妊娠9ヶ月突入


母子手帳受け取り(2022年6月21日)

はじめてのnote執筆。
今日から妊娠9ヶ月目に突入するので、このタイミングで色々と書き溜めていこうと思う。
※少し前にここまで下書きしていたが、実際アップする本日は妊娠35週…
どんだけ寝かしとってん。。

まずは妊娠までの経緯の生活振り返りから。

お腹の子どもは、2021年6月から丸1年間の不妊治療を経てできた子。
この時点で夫41歳、わたし39歳。
誰かの参考になればand備忘録として残していくことにする。

【不妊治療経歴】
・2021年5月~2022年5月

・5月
銀座にある不妊治療クリニックのオンライン診療を夫と受診。
10分2000円くらい、、、たかっ!!

・6月
オンライン診療後、実際にクリニックに出向き、わたしの体についていろいろ検査。
なんと子宮年齢は28歳(笑)
先生にも『すぐ妊娠しますよ』とお墨付きをいただく。
夫は少し疑っていたみたいだったが、わたしはその言葉を鵜吞みにしてテンション爆上がり。
妊娠しますよと言われたものの年齢が年齢だけに、最短で妊娠するようにしてほしいと依頼。

・7月
初採卵!
卵を育てるための自己注射やら投薬やら検査やら、やること盛りだくさん。
色んな対策の成果で、おなかの中で卵が12個以上いい感じに熟成していて、歩くたびに鈍痛があり痛い。サクサク歩けない。
そして初めての採卵を迎える。
痛いけど、まあなんとか乗り切った。夫の付き添いも安心感あり。

約3日後、受精確認をするのだけど、9個取ったのに胚盤胞になったのはたったの1個!!
ちなみに初回の採卵は、初期胚を作らず胚盤胞のみということにしていた。
今思えば初期胚も作っておくべきだったが、ここは先生の意向に沿ってみた。
あとは、来月の移植に向けて薬や通院をする。

・8月
初移植!
移植自体は採卵に比べると屁みたいなもんで、夫立ち合いのもとサクサクっと終わった。
先生の『妊娠しますよ』を完全に信じていたわたしは、これで妊娠すると信じていた・・・
けど、妊娠検査薬はまっしろ~
初めての移植は見事に陰性で終わる。
そんなに甘くないってことか。
まぁ、1回目やしってことで、そこまで落ち込みもなかった。

・9月
1個しかない胚盤胞を使ってしまったので、再び採卵準備。
やったことは7月と同じなので諸々割愛。ここでも胚盤胞のみ育てるとする。

・10月
再び移植、そして撃沈!!笑
やったことは8月と同じなのでここでも割愛。

・11月
なかなか胚盤胞にならないってことで、初期胚も育てましょかということに。
胚盤胞にならない原因は受精障害の可能性があるらしい。
そして再び採卵準備。
お金が湯水のごとく、というより銭湯からお湯がジャージャー出てくるアレみたいな感じで(どんなやねん)減っていく。。
仕事との両立もだが、何よりお金の負担が精神的にキツい。

・12月
もはやうろ覚えだが、胚盤胞は0だった気が。初期胚が3個程度出来上がった。
胚盤胞ができないことに深く落ち込む・・・ここにきてメンタルHPが低下。
けどできんもんはしゃーないってことで、初期胚を移植。

・1月
はい、撃沈!!笑
安静にしてたいからお正月は大阪の実家にも帰省せずにおとなしくしていたのに、またもや失敗。もうなんやねん。
ということで、次の初期胚を移植。

・2月
忘れもしない2月2日。
この日は判定日だったので仕事を午後からにしてクリニック受診。
わたしは事前に検査薬をする派だからわかっていたけど、はじめての『陽性』診断をGET。
けど、血液中の数値が低いから、なかなか喜べず。
また5日(土)に血液検査しましょうってことに。
つーか仕事(わたしは新卒採用の仕事をしている)が忙しく、イベント真っ盛りの時期で土日出勤も当たり前のタイミングだったけど、無理言って土曜はお休みをもらって夫とクリニックへ。
相変わらず数値は低い・・・
次は胎嚢確認のために12日に来院することになってるが、ちょっと厳しいかもねって話。
ということで12日を迎えるが、結果は『化学流産』。妊娠超初期にはよくあることらしいので、あまり気にしないことにしていた。今回はダメだったけど、「妊娠できるんや」という事実がわたしを前向きにさせた!
ありがとう初期胚・・・
ということで、再度初期胚を移植することに。

