野菜の話を書くつもりがまじめな話になっちまった

12月3日(火)

人間は不思議なもので、茶色いものをひたすら食べ続けたり、お菓子を食べ続けると自然に野菜が食べたくなります

旅行でロンドンに行って、フィッシュアンドチップスと大量の肉が載ったプレートを食べた時も、美味しいんですけどやっぱり、野菜が食べたいな~と思うわけです

ありがたいことに、日本の義務教育では家庭科という科目で三大栄養素を教えてくれるので、潜在的に、茶色いものだけじゃなく、緑色のもの、黄色いもの、赤いものも食べないといけないよーって脳が分かっていて、それを教えてくれるのかもしれません

当時は、こんな知識何の役に立つんだろう、と反骨精神ながら勉強していたことが、大学生になり一人暮らしを始めて、何もかも自分一人でやらなければならなくなった時とても役に立つことがあります

洗濯の仕方から、米の炊き方、味噌汁の作り方等、義務教育というものは人間が生きていく中で必要不可欠なこと、つまり生きるうえでのノウハウというものが家庭科には詰まっているわけです

そんな家庭科を、女子だけしか受けていなかった時代があります。私の親の時代には男は技術科、女は家庭科、という風に性別によってしっかり学ぶことが分けられていました

でも不思議なことにこれってものすごい力を持っていて、例えば女性は家庭科は習うけど、技術科は習わないから工具の使い方や組み立て方を知らない、逆に男性は家庭科を学ばないのでご飯の炊き方や裁縫の仕方を全く知らない、という風に自分が女であるか男であるかによって、生きていくうえで必要な知識に制限がかけられていたということです

この教育の差別化というものは、知識という枠組みを超えて、意識・価値観の形成にも影響を及ぼします。例えば、ある女の人と男の人が結婚し家族になったとして、家族になったとき、家事をするのは誰の仕事になるでしょうか

もちろん、家庭科は女子の受ける科目であり、男子には関係のないことだったので奥さんの方が家事をすることになるでしょう

これがいわゆる性別役割分業というもので、昔の時代には当たり前のことでした

ではなぜ今家庭科・技術科が性別によって区切られなくなったのか

それはもちろん、その性別役割分業というものが問題視され始めたからです

家庭科と技術科が性別によって区別されていた時代、女性は結婚すると仕事をやめ、夫の代わりに家で家事育児をすべて行うのが当たり前でした

その代わり男性が女性が働かない分外で働いてお金を稼ぎ、妻や子供が生きるために必要なお金を家に還元する

しかし、この性別役割分業は、男性が一人で家族を養うためのお金を稼げる経済状況が前提にあります

つまり、社会が不況になり、経済が回らなくなり、男性が稼げる金額が少なくなってしまうと、その状況は一変するわけです

女性も男性同様社会に出てお金を稼ぎ、夫婦二人で家族を養う

これが性別役割分業が崩壊し始めたきっかけでした

女性=家庭内で家事育児をする、男性=外で働く、というシステムが変わり始めたんです

そうなると、女性のみが家庭科を学ぶというのは何ともおかしいことになります

なぜなら女性は仕事もし、家事育児もしなければならなくなるからです

これはどう考えてもおかしい、だって女性と男性の家庭内での仕事量に差が生まれるからです

適材適所、という言葉がありますが、私は性別役割分業=適材適所という考えは最も危険だと考えています

適材適所、という言葉の根底には、個人の能力が自他両方の視点から判断され、それに応じた仕事や役割を獲得するという意味があって、その個人の能力とは、偏見やステレオタイプによってこり固められたものから脱し、実際の経験や現状によって判断されるものでなければならないからです

性別役割分業というのは、個人の能力ではなく、男女という二分化された枠組みの中に当てはめられた人間をその性別のステレオタイプによってのみ判断した結果のものであり、適材適所ではありません

そしてこのステレオタイプによって苦しめられているのは、昇進できる能力を持っていても昇進できない女性、男性優位な会社内で性的な目で見られ、貶められる女性のみならず、一家の大黒柱としてお金を稼ぐことを求められる男性、そのために家庭よりも仕事を優先し、仕事での結果・成績を求められるプレッシャーに押しつぶされる男性なのです

つまり、言いたいのは、男女のステレオタイプをなくし、男女平等を掲げることは決して女性の為だけではなく男性の為でもあるということです

日本の男性の自殺率が高い理由と日本に根強く残る男女のステレオタイプを単純に結びつけるのはあまりにも横暴かもしれません

が、日本の社会で、どうしても男女平等を説こうとすると、また男性嫌いで自分勝手なフェミが騒ぎ始めた、と揶揄される風潮は明らかに男女平等社会の実現の弊害になっています

私は自分のことをフェミニストだと思っていますが、知り合いに、「私ってフェミニストなんだよね」って言ったことは一度もありません

フェミニストに風当たりの強い社会で、男女平等を叫ぶことは、おそらくとてつもなく難しいことで、長い道のりを要することだと思っています

しかし、ヨーロッパの政策や歴史を学べば学ぶほど、どれほど女性の権利獲得にフェミニストの運動が貢献しているかを痛感させられます

マイノリティであっても、そのマイノリティが声を合わせて大きくなれば、法律や現状を変えるほどの力になるはずです

ただ、その時感情的に訴えるだけではだめで、論理性と正当性を兼ね備えたうえで何かを発信しなければいけないと思っています

そして、それをなるべく多くの人に伝え、共感を得られればこっちのものです


とまあ今日の日記では、いかになすびが美味しいかということを書くつもりだったのに、気づいたらまじめに自分の意見を書いていました

まあたまにはこんなことも書かないとしょうもない日記になってしまうので許してください

でも、これだけは本当です

少しでも早く男女平等な社会になりますように