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愛する人との子どもを妊娠してからの話②

つわりが落ち着いた妊娠12週目。

妊娠して1番辛かった出来事が起きた。

いつもの妊婦健診で元気に動いてる赤ちゃんを見たあとの先生の説明で気になる部分があると告げられた。

「首の後ろの浮腫が平均値より分厚いんですよね。染色体異常の可能性があるかもしれません。赤ちゃんに障害がある可能性があるのでもし希望するのであれば血液検査か羊水検査を進めます」

NTと呼ばれる首の後ろの浮腫。

頭が真っ白になって泣きそうなのを堪えて産院を出た瞬間涙が溢れ出して泣きながら旦那ちゃんに「今日早く帰って来れない?話したいことがある」とLINEを送った。


旦那ちゃんが帰ってくるまでにたくさん染色体異常のことを調べて合併症で心臓や消化器官に病気があることが多いことを知った。

この子を産んだあと、病気を抱えて生きていくこと、自分たちが亡くなったあとのこと1人でたくさん考えてお腹の子どもに「ごめんね」と何回も謝りながら泣いた。

もし検査をして陽性だった場合諦めた方が良いかもしれないと思った。

帰ってきた旦那ちゃんに赤ちゃんに障害がある可能性があること、検査ができること、検査した場合そのあとどうするかを決めないといけないことを泣きながら話した。

私の話を聞いて旦那ちゃんが「どうしたい?検査受けるか受けたあとどうするか…」と旦那ちゃんが私の意見を聞いてくれた。

私が自分の中で考えた結果を話したら旦那ちゃんは「俺が1番考えたのはまいごの身体と精神的な負担のこと。もちろん赤ちゃんも大事だけど産まれてない子どもより正直俺はまいごの方が大事だよ」と言われて自分のことなんて考えてなかった私は私のことを1番に考えてくれてる人が居ることを知った。


2人で考えた結果流産のリスクが低く正確性も高いNIPTを受けることにした。

検査自体は採血だけで終わったものの結果が出るまでの10日間1人になると毎日泣いて「弱いママでごめんね…」とお腹の子どもに謝って過ごした。

10日後にメール結果が届いた瞬間心臓がバクバクして手が震えて1人では結果は見れないと思って旦那ちゃんが帰ってくるのを待って2人で見ることにした。

2人でソファーに座って震える手で開いた検査結果は全て「陰性」だった。

性染色体の検査の結果「男児」という結果も書かれていた。

全身の力が抜けて「陰性だ…」としか言葉が出ない私と「全部陰性!男の子です!」と笑顔で私の頭を撫でてくれる旦那ちゃん。

「良かった…不安だった…」と私が言うと旦那ちゃんが「俺も不安だったよ。自分の子どもなんだから当たり前じゃん。でも俺まで暗い顔してたらまぁちゃんもっと不安になるでしょ?だからわざと明るく前向きに居るようにしてた」と本音を教えてくれた。

ただ毎日泣いてた私と違って旦那ちゃんは自分の気持ちを隠してまで私のために明るく振舞ってくれていたことを初めて知った。


それから安定期に入ってからは体調不良もなく毎日があっという間に過ぎていった。

エコーで見る赤ちゃんはどんどん人間らしい形になっていって腕を振り回したり元気いっぱいな姿を見せてくれた。

そんな中年末に母親から電話がかかってきて数年前から難病を患っている父親の病状が良くないことを知らされた。

その時私は切迫早産の診断を受けていて自宅安静を病院から勧められていて、県外にある実家に戻るのは厳しい状態。

飛行機に乗って大丈夫かどうかを聞くために産院に行き事情を説明して先生から「今入院ギリギリの状態なので飛行機を乗ることは進められません」と言われた。

私が健診の結果を母親に話した翌日父親が59歳で亡くなった。


飛行機に乗れない私の代わりに仕事を早退して飛行機を取って旦那ちゃんはお通夜とお葬式に参加してくれた。

妊娠を報告した時にものすごく喜んでくれて楽しみにしていた父親に孫の顔を見せたかった。

せめて最後に見送りたかった。悔しい思いがたくさんで家で1人で過ごした。

私の代わりに親族席に立って知らない人ばかりの中2日間葬儀に参加して帰ってきた旦那ちゃんは「最後に俺らが会った時からお義父さん痩せたって言うかやつれて薬の影響でかなり見た目が変わってて…。正直言葉が出なかった。最後に会えなくて悔しかったと思うけどまいごが見たらショックだったと思うから俺は会わなくて良かったと思う」と話してくれた。


最後に行けなかったことが悔しくて泣いてた私にとって旦那ちゃんの言葉は父親は私に変わってしまった自分の姿を見せたくなかったのかもしれないと思わせてくれた。

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