・3月
3月はわたしの誕生月である。しかも判定日はわたしの40歳の誕生日!!
なにも望まないから妊娠判定ください・・・と祈るものの、結果は撃沈。
今回は初めて自己判定をせずにクリニックで判定結果を聞いたので、ショックがデカかった。
院長先生からも「お誕生日にこんな結果になって申し訳ない」と謝られて、余計にダメージ。。。診察室で号泣。
気持ちを整え、クリニックを出て夫を向かった先は『ルイヴィトン』。
泣きはらした目で、35万のバッグを買ってしまう(笑)
もちろん自腹~~
その足で、やけ酒飲みに家の近所のサイゼリヤへ。ワインがぶ飲みして記憶喪失(笑)

こんな感じで4回目の移植も失敗。
ちなみに3月のカード請求額がクリニック代とルイヴィトン代で90万近かった・・・泣

・4月
再び移植へ。(これまでに4回採卵をしている)
もはや移植も慣れたもんや。
判定日まで普段通りに過ごすはずが、叔父が亡くなり帰省することに。
思いがけず久々の実家!叔父には悪いが、数年ぶりの親戚にも会えて元気をもらえた気がする。叔父さんありがとう、安らかにね。
ということで、実家で自己判定することに!
結果は。。。またもや撃沈!!!!
なんの症状も感じなかったからそこまでショックはなかった。夫とのテレビ電話で「アホボケカス~~」の暴言吐き散らかして、隣で聞いてた母大爆笑(笑)

・5月
初期胚2個移植にチャレンジしましょうかと提案を受け、リスクも感じつつもやってみることに。
2個移植したら残りは1個になるけど、同じことばかりやるよりはアプローチを変えた方がいいのではということだった。

6回目の移植で、金銭的にも精神的にも疲れていて、諦めモードに入っていたが、無事移植を終える。

そして5日目に自己判定をしたら・・・
妊娠検査薬にうっすらと線が!!
帰宅後の夫に見せたら検査薬くらい薄い反応だったけど、前回のことがあるのでぬか喜びはせずにいようということで、二人とも冷静。

そしてクリニックを受診したら、血液検査の数値がいい感じだった!
2月に引き続き、『妊娠おめでとうございます』の紙をもらう。
予定日は『1月29日』と書かれていた。
このあと数回受診するが、血液検査の通知も上がっているし、胎嚢確認のステージまで行くことができ、6月18日に無事クリニックを卒業することができた。

ということで、わたしたち夫婦の不妊治療は【成功】となる。
ここまでにかかった費用はざっくり350万くらい。
助成金があったからたぶん持ち出しは250万くらいかな?

わたしたちは有難いことに無事授かれたが、これは当たり前のことではないことを忘れずにいなければいけない。妊娠率40%程度と言われている確率の中、残り60%は不成立なのだから、妊娠は本当に当たり前のことではないと痛感。

成功に導いてくれたクリニックの方々、支えてくれた夫、励ましてくれた母と義母、ブログ等で不妊治療にんついて発信してくれた見ず知らずの同志、仕事仲間、関わってくれたすべての人に感謝する。

ということで、12月10日から里帰りしていて、21日の最終出勤日を経て、29日現在で妊娠9か月(あと数日で10ヵ月)を迎えることができた。

産休に入ってすぐに仙腸関節という腰にある関節を痛めてしまい、歩くことが困難となり生活レベルがダダ下がりの毎日だが、工夫しながら生活していくしかない。。。

筆不精だけど、産まれるまでの日々や産休育休中の過ごし方や心境について、綴っていくこととする。(たぶん・・・)

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