「女の子は死なない」を見て。
はじめに。
まず、私は物書きではないので、文章にて自分の考えたこと、感じたことを伝えることを効果的にわかりやすく伝えることができない(不慣れである)。
それからこれは、「女の子は死なない」という舞台を見た純粋な感想はあまりない。
「私いう人間がこの舞台を見て心が揺り動かされ思ったこと」を、思考を整理したい、という思いで書きなぐっています。
公開するつもりがなく書き始めた覚書を、少しだけ補足を付けました。
これを公開しようと思った理由は、私のTwitterのフォロワーさんや友人に、これを見て何かピンとくるものがある人がいる気がしたからです。
それから、注意。
この記事では、性被害や性加害に関するお話をしています。
トレメンドスサーカスという劇団さんの、『女の子は死なない 実録演劇犬鳴村/男尊演劇死滅譚』という舞台を、配信で見た。
正直今、怒りのままに書き殴っているこの瞬間は、冷静ではないとおもう。
でも、この舞台が教えてくれました。
被害者は、加害者がわかりやすいように自分がされたレイプについて、加害者とその周りいる加担する者たちに懇切丁寧に説明する義務なんてないってこと。
そうしなければ、聞き入れないだなんて、それこそが権力による加害だという事。
黙らされてたまるか!殺されてたまるか!というこの必死な思いを、理路整然と伝えてほしいだなんて、そっち方がおかしいってこと。
口語と文語がひっちゃかめっちゃかになってるけど、それだってどうでもいい。
私は、黙らされてたまるか!という勢いで、口を開いたという事。
突然だが、話の本筋ではないので詳しくは書かないが、私はレイプされていたことがある。
抽象的でもなく、誰もが思う「男性器を女性器に突っ込まれる」レイプ。
それも、8歳の時から6年間、親がはまっていた新興宗教の教祖の男に、親や世間に隠れてレイプされていた。
物事の分別もついておらず、性教育も受けていない年齢だった。
親と「みんな(宗教関係者)」が正しいと言っている人(男)がすることに、抵抗もできなったし、はじめは抵抗することすら思いつかなかった。
私のことについては、世間に公になり、宗教は解体し、教祖は捕まり裁判になったが、そのことは今回は本筋ではないのでここらへんで終いにします。
「男にレイプされた、レイプ被害者(当事者)という属性をもって、この舞台を見た」という事。(そんな属性ほしくもなかったが。これは二度と、死ぬまで私から剝がれてくれない属性なのである)
私は、演劇犬鳴村のことも、界隈とやらも、作中に出てきた古典の戯曲のことも、出てきた実在の人物のことも、何も知らないままにこの舞台を見た。
名指しされていた演出家も知らない。
私は舞台役者じゃないし、演劇犬鳴村にいたわけでもない。
でも、これは私たちの話だと思った。
「レイプ被害者である私」の話でもなく、「舞台上の人たち」の話でもなく、「私たち」の話だと。
誰もが何も関係がないはずのもない、日常の中で行われているすべてのレイプが、この話を生み出したのだ、と。
そもそも、レイプって、「男性器を女性器に突っ込む・突っ込まれる」ではなく、「人としての尊厳を破壊されること」なのか。
「レイプは魂の殺人」って言葉があるけれども、「レイプされることは、魂の殺人に等しい」なのではなく、「魂の殺人をされたら、それはレイプ」なのか。
人としての尊厳を踏みにじられることそのものがレイプなのであって、「男性器を女性器に突っ込む・突っ込まない」「同意があった・なかったが重要」でもないのか。
舞台を見てそう思った。そう知った。そう気づいた。
そうなると、私たち女は日々レイプされているじゃないか!!!
そうだ、私たちは「女」だから、汚い物言いは許されず、男に容姿をジャッジされ、お互いが敵なんじゃないかと思いこまされ、圧倒的な体力と体格の差がある男におそれながら、機嫌を伺い、男が作った男の社会では、稼ぐことも偉くなることも、学ぶことも妨害され、結婚出産家事育児して一人前だなんて、まるでありのままだと人間じゃないみたいな扱いを受けてきたじゃないか!!!
絶対的権力者である男の下で、家父長制の下で、「女」で「奴隷」で「キャバ嬢」でいさせられつづけているではないか!
私たち女は、たまたま死ななかっただけで、日々殺されている!!
私たち女は・・・
私たち女は・・・
劇中のセリフがささる。
「男のはなしをしよう」
そうだ、女の話をしていても、この構造はなくならない。
被害の話ばかりをしてしまっている。
ちがう。加害者の話をしよう。
加害者がいなければ、被害者は生まれないのだから。
問題は、女が強要されて無理やりに、時に洗脳されて自らに入った檻自体にあるのではなく、そもそも、男が女を檻に入れようとしているからこうなっていたんだ。
強要したのは、洗脳したのは誰だ。
私たちを殺したのは誰だ。
男だ。男と男が作り出した男にとって都合のいい世界だ。
無自覚な男の人こそ、自分が属する属性の加害性を自覚してほしい。
あなたが加害していなくても、あなたは加害するものと同じ属性にいるという事を自覚してほしい。
なぜ、男が「女どもをぶち殺す!」と言ったら、「あいつは女に相手されてなかったのか?欲求不満か?」なんてコメントが出るのに、女が「男どもをぶち殺す!」といったら、「言葉が汚い、下品、過激すぎる、女はヒステリック」だなんてコメントが出るのか。
疑問に思ってほしい。おかしいでしょ。
女は男の都合のいい枠の中に納まっていなきゃいけないの、おかしいでしょ。
男が女を殺すのを、女のせいにするのおかしいでしょ。
女が男を殺すのは、女がおかしい、女のせいっていうのにね?
