キャリアの挫折、コーチングとつながるまで
こんにちは!武重麻衣子(たけしげまいこ)です。
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前回初めての投稿で自己紹介をしてみましたが、その続きを少しまた綴っていこうと思います。
少しでも私の経験から勇気をもらっていただけたら、この上ない喜びです。
前回記事はこちら↓
36歳で感じた急激な焦り
当時の私は社労士の世界で事務員としてお仕事をしていました。(社労士って何?と思う方多いかもしれませんが、社会保険とか雇用保険などを扱う専門職です)
アシスタントとして、社労士の先生の元で顧問先の従業員の手続きやら給与計算をこなす日々。また超アナログな世界を少しでも効率化すべく、必死に新卒時代のPCスキルを思い出しては、関数を組んでとかやってましたね。今思うと、好きではないけれどもやらないといけない領域の仕事をしていた、そんな感じ。
できないことは何もない、という高すぎる自己効力感(笑)の元、常にここでの楽しみは何か、この時間をいかに未来の自分につないでいくか、みたいな感じで見えない未来にむかって育児・家事と奮闘しながら日々を過ごしておりました。
しかし、そんな日々に納得度高く生き続けるのは難しかった。だましながら、自分を今ある日常に強制的に満足させようとしているのだからそれは当たり前だったとも言えますね。今思うと。
36歳の誕生日を迎えた時に、突然「私ってこのままでいいのかな?」とアラフォーへ急に焦りを感じ始めたのです。
このままここでお仕事をつづけた先、どんな40歳になるんだろう・・・私は・・・
そう思ったんです。そこから必死に何かを探し始めて、変わるきっかけをただただ探す、そんな時期でした。苦しかったなあ・・・
ひょんなきっかけから、国家資格キャリアコンサルタントを取得する流れに・・・
「しげさんは絶対向いてると思うんですよね~」
それを発したのは社労士の先生。先生は少し前に取得されておりました。当時国家資格化されて間もなかったこともあり、取得しやすい、そんな噂のもと「とりあえず何か変化が欲しい!」そう思った私は「これなのか?!私が変わるためのものは」と国家資格という単語に飛びついて申し込みをしたのです。
何しろ私の地元の友人たちは女性でも国家資格者ばかりの集団。司法書士、薬剤師、理学療法士、作業療法士と分野は多岐に渡りました。みんながすごく見えたし、とてもかっこいい女性だと思っていて憧れの存在だったのです。私もその一員になりたくて。そんな感じでした。
とはいえ、旦那は猛反対。「何のためにとるのか、そんなの取って何になるんだ」と言われつつ何かにつながるはずと信じて反対を押し切って入学しました。
軽ーく言っているように感じるかもしれませんが、結構すごい決断だった。会社からの支援はない受講でしたので、受講料もそうですし、当時の私は保育園児の娘と小2の息子がいるママでしたから。3か月間の週1回のスクーリングは本当に大変でしたね。9:00-18:00までのスクールに行くために早朝から娘を預けて、息子くんには申し訳ないけど朝ご飯を置いて、「自分で学校に行ってね!」と私が先に家を出る始末・・・(当時小2の息子よ・・・どれだけ自立していたのでしょう・・・)
※6カ月のスクーリングの学校もあります。取得を考えている方はスクールをよく精査されると良いと思います★
まあそんなこんなで必死に自分の何かを変えるために、よくわからないままキャリア心理の分野の勉強をし始めたわけです。心理学なんて正直全くそれまでは興味を持ったことはなく、私には無縁の世界だと思っておりました。カウンセリング実践は全くうまく行かず、その授業はホントに苦痛で・・・私は絶対に向いてない!そんな感じのスタートでした。
学びの中で大きな気づきを起こしたキャリア理論「ライフキャリアレインボー」
ドナルド・E・スーパーという教育博士が提唱した理論なのですが、「キャリア」というものを、単に職業や職務の連続としてではなく、ある年齢や場面における職業を含む様々な役割(ライフ・ロール)の組み合わせであると定義したもの。
これを学んだ時に、何かが自分に降りてきた・・・今でも忘れないあの感覚。
降りてきたメッセージは自分の人生子どものせいにしてんじゃねーよ!(すみません・・言葉が少し乱暴ですね・・・)
27歳で始まった妊娠・出産・育児と1日も休まることのない自分でコントロールできない時間の連続の日々。自由に動けないことにすごくイライラを募らせていた時期。何かやりたい!と思っても私が子育て担当だからと全部諦めて、小さな選択肢の中でちょっとだけよさそうなものを拾い集めてた時期。
けれどこの理論を深く理解したときに、このまま子どものせいにし続けてていいのか私?と素直になれたんです。だって目の前の子どもは日々成長していて、自分でやれることがたくさん増えていて、わたしを必要として求めている時期なんて緩く見積もってあと数年、そう思ったんですよね。
このままでいくと、子離れできない共依存の関係を生む母親になってしまう!絶対私がなりたくない親子像が見えてきました。
これではだめだ!と、そこからの思考の転換はこんな感じ。
自分の人生を自分の足で歩いていくためにはどうしたらよいのか?
