沖縄移住のきっかけになった出来事②
沖縄移住のきっかけになった出来事①の続きです。
まだ①をお読みでない方は、こちらです。
半年の沖縄生活から引き上げましたが、東京のアパートもキープしていなかったので、とりあえず横浜の実家へ。また東京の部屋探しからはじめないとなあ、と思っていました。
そんな中、一体何が私をまた沖縄へ引き戻したのか。
沖縄移住のきっかけになった出来事②
実は東京へ帰る寸前に、「付き合って欲しい」と申し込んできた人がいました。それが後に私の夫となる人なのですが、働いていたカフェに来ていた常連客の男性でした。
とてもいい人そうだったのですが、私は、「東京へ帰ったら、音楽活動もまた再開するし、次はいつ帰ってこられるか、わからない」と言うと、「待っているから、好きなことをやってから、帰ってきてくれればいい」と言い、自分の部屋の合鍵を私にくれたのです。
「この人、私の言ってること、わかってるのかしら。本気なのかな?」と疑う気持ちがあったものの、私はふられたばかりだったし、東京に待っている人がいるわけでもない。正直嬉しいことだし、まあいいか、と言う気持ちで鍵をもらいました。
横浜と沖縄の遠距離になりましたが、毎晩スカイプでお互いのことをあれやこれやと話し、私も彼の真っ直ぐさに惹かれるようになりました。
付き合って1ヶ月でプロポーズしてきた
2週間後には、「待っている」と言っていたのに、待たずに彼が実家に会いに来てしまったので、私の両親に紹介する羽目に。
またその2週間後には、「家族がアメリカから沖縄に遊びに来るから、紹介したい」と言われ、出てきたばかりの沖縄へ、何日かだけ戻ることに。
そこで、早くもプロポーズされたのでした。付き合って、まだ1ヶ月のことでした。
プロポーズされるなんて、きっと人生に一度きりのことなのだろうな、と思い、私もすぐに了承。
それがきっかけとなり、沖縄に本格的に移住する決意をしたのです。
恥ずかしいけど、帰ってきちゃった
沖縄で、盛大にお別れ会をしてもらったのに、沖縄にまた舞い戻るのは、相当恥ずかしかったです。
実はまた、この「恥ずかしい思い」を10年後にもすることになるのですが、その話はまた別の回にする事にして。
「もう帰ってきたの?!早!」とみんなに温かく迎えられ、沖縄生活が始まりました。
感謝したい人たち
私の勢いに任せた生き方に、迷惑していた人たちがいたことは、間違いありません。
私の音楽ユニットsosuiの、ギタリストの相方には、活動を半年待ってもらったあげく、sosuiは無期休止状態になってしまい、本当に申し訳なかったです。私にとっては、結婚か、sosuiを続けるか、究極の選択でした。でも結局は結婚を取ったので、言い訳はできません。
また、カフェで働いていた半年間は、小さな子供が2人いるカフェのオーナーの家に居候していました。向こうにしてみたら、30過ぎた独身女が転がりこんできて、半年も生活を共にするなんて大変な話です。
でも私はそのおかげで、「結婚」や「子供のいる家」とはどんな感じか経験させてもらい、一人暮らし好きの私が、家族で暮らすって、いいものだな、と思えるようになりました。
私の両親も、東京の親友夫婦も、いい加減にしてほしい、と思ったことでしょう。沖縄帰りの、ふられた私を慰めようと思ったら、新しい彼氏ができている。しかも、突然結婚する、と言い出す。驚かせて、心配させて、すみませんでした。
そして、そんな私たち夫婦を、家族のように迎え入れてくれた沖縄の友人たち。
感謝しきれません。
沖縄移住が決行できた背景には
結局は、私の意味不明で、唐突な行動も受け止めてくれた人たちの存在のおかげで、移住を決行できたのです。
一人では、移住まで決めるには、至らなかったことだと思います。
はや、11年。温かい友達や家族に支えられながら、沖縄生活を慈しんでいます。
こちらは、今日の夕日と6歳の娘。
読んでくれてありがとうございます。
マイコ
追記: 沖縄には、この私の沖縄移住を予測していた、「ユタ」というシャーマン的な人がいます…。その話も、別の回にしたいと思います。