過去に書いたもの②
「平和を考える」季刊に寄稿したものの続編です。以下は2019年(去年)書いたもので、ニュージーランドにおけるテロ事件と沖縄の基地問題について書きました。
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今月、ニュージーランド・クライストチャーチにおいてモスクが襲われるテロ事件が起きました。加害者(白人至上主義者のオーストラリア人)がトランプ氏に影響を受けたことを明言していることから、アメリカにとってもこの事件は他人事ではありません。この事件を受けて、NZのアーデン首相は加害者を強く非難し、また被害にあったイスラム教徒たちのことを「私たち(’They are us’)」と表現しました。このスピーチについては(少なくともアメリカでは)多くの人々が好印象を受け、彼女のリーダーシップについても高く評価されています。
一方で、事件後、このようなツイートを見かけました。「被害者がイスラム教徒であるという事実が、政治家・メディア等の語り口調から消されている」と――。つまり、ニュージーランド人全体の問題だと強調されたり、「クライストチャーチでのテロ事件」と呼ばれることがほとんどで、排外主義的な思想のもとでマイノリティーであるイスラム教徒が狙われて殺された、という事実を語ることが避けられているというのです。ニュージーランド在住のイスラム教徒の女性によるツイートでしたが、「Us」と一括りにされること、ニュージーランド社会(白人社会)においてイスラム教徒が白人とは違う経験をしているのに一緒くたにされることへの反発であると言えます。
この真逆の現象が起きているのが、日本と沖縄の関係であると言えます。米軍基地問題は、基地が沖縄に集中していることから「沖縄の問題」と片付けられ、本土・日本政府はこの問題に目をつぶるという状態が長く続いてきました。実は日本各地に米軍基地があり、米軍基地問題の本質である日米関係・安保は「日本全体(Us)」の問題なのに、沖縄(They)の問題にすり替えられる――。「Us」と一括りにしてしまうことも、「They」(他者性)ばかり強調することも、問題をはらんでいることがうかがえます。
少なくとも、沖縄の問題については以下のことが言えると思います。米軍基地問題が日本全体の問題であることは間違いない一方、基地が過剰に沖縄に集中しているがために、沖縄の人々の経験は本土の私たち(私も「本土」の人間なのでこう表現します)の経験とは異なります。「琉球」から無理やり「沖縄」にされ、日本の一部にされたという経験も私たちは持ち合わせていません。つまり、「私たち」の問題だけど、認めなければいけない「違い」もある――問題解決は、こういった認識から始まるのではないでしょうか。「Us」「They」の二択にとらわれず、「共通点」と「違い」の両方に目を向けることで初めて平和へのプロセスが動き出すのかもしれません。