深く追求はせず、とりあえずこの資格を一発で合格することだけ決めて、卒業から試験までの日々は取得を通過点のゴールとした行動計画で進んでいました。
コーチングを知ったきっかけはキャリコンの仲間から
一緒に合格までの道のりを歩む仲間は20名。休日もセッションの練習をしたり、それまで出会ったことのない幅広い年代の仲間とつながりました。人生経験が豊富な63歳のおじさま、人事でキャリアをつんでいるバリキャリワーママ、育休中のワーママ、フリーランスでこれからやっていくぞというママ、営業部から人事部長に突然なった男性サラリーマン・・・ほかにもいろいろな方がいらっしゃいました。
そうしている中で、コーチングという資格があることを知ります。いただいた名刺にそれらしき名称が記載されており、ランチタイムにコーチングの話で盛り上がる人達。
私「コーチングってなんですか?」
これが私が初めてコーチングという言葉に触れた瞬間。忘れもしないスクールの近くのアジフライがとてもおいしい定食屋さんの中で・・・
その時はたしか人材育成の手法みたいなことをおっしゃっていたように思いますが、サッカーのコーチみたいな指導者のイメージを持ちつつ、なんだかこのワードが抜けなかった。そこから謎に、私はコーチングの方が向いているんじゃないか?という漠然とした印象をもっていました。
とまあそんな気持ちはありつつも、まずは試験に合格することの方が優先順位が高かったので、とにかく2019年の夏のキャリコンの試験に集中しておりました。
なんとか一発合格!
2019年の8月に無事合格通知が・・・あー思い出すだけで感無量。その時期は資格を取るということで自信がつき、水面下で転職活動もしていましたね。
転職活動中にコーチングとつながる
その転職活動は思い出すだけでも嫌な気持ちになります。それまで人のご紹介でお仕事をしておりましたので、エージェントに登録してというのは初めてでした。何人ものエージェントとお話をするも、
私「できれば時短勤務が希望なんですが、子どもが小さいので」
エージェント「そうですか。今はご紹介できる案件がありませんので、もしそういった案件がでてきましたらご連絡さしあげますね」
みたいなやりとり。皮肉にもそういった方々はご自身のことをキャリアアドバイザーなどど称して自己紹介をしてくる。キャリアコンサルタントとして学びを得ている私からすると、この状況でどう次のキャリアにつなげていけるか一緒に考えるじゃないのー???って感じでした笑
国家資格キャリアコンサルタントというのが独占名称となっていた理由が非常によく理解できました。それくらい扱う領域が違ったわけですね。
そんな活動のなか、もう自分で探すしかない!そう思い、何社か気になる会社様を探していた時に、あるコーチングスクールの募集を目にしたのです。それを見て、「コーチング、やっぱり気になってるんだな、私」ということを再認識し、迷わずエントリーしました。
そんな営みの中で結果的には自分がコーチングを学ぶことになり、2019年10月に認定コーチになりました。そこからはなんだかよくわからないまま、目の前の日常が大きく変化していったのです。
コーチングに出会ってからの続きは次回へ・・・
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