週末は対話学のラスト講義、インクラスでの授業だった。
10月から8ヶ月間学んできたものの、毎回できていない自分を実感するしかなく、人と話す云々以前に、かなり濃密に自分と向き合う時間だった。
元々人前で話すことが、それほど得意ではない。
特に初対面の人の前だと妙に緊張するし、その緊張を隠そうとして不自然になる。不自然が重なるとどっぷり疲れて、一人になりたくなる。(みんな多かれ少なかれあることのような気もするけれど…)
それなのに、昔から人の心に興味があり、人の心に触れたいとずっと思ってきた。
でも本当に私が知りたかったのは、自分の心だったのかもしれない。
対話学では、自分を客観的に見る。
話し方や考え方の癖、なぜ緊張するのか、不安を感じるのか、何にコンプレックスや劣等感を感じているのか。
掘り下げていくと、社会に出てからずっと蓋をしてやり過ごしてきた自分が少しずつ顔を出した。
社会人になってから、「対応する」ことを鍛えてきた。効率的に、結果を出す。それは会社の中で仕事をする上でとても大切で、必要なスキルでもある。でも、対応力だけでやりこなしていると、本当の自分がどこにあるのかわからなくなる。
自分の口から出てくる言葉さえも、それが本心なのか、誰かの声なのか。
今、私に必要なのは、「対応力」ではなく「対話力」だった。
週末の二日間、そこに参加していたほとんどの方が涙するほど、心に響く対話をみっちりトレーニングした。
言葉に感情が乗ると、話す内容も、スピードも、表情も、変わる。
答えや型がないから難しい、この「対話する」という感覚。たった二日間で、少しではあるけれど、感じられた気がした。
「ことばには濃度があるんです。感情を伴った言葉は、クライアントの心にしっかりと残ります。」
先生の言葉には、確かにいつも濃度があって、だからこそずっと考えさせられる。
いつも濃ゆーい言葉だけでいくってことじゃなく(だいぶ重めな人になる笑)、濃度があると知って、ことばを扱うこと。
自分にそんな対話ができるようになるのか、わからない。でも、確信があったとしたらそれも嘘っぽい。
アロマセラピーは感情に作用する有効なケアだからこそ、心に触れる対話ができるかどうかは、ずっと考えていかなければならないことだと改めて思った。
授業を終えての帰り道、前より少しだけ、もっと人と話してみたいと思えている自分がいた。小さくて、大きな変化。
誰から学ぶか、は本当に大切。
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