球、生物、環境は、関係とバランスである。

稲妻は、稲の妻と書く。雷は大地に養分を与える。雨に田と書く。窒素を含んだ天からの贈り物なのだ。

1945年の東京大空襲の映像を、アメリカ軍つまりB29からの目線で初めて観た。
1945年3月に、約300機の戦闘機が予告なく東京上空に出現し、地上の民家約27万戸を焼いた。東京は焼け野原となった。突然100万人の市民が家や家族を失った。
なんじゃそれは。ひどい話しじゃん。ええかげんにしてくれよ、と思う。怒りを通り越してやり切れなさに襲われた。しかしおよそ100年後の景色はどうだ。

ランディさんのガイドで、窓の外を観る。東京大空襲も関東大震災でも被災を免れたちょうど風水的にも素晴らしい東京都港区青山一丁目。
広く、高いビル群が見える。立派だよー。さすが東京。

この中でクリエイティブライティングの第一のお題。

「この景色のビルの一室の中の誰かの話を書く」

第1のワークは所有時間5分。

私が書いたのは下記の通り。

「大都会の真ん中で」

大都会の真ん中のオフィスビルで俺は働いている。俳優の「菅田将暉」似のイケメン。カラオケでも「虹」を歌うぜ。イケテル花形営業ホープ。
これまた、いけてる美人の小松菜奈が奥さんと言いたいところだけど、現実はそうはいかない。
長野の母ちゃんに、「あんた、そろそろいい人はいないかえやあ」と小言を言われるので、最近実家からの電話は、スルーしている。
彼女と別れたのは何てことない浮気がバレて逆ギレした俺に見切りをつけられてふられたせい。
をの後は何度か行きずり女と関係を持ったものの続かない。
もういいんだ。もう締めてるんだ。
仕事を恋愛も。人生だって、半身で生きるんだ。
余った時間はパチンコやら風俗やら、カラオケ飲み会などで潰して切り抜ける。
人生の憂鬱に追いつかれないように、必死で俺は逃げる。
髪の毛をひっつかまれそうになりながら、今日も俺はパソコンを叩きながら、22階のオフィスの窓からこの街を眺めている。
東京よ!ザマアミロだ。俺みたいな輩が二酸化炭素をこの街に排出してるんだぜ。くそが。

その後、会場内の見知らぬ誰かの靴を取ってきて、その靴の持ち主を想像しながらライティングするというお題をいただいた。(第2のワーク)

ランチボックス。野菜が本当に美味しい。しみた!!ドリンクも飲み放題でスープもあり。
夢のような素晴らしい会場。


ランチを挟んで、午後は結界を創る「麻縄のワーク」をする。

結界(けっかい、: sīmābandha)は、仏教において、サンガ(saṃgha, 僧伽(そうぎゃ)がひとつの「現前(げんぜん)サンガ」(sammukhībhūta-saṃgha)の空間領域(sīmā =界)を設定することを言う。
ただ紐で囲っただけなのに、そこに境界が生まれる。境界の内と外で何かが起こる。争いさえ起こる。県境や国も生まれる。

三人組んで、麻縄を掴み結界を作り、
カゴに花や種、ハーブの塩漬けボトル
石や、エンジェルカードを飾った。
エンジェルカードが示す天使は「education」

3人で作った祭壇。結界の中央に置く。


グループメンバーの一人が、小さな鐘を鳴らしてくれる。風鈴の音みたい。
夏の夕暮れのような、ゆっくりと子供の時の大切な場所や記憶を辿る。

ここから最後のワーク
「大切な場所のこと」を書く。

「大切な場所のこと」
奈良の西大寺で生まれた。山さい頃のアルバムを見ると、鹿と写っている。かろうじてカラーの写真に「あたち鹿大好き」と母が書いたであろうキャプションが添えられている。その後2回引っこしをして大阪に移った。
電気屋の奥の小さい一部屋に4人。そこは、しかし幸せな記憶。身体の芯みたいは所が温かくて、安定している。謎に自分は守られていると思っていた。
心の中のサンクチュアリはいつもあの狭い部屋だ。
お風呂もないので、風呂屋に行かなければならなかった。冬は寒いので辛かった。テレビの中のフィクションと現実の世界が曖味で境界がなかった。
つまり、時代劇を観ると自分は遠山の金さんであったし、ミニスカートをはいたアイドルだったし、ライバルのメグがいる魔女っ娘だった(ノンが好き)
幼い私は我が強く、ほとんど人見知りもしなかったので無敵だった。今ここで家に押しいって来た強盗に襲われても、ジャンプして飛び蹴りし母を守れると本気で思っていた。

小学校の時は友達と秘密基地を作った。知らない人の駐車場に勝手に入り、花を飾ったり、土を入れた土を入れた容器を並べ祭壇を設えた。
翌日、全て撤去されていたのを憤慨さえしていた(今から考えたら、そりゃそうだ。)
動物が大好きで、野良犬や野良猫に、よくごはんをあげていた。彼らも私か大好きだった。崇拝されてもいた。
私は世界の王であり神だった。全智全能だ。
この地球の狭い部屋の片隅で私は本気で全てを知っていると思っていた。その記憶を追いかける余生を過ごす。まだまだ私は神であり神なんだから。
(↑まで会場で書いた。制限時間20分なんで、言葉の使い方がいろいろおかしいが無修正。以下は、帰宅後続きを書いた)

大きくなった私は神でも王でもなかった。自分の名前をさかさまに読んで神の名だ!と息巻いていた王の私は今やどこにもいない。
しかし気持ちは王なもんだから、社会的にはいろいろ問題があった。
1番でない自分を許せない。自分が自分を許せていないもんだから他人も私を許さない。

自分があらゆることができるのは当たり前だ。だって神だし、王だもん。だけど、周りは私のことをサーヴァントとして扱う。両親も弟も、私はいつも何かをする側だ。だってできるから。世界はいつも、弱い人に優しいから。

偉そうにしていたら、人から嫌われるので、私は謙(へりくだ)ることを覚えた。へつらって曖昧(あいまい)に愛想笑いをする卑屈な自分を心から憎んでいる。そうすると、そこに付け入る人もいる。つけ込まれないよう、舐められないようガードをすると、うまく他人と関われない。他人が定めた、他人が期待するキャラを演じる自分が嫌だ。

私は、私の大切な場所を、いつも一生懸命に守るのに、いつのまにか手からすり抜ける。
私の今の家族は、夫、息子、犬、猫である。

それぞれに私はご飯を与える。特に感謝なぞされていないように見受けれられる。特に猫は、自分が神であり王であることを知っている。
くたっとした猫の体をもちあげてみる。猫はグルグルと鳴いてくれて、その恩恵を私に与えてくれる。私は猫の世話をするが猫も私の世話をしているの
だ。真の王であり神はこうでなくっちゃな。ただ寝ていてもその姿は世界を許しているし、許されている。

私の大切な場所にいる彼ら。彼らのおかげで私も存在しているのだ。
いつの間にやら大丈夫になっている。雨が止んだら散歩に行こう。
私の世界を広げるために。


ランディさんの最後のお話。

「ち」と強く発声してみる。

田口ランディさん、佐野浩子さん、他スタッフ様、すごく大事に丁寧に場所
創りをされていたのが伝わりました。感激でした、深謝!!

今回のことは消化できていないけど、次にヒロシマにも必ず行きます!!


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