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日曜日に仕事をする是非

日曜日に仕事をすることに対して、消極的な青年たちがいる。

インスタアンケート「日曜日に仕事をすることは悪いことか」
30人回答
「あまりよくない」10票
「別に構わない」17票
「わからない」3票

独自調べ

進学や就職において、なぜ日曜に働くことに是非が問われるのか。

【問題】

①夢や希望の職業をあきらめている青年がいる
 職業の選択肢において、そもそも日曜就業の仕事が選択肢に入っていない

②礼拝が、日曜日のある時間だけ、
その時間に集える者だけのものになっていないか

以上を理由に、日曜日に仕事をすることの是非を考察する。

①日曜日に働く是非を問われる理由

a.モーセの律法における安息日との混合

「安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ」出20:8

安息日は土曜(日本標準時で金曜の夕方から土曜の日没まで)
モーセの律法は、モーセを通して神がイスラエルに与えたもの(出31:16)
礼拝日ではなく、働いてはならない日(出20:10)
イスラエルはエジプト時代に奴隷であり、苦しんでいた(出2:23)
奴隷状態から解放されたという記念(出13:3)
神が6日働き、7日目に休まれたことに由来(出エジ20:11)
モーセの律法は、異邦人(日本人)に適用されるものではない
  
安息日についての解釈

ルター、カルヴァンらの解釈 
   主の日は旧約の安息日と同一視されてはならない
   第4戒の戒めを祭儀律法の一部と考える
   安息日の本旨は、1つの日にあるのではなく、我々の全生涯を通してある
   安息日厳守主義に反対

シーセン組織進学人間論・神の律法の目的

わたしたちは
「神の律法の外にあるわけではなく、キリストの律法の中にある」(Ⅰコリ9:21、ガラテヤ6:2)
キリストの律法には、第四戒を除くすべての戒めが確認できる。

b.多数決

  日本では、多くの企業が土日を定休日と定めている
  多くの信徒の都合上、日曜の午前中が最も都合がつけやすいのではないか

c.教育不足

  礼拝の正しい知識
  聖書に見られる仕事観
  伝統的にタブー視されている


②日曜日が礼拝日と定められる理由


a.歴史的背景

  紀元4世紀、ローマ皇帝コンスタンティヌス1世が日曜定休を定めた
  313年、政治的な理由によりキリスト教はローマ帝国の国教となる 
  321年、日曜日を定休日とした
  皇帝はクリスチャンではなかった 
  伝統的な名残りではないか

b.キリストの復活を記念する

①キリストの復活が日曜日にあたる
「週の初め」=日曜日
 マタイ28:1、マルコ16:2、9、ルカ24:1、ヨハネ20:1

②週の初めに集まっていた記録がある(ヨハネ20:19、使徒20:7)

【結論】

若い人は夢を諦める必要はない

① キリスト教の礼拝と、モーセの律法における第4戒とを混同してはならない
②クリスチャンはキリストの律法の中にいる(Ⅰコリ9:21、ガラテヤ6:2)
③キリストの律法に礼拝日の指定があるとは考えにくい

最後に

若者が夢や希望の仕事を諦めないためにできること

①日曜礼拝以外に礼拝日を設ける
  「集まるのをやめたりしないで、かえって励まし合う」(ヘブル10:25)

②集えない兄妹に配慮する
  月~土のうち、必要であれば礼拝の機会を設ける
  「そして毎日、心を一つにして宮に集まり、家でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともに」した(使徒2:46)
「2人でも3人でも主は交わりの中におられる」(マタイ18:20)

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