日曜日に仕事をする是非
日曜日に仕事をすることに対して、消極的な青年たちがいる。
進学や就職において、なぜ日曜に働くことに是非が問われるのか。
【問題】
①夢や希望の職業をあきらめている青年がいる
職業の選択肢において、そもそも日曜就業の仕事が選択肢に入っていない
②礼拝が、日曜日のある時間だけ、
その時間に集える者だけのものになっていないか
以上を理由に、日曜日に仕事をすることの是非を考察する。
①日曜日に働く是非を問われる理由
a.モーセの律法における安息日との混合
安息日は土曜(日本標準時で金曜の夕方から土曜の日没まで)
モーセの律法は、モーセを通して神がイスラエルに与えたもの(出31:16)
礼拝日ではなく、働いてはならない日(出20:10)
イスラエルはエジプト時代に奴隷であり、苦しんでいた(出2:23)
奴隷状態から解放されたという記念(出13:3)
神が6日働き、7日目に休まれたことに由来(出エジ20:11)
モーセの律法は、異邦人(日本人)に適用されるものではない
安息日についての解釈
わたしたちは
「神の律法の外にあるわけではなく、キリストの律法の中にある」(Ⅰコリ9:21、ガラテヤ6:2)
キリストの律法には、第四戒を除くすべての戒めが確認できる。
b.多数決
日本では、多くの企業が土日を定休日と定めている
多くの信徒の都合上、日曜の午前中が最も都合がつけやすいのではないか
c.教育不足
礼拝の正しい知識
聖書に見られる仕事観
伝統的にタブー視されている
②日曜日が礼拝日と定められる理由
a.歴史的背景
紀元4世紀、ローマ皇帝コンスタンティヌス1世が日曜定休を定めた
313年、政治的な理由によりキリスト教はローマ帝国の国教となる
321年、日曜日を定休日とした
皇帝はクリスチャンではなかった
伝統的な名残りではないか
b.キリストの復活を記念する
①キリストの復活が日曜日にあたる
「週の初め」=日曜日
マタイ28:1、マルコ16:2、9、ルカ24:1、ヨハネ20:1
②週の初めに集まっていた記録がある(ヨハネ20:19、使徒20:7)
【結論】
① キリスト教の礼拝と、モーセの律法における第4戒とを混同してはならない
②クリスチャンはキリストの律法の中にいる(Ⅰコリ9:21、ガラテヤ6:2)
③キリストの律法に礼拝日の指定があるとは考えにくい
最後に
若者が夢や希望の仕事を諦めないためにできること