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終わりと始まり、そこにある選択のはなし

長男、4歳児クラス最後の日。

1歳で入園した時はまだ言葉も喋らず、コロナ禍で不安いっぱいの中抱っこ紐で通園していた梧も、4月からは保育園最後の年になる。

貼り出された先生方の異動の公示を見ながら、この世界で変わらないことは何一つないんだよなぁと、突然壮大なことを考えていた。

季節的なこともあって、私の周りでも仕事の異動や転職、やめる、はじめる、うごく、そんな話が多い。そこにはもれなく、その人自身による選択がある。

"人生は選択の連続である"と400年以上も前からシェークスピアが言っていたように、私たちは朝起きて何を食べるか、から始まり、日々自分で選択しながら生きてることは忘れがちだ。まるで自動化されたように電車に乗り、仕事へ向かっているように感じていたとしても、実は私たち自身の意志で反対方向の電車に乗ることも、何なら仕事に行かないという選択だってできる。

だから、"仕事へ行く"という選択も含め、一つ一つの選択がその人の毎日をつくり、人生をつくり、その人らしさをつくっている。

自分らしさ、とか、やりたいこと、とか、私たちは割と一つのたいそうな答えを得ようとしてしまうけど、それは実に地味な日々の選択の積み重ねなんだと最近は思うようになった。

だから、何を選ぶかはとても大切。

自動化された選択をする中で、何か違和感を感じたり、心のざわつきを感じたら、自分の選択を棚卸しするタイミングとも言える。

いつもと違う選択をする時は、結構な勇気がいる。

でも、この世界で変わらないことは一つもなく、むしろ変わることの方が自然なことなのだとしたら…

恐れずに、選び続けるしかない。

私も4月から、小さな、でも自分の中では割とどデカい選択をした。

もしかしたらやっぱり違うとなるかもしれないけれど、そうしたらまた次の選択をすればいいしね、とライトに思っている。

いつだって自分の本心を裏切らないことの方がずっとずっと大事だから。


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