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高知と私と、暮らすこと

2024年の夏のはじまりに、私は家族と一緒に高知へ移住した。初めての高知で、初めての海外旅行くらいカルチャーショックを受けたのが約6年前。それから毎年、時には年に何回か、高知を旅した。人に会うと高知がいかに素晴らしいかをしゃべりまくり(そして毎回しゃべりすぎたと反省して)、5歳の娘には「ママ、高知高知うるさい!」と嫌われた。

高知に行くと、狂ったようにInstagramのストーリーズを更新する。おいしいもの、仁淀ブルー、おいしいもの、街角の猫、街角のアンパンマン、おいしいものおいしいも……。あんた高知の何なのよと高知にビンタされそうだ。それでもみんなに高知を知ってほしかった。昨年はMeets Regionalの旅特集で「小塚舞子の高知ごはん日記」という記事を書かせてもらい、夫との会話は「次の高知はいつにしよう」から「いつから高知に住もうか」に変わった。

2018年に子どもが生まれて、ほどなくしてコロナ禍といわれる時代になった。出産で仕事が減っていて、コロナでさらに減って、おまけに所属していた事務所をやめると、考える時間が売っても余るほどできた。だからその間に移住についてじっくり考えたり、調べたりしていたかというとそんなことはなく、ただ時間を溶かしてばかりいた。大阪の真ん中で暮らしていると、時間はとてもよく溶けた。ガムシロップみたいに少しだけゆらゆらうごめいたかと思うと、何事もなかったかのようになくなって、甘い味が罪悪感のように残る。

「高知に引っ越すんです」と話すと、よく「旦那さんは高知出身だっけ?」と聞かれる。夫は東京出身で、私は奈良県出身。都会育ちと、田舎育ち(実際にはベッドタウン育ち)。田舎暮らしに憧れていると思われることも多かったが、そういうわけでもない。虫は苦手だし。ただ、暮らす場所として、高知がいいと思った。

最初に惹かれたのは、高知の食べものだ。私はおいしいものに目がない。高知で初めて口にしたのは、ひろめ市場にある「やいろ亭」の塩たたき。藁焼きの香ばしい香りに、塩にんにくのアクセント、生臭さのまったく感じないカツオのさっぱりとした旨みは、おいしくてとび上がるほどだった。ガイドブックの1ページめにのる場所だということが信じられなかった。高知では観光地でよくある「えっ!3000円の海鮮丼ってこれ?写真と全然ちがうやん……」なんてことがない。期待以上のものを適正価格で食べさせてくれる。観光客をカモだと思っていないのだ(たぶん)。

もちろんカツオだけではない。高知にはおいしいものがたくさんある。魚がメインと思いきや、肉も野菜も米も抜群だ。パンもおいしい。スイーツも、なんでこんなに?というくらい、おいしい店がたくさんある。グーグルマップは”行ってみたい”のピンで溢れているし、もう一度食べたかったものをもう一度食べると、あぁ、やっぱりもう一度……ということになってしまう。高知は飲食店が多いなと思っていたら、人口1000人あたりの飲食店数が全国2位だった。ちなみに一世帯あたりの発泡酒と第三のビールの消費量は全国で1位だそう(ビールじゃないとこが好き)。高知の人たちは、よく食べ、よく飲む。

高知で遊ぶのも楽しかった。仁淀川で見た仁淀ブルー(道中で食べたツガニ汁も忘れられない)、子どもと行ってイライラしない施設ナンバーワンであろう、香美市立やなせたかし記念館。街のあちこちにアンパンマンがいるのもカワイイ。パンどろぼうもカワイイ。パッと見では何屋かわからないオシャレな店や不思議な店がたくさんあるのはワクワクするし、高知のイベントはなんだかすごく垢抜けてて都会のそれよりずっとイケてる。高知の人は「自分たちで自分たちを楽しませる」のが上手い。長いものに巻かれなくても、大きいなにかに依存しなくても、楽しいことは自分で作れるのだと体現していて、それは生きていく上でとても大切なことだと気付かせてくれる。

「ここで暮らしたいな」と思い始めたころ、何人かの高知の知り合いにそのことを話した。ある人は「そうなん!いつでもウェルカム〜!」と笑った。いい家はないかなと探してくれた人もいた(自分の家はどうかと言ってくれる人までいた)。そして、同じく高知に移住してきたという人は「いいですね。高知は食べものは美味しいし、自然もあるし。でも人です。高知は人がいいんですよ」と教えてくれた。

