
いつも今日しかないんだった。
二月前、母が亡くなった。
80歳、自宅のベッドで亡くなった。
朝方に倒れ、父と私では動かせず、訪問看護師さんの手を借りてベッドに移動。
目を閉じたままだったけれど、落ち着いたので看護師さんも一旦帰られた。
その後訪問診療の先生も体調を見に来てくれ、同じように一旦帰られた。
母とはなんとなくお別れが近い予感がしたので、目を開けている時に母に頬を寄せて一緒に写真を撮った。
母はもう、別の世界へ足を踏み入れた顔をしていた。
それでもカメラに目を向けてくれた。
そのうち母が虚空を見つめて手を伸ばすので、私は尋ねてみた。
「(亡くなっている)〇〇おじちゃんが来ているの?」
母はコクンと頷く。
「(存命の)〇〇おばちゃんが来ているの?」
…反応がない。
「(亡くなっている)〇〇おばちゃんが来ているの?」
またコクンと頷く。
どうも亡くなった人たちだけがお迎えにきてくれていたようだ。
「…それは良かった」と私。
それが最後の意思疎通。
また眠った母は、荒くも規則的な呼吸が続いていた。
ほっと一息ついて、ふと気づいた時にはもう息をしていなかった。
静かな静かなさようなら。
父は、一息ついてたまたまコンビニにでかけてたんだよね。
だから私は母と二人きり。
母はなかなか苦労した人生だったみたい。
細かな全貌までは知らない。
「〇〇(私)を守る」が口癖だったと、叔母から聞いた。
だから余計に、お家で穏やかで幸せな最期を迎えて欲しい、というのが私の密かな目標だった。
昔、母の兄弟が闘病の末に亡くなる時に、みんなが「行かないで!」と泣き叫んでいた記憶が、子供ながらに辛く違和感があって。
私は母の旅立ちを祝福したかった。
幸せな最期のために、ここ数ヶ月はここだけに集中して奔走してきた。
これまでの人生で最も辛く悲しく忙しく、幸せな時だった。
この経験を経たからこそ、さよなら以上に
ありがとうございました!
よかったなぁ…
といったスッキリとした心持ちになった。
今だってふと母を思い出して恋しくなるけれど、受け取った大きな愛は今生きている人たちに還元していくね。
避け難くみんな死んじゃうから、明日でもない今を生きなくちゃー!
と母に背中を押されたのでした。
大好きな母へ
一つまた強くなった娘より