EGAKU:描くことで自己表現を楽しむ1日
私は、ヨガインストラクターとして活動をしているが、「自分が解釈したヨガを、いかに伝えていくか」という自己表現能力が必要なのだと、常々感じている。そんな時に、お声がけ頂いた。
「EGAKUに行ってみない?自己表現を絵で体験できるよ。」
EGAKUとはなんぞや?という好奇心と、自己表現というキーワードに心惹かれ、二つ返事でEGAKUに行くことを決めた。
●EGAKUとは
EGAKUは、クレパスを使って、画用紙に絵を描く。絵を描いて楽しむ”創作”と、絵を見て感じる”鑑賞”という2つの視点から、自己表現を楽しむワークショップだ。
1つのテーマを設け、そのテーマからイメージするものを描いていく。例えば、【幸せ】というテーマがあったとする。”食べる幸せ”を感じる人もいれば、”仕事で充実している幸せ”を感じる人もいる。人それぞれの幸せがあり、それを描く(創作)ことで表現していく。
また、描かれたものを見る事で想像する。「この人は幸せをどうやってこの絵の中で表現しているんだろう?」と。人それぞれの思いや価値観がある事を見て、想像して、解釈して(鑑賞)楽しむのだ。
その時々でテーマは変わり、何回もワークショップに参加して、描くことを満喫している方も参加者の中いた。学生もいれば社会人もいて、幅広い集まりだった。
●「歓 -Pleasure-」
その日は、「歓 -Pleasure-」というテーマで、画用紙と向き合う。自分のイメージを膨らませていく。私にとっての歓びって何だろう?
<私にとっての歓びとは>
・誰かと分かち合うこと
・歓ぶためには、逆(悲しみ)も必要だということ
美味しい食事が、まず1番に浮かんだ。そして、それを誰と食べているかが、結構私には重要だった。また、空腹は最高のスパイスというぐらいだから、歓びにも逆の要素である悲しみが必要だと感じた。
その2つを描くべく、画用紙に向き合う。久々に触るクレバスの感触にワクワクした気持ちにスイッチが入る。でも、その気持ちは一転して曇っていった。
●描くにも方法が分からない!!!!
分かち合うって、どう表現するの?歓びと悲しみの対比って、どう表現するの???どう描けばいいか分からない!!!画用紙は泥沼のクレパスの渦に飲み込まれていった(笑)そうして出来上がったのが、この作品である。
泥沼のキッカケは、画用紙選びから始まっていた。画用紙の色は、数種類準備されていた。白もあれば、暖色、寒色と。悲しみの上に歓びがある事を表現したかったから、私は暗い色の画用紙を選んだのだ。すると、何色をのせても、ボヤーンと暗いまま。悲しみしかない(笑)
描く方法というのは、ただの表現の手段なのだけど。その手段を沢山知っていたら、描きたいように描けるんだろうなと思うと、とってももどかしい気持ちでいっぱいだった。
「私、もともと根暗だし。まっ・・・私らしいできといえばそうかな。」という所に気持ちを落として、ワークショップは終わった。
● 自己表現は楽しい?苦しい?
私が自己表現の楽しさに気づいたのは、社会人になってからだった。学生の時は、どちらかというと「自己表現は恥ずかしいこと」として捉えていた。人と違った表現をしてしまうことが、間違いという思いが強かったからだ。”普通”という枠組みの中にいることが、学生時代の私の心の安心だった。
社会に出た時に”普通”という枠組みにいることが急に苦しくなった。なぜなら”普通”という枠組みは、自分で決めた”普通”ではないからだ。時代や流行などで決まる”普通”の中にいることが、私にとって心地よく無くなってしまったのだ。そうして、「”私”としてどう生きるか」という事を追求しながら、自己表現をして生きることを選んだ。
といっても、20数年続けた”普通でいる”という思考からは、早々逃げられない。”私”を生きる方法なんて分からないし。そうして過ごした数年は、とても苦しくて。今でもその苦しみは少なくなったが無くなりはしない。
EGAKUでは、”芸術家の苦悩”がそれであると、最後に伝えていた。分からない、表現しきれないもどかしさ。その苦悩と共に、芸術家は常にあると。
つまり、生きるという事も1つの作品なのかもしれない。生き方というのを模索して、自分の歴史を描き刻んでいき、最後は”人生”として作品を残す。歴史上の人物に感銘を受ける人は少なくないが、それは、その人の人生という作品に影響を受けていると言えるのではないだろうか。創作と鑑賞の繰り返しが、人生の中にも起きているということだ。
人生をどうEGAKUか。
なんて言葉が、頭に浮かんだ。方法・手段を知り、それを必要な時に自分の中から見つけ出すことができ、最高の自己表現が出来たなら、それはとても幸せな人生の瞬間に違いない。
EGAKUから、人生を見つめなおすとは思っていなかったが(笑)なぜ自己表現に自分がこだわるのか、初心を見つめなおせたキッカケとなった1日だった。