「夜、家の前の道に男が立っている」
「自分の後ろを男がついてくる」
女がこういったことを言う時の「男」は恐れの対象であり、時には死すら覚悟をする。
「家の前に男がいる!」と女に言われたら、「大丈夫?」「気を付けて!」「怖い」って、女たち同士の共通の認識として話すのに、男が男に同じことを言っても「男」は、ただ属性の記号としての「男」でしょう?
少なくとも、殺されるかもしれない!傷つけられるかもしれない!あぶない!って思い同じ認識をしあうなんて少ないでしょう?
女がそうして恐れることを、「過剰だ」なんで言わないでほしい。
女が男を無差別で殺すよりも、男が女を無差別で殺す事件のほうが圧倒的に多い。
加害してくる男がいて、さんざん加害されてきたから、女は男という属性を警戒している。
生まれつきずっとそうだったわけじゃない。
私のように、男に加害されたから、そうなってきたのだ。
女がとうとう我慢できなくなって、汚い言葉で抵抗を始めた時、叫び始めた時、黙らせないでほしい。
それは、男たちが、そして無自覚にも私たちが、無視し、踏みつけ、殺し続けてきたものの叫びだ。
今日、「某宗教の2世達が声を上げ始めた、のではなく、世間がやっとその声を聞き始めたのだ」というつぶやきを見たけれど、
これだって同じ構図。
私たちは今まで、知りもしなかったし知ろうともしなかったし、知ったとしても、実録マンガ読んだだけで「大変な世界があるんだなぁ」って感想を言うだけ言って、消費してきたじゃない。
誰も聞いてくれないから、あの2世は引き金を引いたんだよ。
そうしないと世間は聞いてくれなかったじゃないか。
そうしなかったら、加害者たちはのうのうと隠れて搾取し支配し続けていたじゃないか。
おんなじなんだよ。
女たちは声を上げ続けてきた。
ずっとずっと押さえつけられてきた。
誰も聞いてくれなかった。
穏やかに、優しく、お願いし懇願したって誰も聞いてはくれなかった。
たとえ聞いても、変わってくれなかった。
なんなら、その訴えさえも消費した。
だからいま彼女たちは叫んでいる。
「演劇界おかしいでしょ!税金使ってレイプしてんじゃねぇ!税金レイパーを野放しにしてんじゃねぇ」
「演出家はレイプをやめろ!役者の人権を犯してんじゃねぇ!」
「沈黙して加担してんじゃねぇ!思考停止して無関係なふりするんじゃねぇ!」
「ましてや、加害に加担するんじゃねぇ!加害をすり替えてなかったことにしようとしてんじゃねぇ!」
「私たちを殺すな!お前が死ね!」
「いや、殺す!!私が男を殺す!!急に殺すって言われてびっくりした?こちらもうすでに、何度も何度も殺されてるんですけど???」
って。
「そんなんじゃ伝わるもんも伝わらないよ」とか言って、黙らせようとするな。今までだって聞いてこなかっただろう。
「過激な物言いをして敵を作るのはよくない」とか、今まで敵だと思っていなかった無力なお人形さんが敵になりそうになってびっくりした?