電車やバスを待っていると、隣り合わせたおばあちゃんはいつも話しかけてくれる。横断歩道の短い待ち時間でもそう。パン屋さんの列に並びながら、前にいたお客さんとパンへの愛を語りあうこともあれば、道端でちいさな男の子に抱っこをねだられたお母さんが「よっこらしょういち!」と男の子を抱きあげた瞬間に目があったときは、そのまま笑いあった。居酒屋で席を譲ってくれた家族と仲良くなって、翌年一緒にキャンプに行った(先週はイオンに行った)。高知では、知らない人でも目が合うと笑いかける(何度かここはハワイなのかと錯覚した)。

日曜市でカニ(生きてるやつ)を眺めていたら、お店の女性が近づいてきて、娘にアヒルのおもちゃをくれたこともあった。このとき、私は怒られるものだと思って身構えていた。「買わないんやったら、他のお客さんの邪魔やから」。そう言って追い払われると。いつどこでかは覚えていないけれど、似たような状況で怒られたり、嫌な顔をされたことがある。子どもは見たいし、触りたい。でもいつも「怒られる前に」と止めてしまう。
あのアヒルは、たまたま持っていたのだろうか。こうしてカニを眺める子どもにあげるために、いつもポケットに忍ばせているのかもしれない。アヒルを差し出す姿は、とてもスマートでカッコよかった。

友達と一緒に、子どもたちを連れて、ある都会の展覧会に行ったとき。大きな恐竜の模型に乗って、記念撮影できるコーナーがあった。恐竜のまわりはロープで囲われていて、乗らない人は撮影禁止。恐竜に乗るのは有料だから仕方ないけど何だかなぁ〜と思っていると、近寄ってきた男の子が恐竜をつんつんしてしまった。すぐにイベントスタッフの人が「ちょっと!それさわらないでね!夢にでてくるよ!」と叫んだ。その男の子の表情は見えなかったが、近くにいた子どもたちがぎょっとしていた。

私は高知県立『のいち動物園』の展示物に、こんな貼り紙があったことを思い出した。
「保護者の方へ こどもたちは壊すこともお仕事です。
 展示物が壊れてしまったら 慌てず職員へお声がけください。
 なかなか触れることができない本物、
 こどもも大人も遠慮なく、たくさん触ってくださいね!」

人の多いところでは、触る人が多いぶん、壊れることも多いだろうし、誰かが触るとみんな触りたくなって、混み合ったり、危険なこともあるのかもしれない。「夢にでてくるよ」は言った人なりのユーモアなんだろうけど、なんでも真剣に受け止めてしまう子どもたちにとっては、どう響いただろうか。いろんな事情があるにせよ、私はやっぱり触らせてあげたいし、こんなに優しい貼り紙を作ってくれる人の、どうぞと言ってくれる人の、近くにいたい。

路面電車にお年寄りが乗ってくると、離れたところの席が空いていたとしても、近くにいる人が一斉に立ち上がる。小学生の子どもに、揺れると危ないきと言って、席を譲ってくれた高校生もいた。都会のデパートではベビーカーを片手に、何台も満員のエレベーターを見送らなくてはならなかった。そこでは一斉に、みんなが目をそらした。子どもを抱いて、ベビーカーは畳んで担いだこともある。子育ては孤独だと思っていた。でも高知では「こういうときは席を譲ろう」と言葉にしなくても、教えてくれる人がたくさんいる。譲ってもらった経験があれば、譲れる人になる。子育てだって、循環なのだ。そう。高知の人はとても優しい。子どもにも、大人にも。よく「田舎の人は優しいもんね」と言われたりするが、そこには当てはまらない気がする。

私は、高知の人になりたい。おいしいものが食べたいとか、川で遊びたいとか、いろいろ理由をつけながら、私は高知の人になりたくて、高知に来ていた。そして暮らすことに決めた。死ぬまでいるのかはわからない。嫌なこともあるはずだ(いま網戸には巨大なセミとカメムシ二匹がくっついている)。でも私のように、高知が必要な人はたくさんいるはずだから、いつか私が高知の何者かになる前に、たくさん学んで、ここに書いていきたい。高知から、生きるということを。



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