【旅行記】バルセロナ3 ガウディ
宿で貰った観光地図は、いくつかの建物だけがイラストで立体的に描かれていて、そこが名所だと分かった。地図そのものもデフォルメされすぎず、通りの名も全て入っている。分かりやすい。これがデザインされた地図というやつだ。サグラダ・ファミリアまで宿から歩いて行けることは、予約サイトの口コミで知っていた。地図は宿オリジナルのもので、ホステルの位置にも印が付いている。確かに近い。宿を出て北に直進していけば、そのうち見えてくるだろう。
徒歩圏内のガウディ作品はこれだけでは無かった。カサ・ミラとカサ・バトリョ。この二つも、サグラダ・ファミリアとは逆方向だが、歩いて行けそうだった。この住宅の名は、聞き覚えがあった。建築学生だったとき、授業で聞いたのだ。期末テストにも出題されていたはずだ。ちゃんと覚えていなくて、正答できなかったからよく覚えている。私はあまり真面目な学生ではなかった。
専攻には、ガウディについて熱い講義をする有名な先生がいて、住宅の名を知ったのはその先生の授業だった。内容はよく覚えていないのだけど、先生が野獣のように荒ぶりながらガウディのデザインについて語っていた事は覚えている。先生のあの荒ぶりが、私がガウディ作品に興味を引かれる理由だった。ガウディ作品は、きっと観光オブジェとして消費されるだけの名所ではない。ディテールの一つひとつに込められたガウディの情念のようなものを、先生はあの授業のとき全身で語っていたような気がする。私も建築にあれぐらい揺さぶられてみたいと思ったから、現物を見に行きたかったのだ。
とはいえ、ガウディ建築が観光オブジェとして目いっぱい観光客に消費されているのも事実だ。建築に全く縁のない人間だって、見れば「なんかすごい!」と言いたくなる派手さが彼の作品にはある。そういう部分があるから、ブルジョワは金を出して彼に建築を頼んだのではないか。
ガウディが近代の建築家なのか、それ以前の建築家なのか、私の中では曖昧だった。モダニズム建築家という表現も見るし、アール・ヌーヴォーという表現も見る。ガウディの装飾的な表現は、およそモダンには見えないが、存命時期で見れば、コルビュジェと若干被っているからモダン時代の人にも見える。もちろん、コルビュジェの代表作が出てくる頃にガウディは亡くなっているから、1世代以上前の作家だ。やはりモダン以前の人という解釈が普通なのか「あえて言えばアール・ヌーヴォーの作家」という解釈が一般的らしい。ガウディは簡単には分類できない異色の作家で、ジャンル:ガウディということだろうか。アール・ヌーヴォーというと、私は建築ならヴィクトル・オルタ、芸術ならミュシャを思い浮かべる。彼らの表現と、ガウディは同じ分類だろうか。どちらも植物を模した曲線的な表現といえば、そうではある。だがガウディの曲線はオルタやミュシャの曲線とはどこか違うのではないか。植物をベースに曲線表現を優美に昇華させていくアール・ヌーヴォーの名手たちと違い、ガウディの表現は植物そのもののような、生き物の力強さがある気がする。あるいは、私自身が、ガウディ作品にそれを期待していた。ガウディが作品に吹き込んだであろう、ただならぬ生命力を感じてみたいと、私も彼の作品を消費しに来たのだ。