
ばあちゃんが亡くなった
ばあちゃんが亡くなった。
私は一人っ子で、親は共働きだ。
周りは兄弟がいる子がほとんどだったし、母親は専業主婦もしくはパート、という家庭が多かった。
料理や洗濯などの家事は全てばあちゃんがこなしていた。
母親が料理をしているのはほとんど見たことがない。
私にとっての「おふくろの味」はばあちゃんの手料理の味だ。
私が小学校から帰ってくると、ばあちゃんはよく庭をいじっていた。
相撲を見るのが好きで、テレビの前でよく声を出して応援していた。
暴れん坊将軍も好きだった。松平健が好きだったっぽい。
ばあちゃんは耳が遠かった。テレビの音はうるさいし話しかけても返事がない。
おっとりしている性格で、賢くてキッチリしているパパ(ばあちゃんからしたら息子)には日々キツく当たられていた。うるさいだのなんだの。
パパってばあちゃんのこと嫌いなんだ。って思ってた。
私もあまり好きではなかった。いちいちうるさいし、なんだかめんどくさい。
パパもよくばあちゃんに怒鳴っているし、毎日それを聞くのがストレスだった。高校卒業したら早く家を出たいと考えていた。
こうやって書いたらすんごい家庭だな。
ばあちゃんは色々と身体を悪くして入院したり手術したり
時には救急車に運ばれたりしたこともあった。
そろそろやばいんじゃないかということで大学生の時に喪服を買った。
その喪服は着ることがなく10年経ち、サイズ的に着れなくなっていた。
去年10月末。
腹痛を訴えたところ、小腸に穴が開いていたらしく手術。
その後は食事をとる元気がなく、主治医に今後の選択を求められたとパパから連絡があった。
「胃ろうなどの延命措置をするか、そのまま点滴を続けて老衰といった形をとるか」
「そのまま点滴を続けてもらうことにしました。」
パパはLINEでこう伝えてきた。
あの頃あんなに怒鳴って嫌いそうだったのに死ぬと分かった途端しおらしくなっていた。
私はばあちゃんのすごさやありがたさを、上京して1人暮らしを始めてから知った。
それと同時にばあちゃんにあんな態度とるなんて、自分を産んでくれた母親だぞ、とパパに怒っていた。
このまま死んでいいの?ばあちゃん
ちゃんと顔つき合わせてパパに謝ってもらったほうがいい。
それまで死んじゃダメだ。
地元に帰るまでに新幹線で2時間と少し。
幼い子どもが2人いて、フルタイムで働いて、なかなか帰る時間がなかった。
「面会はできる。話しかけても返事はないけど。」
とばあちゃんが寝ている写真が送られてきた。
「ごめん。なかなか帰る時間がなくて。」
写真を見るとまるで別人のようだった。
ばあちゃんってこんな顔だったっけ。
結婚してからすぐの年末年始は1人で実家に帰ったら、ばあちゃんは
「あんた、あっちの家(義実家)に行きなさい。」と言ってきた。
せっかく孫が帰ってきてるのになんだ。私たち夫婦はセパレート帰省派なんだ。と心の中で言い返しながら
「わかった、わかった」とテキトーに返事をした。
昭和なばあちゃんだからそう思うのも無理はない。
そこから娘が産まれてからは、新幹線での帰省が億劫になりなかなか帰ることはなかった。
そうか、私が見ないうちに老けたんだなあ。
仕事の休みもなかなか取れず、土日も自由に動けずしばらく日が経った頃
ばあちゃんが夢に出てきた。
夢の内容は詳しく覚えていないが、「ばあちゃん、ばあちゃん」と私は泣きながら起きた。
その日の15時すぎ、パパからばあちゃんの訃報を聞いた。
パパから着信があったとき、身体の力が抜けた。
最後に会いに行けなかった。ごめんねばあちゃん。
ばあちゃん、私に会いたくて夢に出てきてくれたのかなぁ。
久々の北陸新幹線に乗り込み、富山へ向かった。
いつもは楽しみな新幹線もこの日ばかりは気が重かった。
会場に入ると久々に見る顔ばかり。
でもみんな暗い雰囲気ではなく、まるで同窓会のような雰囲気で話していた。
何年ぶり、何十年ぶり、の人ばかりでちょっと楽しい。
きっとばあちゃんもここにいたかっただろうに。
湯灌からの納棺に立ち会った。
パパから送られてきた写真の顔の人が横たわっていた。
やっぱり私の知ってるばあちゃんじゃないなぁ。
細いなぁ。
など色々考えながら見守った。
やっぱこれ、ばあちゃんじゃないんじゃないの。
通夜が始まった。
遺影は私の知ってるばあちゃんだった。
そっか。やっぱりばあちゃんだったか。
お経を読んでくれたお坊さんは、よく家にも来てくれていた知った顔のお坊さんだった。
次の日の葬式も無事に終え、霊柩車とバスで火葬場へ向かう。
遺影を持つのがパパで、お骨を持つのが伯母で
花束を持つのが私になった。
見慣れた富山の景色は、いつもパパとばあちゃんと見ていた。
小さいころ、しわしわで柔らかいばあちゃんの手の甲をつまんで
ゆっくり戻っていく様子を見てケタケタ笑っていたのを思い出した。
最後にばあちゃんの手でも触っておけばよかったな。
火葬場に到着し、最後にお経を読んでもらう。
ばあちゃん、ちゃんと天国行くんだよ。
最後に1人1人、ばあちゃんの顔を見て棺桶の蓋をしめた。
最後に孫である私が棺桶の上に花束を置いた。
涙が止まらなかった。
ばあちゃんを入れた棺桶は、花束を乗せて運ばれていった。
「合掌」
泣きながら合掌し、扉が閉まる音を聞いた。
その扉を見ることもできず下を向いてフラフラとバスへ乗り込んだ。
葬儀場に向かいながらずっと涙が止まらなかった。
ああ、私、ばあちゃんのこと好きだったんだな。
パパはばあちゃんに謝ったのかな。
ばあちゃん、最後どんな気持ちだったんだろう。
後から聞いた話だが、
じいちゃん(ばあちゃんの旦那)はパパが産まれたあと身体を悪くして入院し、そこで出会った看護師と不倫したこと。
じいちゃんはばあちゃんに離婚を申し出たらしいが、ばあちゃんは断固拒否したためそのまま蒸発したこと。
女手一つで2人の子どもを育てて、定年まで働いていたこと。
他にも色々あったらしく、ばあちゃんはどうやら相当大変な人生を歩んでいたと知った。
私が知るばあちゃんは、働かずに家事をこなし、私の面倒を見てくれて、昼間や夕方はのんびりテレビを見て過ごすのが普通の姿だったから、かなり驚いた。
ばあちゃん、立派な人生やったなぁ。
頑張ってたんだね。
ばあちゃん、どんな気持ちで最後のほう過ごしてたのかな。
幸せな人生やったな、って思えてたかな。
ばあちゃん、ゆっくり休みなよ。