返報性の法則
一年ほど前の話ですが、車のエンジンがどうしてもかからないと言うことがありました。どうしようもなくて、車の中でぼんやりしていると、駐車場にいた男の人がやってきて、手を尽くしてエンジンがかかるようにしてくれました。私はお礼を言い、彼はどういたしましてと答えました。そして、彼が立ち去ろうとした時、私は、何か困ったことがあったら声をかけてと言いました。
1ヵ月くらい経った頃、誰かがドアノックをするので、開けてみると、その男の人が立っていました。
車を修理に出しているので、2時間ほど私の車を貸してほしいと言われました。
私は恩返ししなくてはと言う気持ちになりつつも、少し心配でした。
と言うのは、私の車まだ買ったばかりでしたし、相手の人もまだ子供に見えたからです。後で知った話なのですが、彼は未成年で保険にも入っていませんでした。とにかく、私は彼に車を貸しました。
そしてめちゃくちゃに壊されてしまいました。
1ヵ月前の小さな親切へのお返しとは言え、なぜ、この知性、豊かな若い女性が、ほとんど赤の他人の男性に、自分の新車を貸すような羽目になってしまったのでしょうか。
もっと簡単に言うと、最初の小さな親切が、それよりも大きなお返しをしばしば引き出すのは何故でしょうか。
重要な理由の1つは、親切を受けたままにしているときの明らかに不愉快な気分と関係があります。
私たちの多くにとって、恩義を受けたままにしている状態と言うのはとても不快なものです。
ズシリと肩に食い込む、この重荷を早くおろしてしまいたいと言う気になります。
どうしてこういう気持ちになるのか、その源をたどるのはそれほど難しくありません。
人間社会のシステムの中では、相互扶助が極めて重要ですから、私たちは恩義を受けたままでいると、不快になるように条件づけられているのです。
他者からの最初の親切に返報する必要性を無視すれば、相互にお返しをつなげていく鎖を断ち切ってしまうので、相手が将来再び親切をしてくれる可能性は少なくなるでしょう。
そんなことが起こるのは、社会にとって望ましいことではありません。ですから、私たちは、恩義を受けたままでいると、何か落ち着かない気持ちになるように、子供の時から訓練されているのです。
この理由だけでも、私たちは喜んで受けた厚意よりも大きな厚意のお返しをするかもしれません。
ただ恩義と言う心理的な重荷から解放されたい一心で。