「ここまでしなくても」って、ここまでしなきゃいけないほどに追い詰められたし、ここまでしなきゃ黙殺して話題にも上げなかっただろう。
男、男いわれてうんざりしている男性は、「男」と「権力者」と置き換えて読み直してほしい。
「ここは、権力者と権力者の仲間たちが作り上げた、権力者にとって都合のいい糞みたいな世界だ。」
「権力者にいいように洗脳されて、抵抗する力を奪われて、殺される!権力者に使い捨てされる!」
「権力者が税金を使い、自分たちの命をもてあそんでいる!」
何の違いもない。
あれは、私の、私たちの叫びであり、私に向けられた叫びでもあった。
彼女たちの叫びをきいて、私はどうすればいいのか。
よくみて、よく学んで、よく考えて、選ぶしかない。
私は演劇を見るものとして、舞台上の役者たちを消費してきた。
そんな、搾取とレイプと人権侵害がどうどうとまかり通っているとは思っていなかったし、思わないように巧妙に隠されてきた。
うっすらと「厳しい世界なんだろうな」だなんて思っていて、彼女たちと同じく洗脳されて、考えることすらせず、気付くこともできなかった。
でも、知ってしまった。
彼女たちが、鈍感な消費者である私にでも気づけるように、どストレートに言ったから。
見て見ぬふりをしてきたものたちが、耳をふさいできたものたちが、「見てない・聞いてない」だなんて言い訳をできぬよう、まっすぐ隠さず叫んでくれたから。
「無視するじゃねぇ、言い訳するんじゃねぇ、お前らのことだぞ!!」と。
今まで何人の女が、こうしてここで殺されてきたのだろう。
知ってしまったら、もう後には戻れない。
そんなものを、芸術だとか娯楽だとかいって消費していたのか。
反吐が出る。
自分も加害者の一人であると、そうしてお金を払って、加害者が得をする、女が殺される世界に加担した一員だという事を自覚した。
加害に加担しない。
無視しない。
もう終わった事だなんて空気感にしない。
自分の加害性を自覚して、加害をしない。
加害をしている人を見たら、糾弾する。
加害をする者たちが得をするような行動はしない。
私も洗脳されていて、自然とそれができるようになるには時間がかかるかもしれない。
何十年もかけて、自然とそれができないようにされていたんだ。
今日から、すこしずつ、呪いを解いていくしかない。
私は、自分が見る演劇を、もっとよく知っていかなければならない。
男が「男という属性」に属し、権力を持つように、私は「観客という属性」に属しているとき、商業舞台に対して権力を持っている。
男という属性に属する者の中にも、善良な男がいるように、観客という属性の中で、善良な観客でいたい。善良でいる努力をしたい。
「自分はそんなことしていないのに、ただその属性にいるだけなのに」「たった一人が行動して何になる」だなんて、言わない。
今までそういう事を言う男たちの無行動に、さんざん心を折られてきたから。
行動しないことは加担とおなじ、決して善良ではないのだから。
加害者がいる劇団、加害に加担するような劇団は見に行かない。
加害者と加害に加担するような人を擁護する団体には、外部のものとして抗議する。
正直言うと、青年団系のなかに推しの劇団さんもいたんだけど、その人たちが、ハラスメントは許さないと宣言するまでは、みにいかない。
「誰もそんなこと気にしてない」「作品とその人は別だから」だなんて言わせない。
わたしは気にしているし、私はそんな演出家や作家の舞台を見に行かない。
この舞台を見ようと思ったきっかけは、葭本未熾さんが作・演出をしていたから。
私は以前、所謂知り合いの〈オジ〉にすすめられてアゴラ劇場で行われていた「少女都市」という劇団の「光の祭典」という舞台を見た。
アゴラ劇場の劇団支援会員というものになっていて、アゴラ劇場に通い詰めている〈オジ〉はある時、「いおりさんに見てほしい舞台がある」と連絡をしてきた。
「その劇団の作家で演出家の人は、あなたと同年代のひとで、あなたと同じような経験をしたひとで、それと向き合い身を削り本を書いている人だから、ぜひ見てほしい」、と。
前回えづくほどボロボロに泣いて、帰路が大変だったことを思い出し、今回は自分の精神面も考えて配信で見ることにした。
葭本さんの発言に、はっとした。(先日のTwitterのスペースで言っていたか、劇中で言っていたのか。それすらもあいまい。私だけの脳内葭本さんだったらごめんなさい。)
「変えようと思って作品を書いた。演劇界内部で、あの人達が気に入るようなやり方の中でそれを訴えた。でも、通じなかった。響かなかった。作品としては評価はされたけどね」(意訳)
あの、「光の祭典」がそうだったのかなと思った。
今思えば、あのオジも、私も、それを消費した。
わたしもあのオジも、加害オジに屈して加担するものだった。
私はあの舞台に救われたと思っていたけど、救われたいのは私だけじゃなかった。
本当の訴えは、届いていなかった。
ただただ消費する側から、一緒に戦う側になりたいと思った。
わたしも、わたしたちも、その傷を持っているから。
ずっとずっと、無視して、無視されてきたから。
「私は演劇を見るだけだから。やることはないし、関係ない」じゃない。
消費をしてきたものとして、仮にも「趣味は演劇鑑賞です」だなんて言っている人は、十分に関係者だ。
見る人が一人もいなければ、舞台は成立しない。
私の友人やフォロワーさんには、舞台女優を志す人や、劇作家を志す人、作家を志している人がいる。
もうすでに、舞台女優をしているひとも、私と同じく、舞台を消費する側の人もいる。
これは、一度見ておいたほうがいい舞台だと思う。
なんなら、私のフォロワーなら、私がチケット代出す。連絡をくれ。
15日19時まで配信をやってる。
どうか演劇犬鳴村の被害者に、加担する加害者にならないでほしい。
http://tremendous.jp/girlsneverdie/
わたしも、どうか、この怒りをできるだけどうか、長く持っておけますように。
慣らされ、洗脳され、忘れたり過去の事にしたりしませんように。
追記。
ツイートを掘り返してきた。
2019年の事だったんですね。
綺麗な面しか見ていなかったなぁ。
正くは「綺麗風に書かれた面」。
消費するものとして、消費しかしていなかった頃。
文字を書くのには慣れていないので、読みにくかったらごめんなさい。読んでくれてありがとう!