人生に何を乗せていこうか
件のお姉さん、人生における他人を介する経験を自分の中に落とし込めず、共感や想像という力が一般的なラインよりも相当低いんだろう。
例えば映画。
大きなスクリーンに広がるストーリーは、自分が過去に通過した感情を追体験することもあれば、物理的に不可能な移動を軽々と行う主人公たちに自分を乗せて旅をすることもある。
この映画がよかった、そうでもなかった、という感想は映画と自分の感情や体感とを一度は結びつけることを経て出てくるものだと思う。
そして私たちは他人の人生を生きることはできないけれど、映画を通じ誰かの生き方や人生のとあるポイントに感情移入して生きることができる。
例えば立ち飲みで隣り合った人が同じ中学の先輩だった時。
地元を離れて働いていて、高校の大先輩には仕事を通じて何人か会ったことがあるものの中学となるとエリアもさらに狭まるせいかかすりもしていなかった。なのに、家から至近の寄り道スポットでとうとう会ってしまったのだ、同中の先輩に。
紆余曲折あったらしいが中学生の頃からずっと憧れていた素敵なお仕事をされていて、立ち姿も美しい。ワインの選び方もその人なりの筋があってそれを面白おかしく話してくれる。
私の別の行きつけのお店の近くが住まいだそうで、そのお店をお会いできた記念にと教えると、訪れることをすごく楽しみにしている感じを言葉でも(いろいろ質問してくる)全身でも(アクション)あらわして、その嬉しさのつまった周りの空気がお店じゅうに伝播していくのがとても心地よかった。
会えるのはもうこれっきりかもしれないし、最後はプラスの感情で終わっときたいでしょ。とさらりと言っていたが、お互いの人生で交錯するタイミングがその夜だけの可能性は高く、それをいい空気で終わらせるのは思い出に残すという意味で非常に重要だし他人である相手へのベーシックな思いやりだと思う。
私の人生は私のものだ。
そこにはこれまでに交錯した人々へ思いをはせることと、彼らがもたらした様々な示唆が乗っかっていて、その数が多ければ多いほど自分の人生がよりいい方向へ膨らんでいくと思う。
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