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沖縄移住のきっかけになった出来事①
沖縄には何かと縁があったように思います。
小学5年生の頃、家族旅行で訪れたのが最初。透き通った鮮やかな海の青いグラデーション、一緒に泳いだカラフルな魚の色に、子供ながらとても感動し、夏休みの宿題にはその絵を描いたのを覚えています。
20代になると、所属していたバンドのツアーで沖縄に来てライブをしました。自分のソロワークのミュージックビデオの撮影も沖縄の石垣島。その時のビデオはこちらです。
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sosui(ソウスイ)というユニットの名前は、蒼(あお)、翠(みどり)、という色からインスピレーションをもらってつけた名前なのですが、都会育ちだったからこそ、沖縄の海の青さと、山の緑に憧れていたのだと思います。
ただ、沖縄の自然に癒されて都会へ帰りはするものの、沖縄に住む、という発想にはまだ至りませんでした。
ニューヨークでの大学生活を経て、東京、渋谷での一人暮らし。テレビ、ラジオ、音楽制作と、自分の夢が仕事になり、必死ながらも楽しくて仕方がなかったからだと思います。
夢中に走り続け、気付けば30歳を超えていました。
結婚や、家族、子供、について考えたりもしましたが、当時のボーイフレンドは、バツイチ。2度目になってしまう結婚には消極的でした。私自身、仕事さえあれば結婚なんてしなくても大丈夫、と思っていました。
沖縄移住のきっかけになった出来事①
そんなある日の夜、ミュージシャンの友達が、何年かぶりに酔っ払いながら電話をしてきました。
「マイコ元気〜?」
久しぶりにお互いの近況報告をすると、東京でミュージシャンとして成功していた彼が、今は故郷の沖縄に帰り、子供を育てながらカフェをオープンさせた、というのです。
オープンの日から混みすぎて、スタッフ共々パニックで大変だ、嬉しい悩みなんだけどね、と。
私はニューヨークで、カフェのフロアマネージャーをした経験もあったため、「へえ、いいねえ!手伝いに行こうか」と気軽な気持ちで言うと、まさかの「え?まじで?来てよ来てよ!マイコが来てくれたらすごい嬉しいよ!」との返事。
「そんなこと言うと、本当に行っちゃうよ?酔って言ってるだけじゃない?」と私。
「いやいや、本当に来てよ!こっちも本気だよ。」と何やらワクワクとした雰囲気に。
その電話1本で、私は沖縄に「半年だけ」住む決意をしたのです。
意外と忙しかった半年間
沖縄へ行く決意の裏には、「海の近くでバイトして、作曲でもしながら、半年後にまた東京に帰ろう。」そんな気持ちがありました。
しかしそんな計画は甘すぎたことを、到着するなり知ることになります。まずは沖縄本島が、意外にも都会だったこと。那覇空港から中部の家に着くまでずっと渋滞、海なんて見えません。もちろん、カフェからも。
到着した日、早速カフェへ。オーナー夫婦が友達と作った、アーティスティックでとても素敵なカフェでした。オープンしてすぐ繁盛するのも不思議ではありません。
次の日から、少人数でお店を切り盛りするため、毎日ダブルシフトで働きづめ。空き時間には、まだ仕事を知らないスタッフに、コーヒーの入れ方やデザートの作り方、接客の仕方を教え、休みは週1回のみ。
人生で、こんなに汗水流して働いたことがあっただろうか?と思うほどでした。
さらに、当時付き合っていたバツイチの彼には、遠距離になったため、ふられてしまいました。
予想外の出来事に、「私は一体、ここで何をしているんだろう」と感じることもありました。自分のやっていた音楽を保留にしてまで「勢い」で沖縄に来て、彼氏にもふられてしまった。音楽なんて、全然作る時間も気力もない。海に癒される暇もない。
それでも半年も経つ頃には、お店も安定し、常連客も増えていました。
「半年じゃなくて、もうこっちに住んじゃえばいいのに」「マイコがいなくなると、それはそれで困るなあ」という空気にもなってきて、沖縄に気の合う友達も出来始めました。
揺らぐ気持ちはあったものの、東京での生活を「保留」で出てきてしまったので、けじめのためにも、一度は東京に帰る必要があったのです。
そうして、半年の沖縄生活は終わりました。
では、何が再び、私を沖縄移住へと導くことになるのでしょうか。
→沖縄移住のきっかけになった出来事②に続く。