記憶の物語。あの日のコーヒーと今日のコーヒー
「○○が昨晩急死しました。急性心筋梗塞でした。」
SNSで彼の妻だという方の投稿で知った。子供が産まれたばかりだったのだそうだ。
「バカだなあ。ほんとうに、バカだ。」
頭の中で、彼はバカだ。という言葉ばかりが駆け巡った。哀しみも、せつなさも、涙も何も出てこなかった。どうして、哀しみという感情が出て来てくれないのか、自分の冷たさを恥じさえした。どうしてだろう?
彼と私は、「慰めあうためだけに存在するテンポラリーな関係」だった。
彼と出会った頃、私は自分で立ち上げた小さな事業に失敗し、その余波で本職も追われ、その流れで離婚、そして心を病んだ。人生で始めての大きな挫折と、離婚によってそれまで信じて疑わなかった“家族という幸せ”も喪失して途方に暮れていた。彼はまた、大麻所持でつかまったばかりで執行猶予中。そのため家族に見放され、順調に行っていた写真家の仕事も声がかからなくなっていた。私たちは、結婚と仕事に象徴される社会とか幸せという軌道から見放された、ろくでもなく失敗したモノ同士だった。どうしようもない孤独は、どうしようもない孤独を引き寄せる。
彼はまったく悪びれる様子もなく大麻を吸い続けていた。「大麻は、世界、特に日本には必要だ」というのが彼の主張だった。その主張を論理的に饒舌に語ったが、そんな理想、私にはどうでも良かった。大麻は大麻という物質でどんなにご託を並べてもそれ以上でもそれ以下でもない。ただ、その違法性と一時の快楽を味わっている間だけは、自分自身のめんどくささを社会と切り離して麻痺させることだけは確かだった。世界がぐるりと揺らぎ、聞こえてくるメロディーのひとつひとつが分解し個別の音とになって暴れだす。心と体は分離し、バラバラになって体が勝手に踊りだす。自分自身を見失しないながら、肉体の中に渦巻いている生命力や欲望の存在を確かめるように、天井がムンクの画みたいにゆがむ世界。
朝になると、彼は、自分で焙煎したコーヒーをいれてくれた。
苦くて香ばしくて、とてもおいしいコーヒーだった。それは、覚えている。
ある日突然彼は目の前から消えた。消息不明になった。
私は、傷を舐め合う相手を失ったことで、自分を取り戻した。仕事をかきあつめ闇雲に働いた。自分自身の問題を考えないでいられるくらいに昼も夜も働いた。そして、ある程度のお金が貯まったところで、私は家を引き払って放浪の旅に出た。快楽と仕事に没頭することでも埋められなかった孤独。どうせ社会から、世間からはずれるなら、逃げるなら、自分の力で、足で、体全体で世界を感じながら世界に「希望」みたいなものが存在することを確かめたかった。見失ってしまった自分自身の人生の手綱をもう一度自分で握り直したかったのかもしれない。
1年間の旅から帰って来た私は、人の心に届く表現という世界をもっと追求したいと思っうようになっていた。旅で得たたくさんの出会いと見たことのない風景が私の新しい力になった。とことん孤独と向き合うことで孤独も私の日常になった。孤独を根本的に癒す方法などない。どうせ向き合わなければいけない孤独なら、自分の中に閉じ込めず解き放ってみたい。そうするには、世界と、人と、対話するしかないのだ。
そんなある日、彼から突然連絡が来て会うことになった。新宿のカフェに現れた彼は、ボロボロの作業着を着て、無精髭をはやし、驚く程やつれていた。彼が私の前から突然消えた理由は、またもや大麻所持による逮捕だったのだ。2回目の逮捕で1年間刑務所の中に入って出て来たばかりの彼は、こんどこそ、本当に仕事がなくなって引越屋のバイトをしながら養育費を送っているのだといい、「最近は、合法ドラックというのがあるからいい。」と、さもうれしそうに言った。私は、そんなダメな姿を見てへらへら笑いながら、適当な相づちをうちながら、心の中で軽蔑していた。それ以来2度と会わなかった。
あのとき私たちは、ただ、自分自身だけを愛していたのだ。自分の孤独をうやむやにしていただけだ。そんな風に孤独を埋め合わせるだけの快楽は、空しい。孤独と孤独を掛け合わせても、決して愛には至らない。望むような愛には。
そして、数年後、突然彼の死を知り、個展をやると知らせがきた。
どんな風にして彼がその後生き直したかはわかりようもない。生涯で彼は2回逮捕され、4人の子供を世に残し、そして、たくさんの人の心に残る作品を残して、逝ってしまった。
本当に、素晴らしい才能のある写真家だった。彼だけにしか表現できない人間の芯の見える作品だった。彼の子供達の心に、いつか響けばと思う。
本当に、そう思う。
今朝、夫が淹れるコーヒーの匂いで「ああ、あさが来た」と目覚めた。
「おはよう」といってコーヒーを淹れてくれた。
「ありがとう」
私は、自分自身のためなんかどうでもよくて、どんなに小さくても相手の為を思ってする、ささやかなことが「愛のカケラ」、その積み重ねが「幸せみたいなもの」なんだと信じたい。
少なくとも、あの頃を思うと、
今の私にはこの家族のささやかな毎日は、「奇跡」そのもの。