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からだとの対話

チネイザンを受けました

初めて友人からいま習っていて練習しているんだと聞いた時はなんのことやらまったくわからず
言っている言葉も意味不明というか
全然入ってこなかった
チネイザンという何かなぞの言葉

何度か話しているうちに人生でこれだ!というものに出会えたんだといいながら目をキラキラ輝かせてどのように広めていけばいいか真剣に悩んでいる姿に一度やってもらわないとなぁ
などと考えていたのだが

なにをやってもらうのかも分からないので頼むこともできず、声かけてねと言われても
金額をとってやろうと思う、5,000円というのも聞いていたので
5,000円を出してやってもらうのになんだか分からない状態で日程合わせてお願いしてというまでの行動に至ることもなく日々過ぎていたのだけど

わたしの施術をうけにきてくれるお客様でもある彼女は話しているとエネルギー高くいつも何か勉強熱心で実際にリーディングのことや気づきのシェアなど以前から盛んにスピリチュアルトークが弾む数少ない人だったこともあり

一回施術を受けて、お客様を受けてやっていく時の流れとして受け付けるサイトや連絡先、予約のスケジュール
広めるための文言、いわゆる仕事、ビジネスとして成り立たせるための作業も必要で

発信はあたりまえに必要になるのだけど
それをまだしていない彼女にこのnoteもお勧めしてみた

自分がやる側になると、相手がわからないことが分からない現象がおきる

それがわからない

でもそれが普通でもある

自分のことって見えないから
ほんと一部しか

そういう意味でもチネイザンは身体の声を聞いてくれる
私の代わりにカラダに触れながら対話してくれていたんですね
大腸のそれぞれの名前とか触っている箇所を説明してくれながら進めていくんだけど

とにかく気持ちよくてわりと序盤からぐうすか寝てしまって
やっぱりからだはもちろんだけど内臓も疲れていて、気の流れが右サイドの方ががたついていたらしく
肩や足の痛みも大腸・腰回りの硬さから(外側だけではなく内側)きているようだと

実際に奥深く呼吸と共に差し込むといったらいいのかなぐぐぐっと丹田やおへそ周りのツボのような場所に指が入っていく時
会話してくれていたとのこと
やっぱり疲れてるよ、もっと休む必要がある
水、水
だって声が聞こえたと

確かに痛みもあるのだけど、からだの声を聞くことをほんとうに忘れていたんです

昨年末に髄膜腫で開頭手術をしていてそれこそ
強制終了で強制的にベットで寝たきりになることを余儀なくされたんですね

そのことがあってわかっているはずなのに
良くなるとすっかり忘れて
自分のからだに無理させてしまう

それぞれについてもっととんでもない量のエピソードがあるのでまた追加するか
別の記事で書いたりしようかな

すごく多くの気づきがあったセッションでわたしにとって実りあるかなり眠れた😆有意義な時間でした

ちなみに施術とセッションの違いも教えてもらったんですが… 似てるけど違う、ちがいとしては

施術は相手に施す(ほどこす)ある意味一方通行であるのに対して
セッションはお互いに行ったり来たりする
音楽のセッションとかをイメージするとお互い音を鳴らしあって調和させたり外したりしながらバランスをとっていく
そんな感じでチネイザンを受ける側が何か発するというわけではないんだけど、からだが発している声を聴いてそれをフィードバックしてくれるんですね
なので体とのコミュニケーション、対話なんだそうです。

すごく奥が深いですね、また別の箇所などいろんなやり方があるそうなので楽しみにまた受けてみたいなと思いました

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