【私の感想です】「「家畜化」が進む人類…考える気力をジワジワ奪う「環境管理」という「ヤバすぎる手法」(住吉 雅美)」の記事を読みました。オススメ度★3
「家畜化」が進む人類…考える気力をジワジワ奪う「環境管理」という「ヤバすぎる手法」(住吉 雅美) | 現代新書 | 講談社
本の表紙に田村淳さんww
何故かはよくわかりませんが、こういう記事を書く人、こういう感覚を持つ人は女性が多いらしいんですw日本ではね。
これが男性視点になると、「そういうもんだろ。上手く効率よく合理的に回す。そこが嫌なら別の場所でお金払ってゆっくりするか、自宅で大人しくしていればいい」みたいな感想になるw例え専門家でも、男性より圧倒的に女性の方が、何故か「環境管理」このような可視化され難い構造に焦点が当たるということが多いみたいで。
それでこの「(間接的)環境管理」これは2010年代までの私には、日本では縁遠いというか、一部のSF,事件,ミステリー系ドラマ、漫画の中くらいしか触れる考えさせられる機会というものがなかった。そう記憶しています。
2021年頃にこういうことを考えていたんですよ。政治家・資本家・経営者、等システムに携わるリベラル日本人が、数万人、数十万人単位で、一人一人の生活・行動・人生の一部を誘導・操作できるという事は解った。それで2020年代に暫くその状態が水面下で継続した場合、また2030年以降も継続する場合。極右極左と異なりリベラルである彼らの思惑や工作などは証明されたり明るみに出るという事は滅多に無い。それで「環境管理」をされた回数、または遠まわしにそう(本人の願う思惑通りに)なったという回数が0回の場合と100回以上という場合、その後者が永遠に裁かれない、公に悪とされない状態・時代が継続していくのであれば、もう『因果応報』という四字熟語は平成中期まで、ということになるなとw自民党議員も上の方では2010年代後半、色々「環境管理」を有効活用されてましたけど殆どの人は当時は賛否半々、でしたからね。合理的かつ効率的に、その地域・環境下の人の流れ、需要と生産の枠組みを間接的に狭める、操作する。これが悪ではなく、何時の時代もグレーであると。そういうこと考えていましたwまたこういった事は過去のアメリカ・イギリス・ドイツなどの映画・ドラマを見ると度々出てきていましたね。
この家畜化、最初に家畜と聞いて思い起こすのは中国共産党によるウイグル自治区管理、ウイグル族弾圧、ですが
日本では中国ロシアなど共産主義に表立って傾倒するという事は無くとも、「己の都合の良いように間接的かつ限定的に、市民国民の家畜化を推し進める」ということはリベラル資本家・政治家であれば加担する可能性は十分過ぎる程あるかと。法に触れない範囲内で、己の利益の為に行動し続けるだけで良いので、明確な悪にはなり得ない。また100年前、数百年前の日本歴史を参照してみれば、リベラル資本家・政治家が直接、日本市民・国民を支配せずとも、役人を使い、市民同士を監視させ合ったり、行動制限を互いに加えられるように仕向けるということもやっていた。日本の歴史が好きな方、詳しい方は既にご存じでありましょうが、日本の歴史には度々、「暗躍する悪」という存在が背後にありました。その人たち個人個人は大多数の市民から見て『善人』と定義されていて、しかし利益であったり国民の生命であったりというものを陰から奪っていたというのが事実。その歴史の繰り返しだと思えば、この方の言われる「家畜化」、あまり目くじらを立てる事でも無いんじゃないかなって。
>こうやって強引に「選択の余地なし」と思わせつつ人々の行動を誘導するために多用されるようになった。
>突然の新奇な街の設計、新制度のゴリ押しに疑問をもたず、「今後はこうしないとやっていけないんだ」とため息交じりに服従するようになったら要注意だ。
↑NHK始めオールドメディアの報道であったり、社畜と化している職場の同僚や上司の「これしかないぞ」といった発言にも注意が必要ですね。
ああ、スマホで遊んでる若者に対しては私は半々で、「別にいいんじゃない?」という感想です。何故って、そのスマホ切ってその場でやれることって他にあまりないwもちろん英語学習・免許習得等、ソシャゲやYOUTUBE視聴より為になることは多々ありますよ?でもその暇な時間に溜めた知識をその数時間後に職場である程度忘れるのであればむしろ疲労軽減であったり幸福感キープのためにスマホ触ってる方が自己肯定感という意味では良いだろうし。先ずは労働時間を8時間から4時間、勤務日数を5日から3日以下にしてからですね。個々の「本当にすべき事」「地域で助け合える事」を外から問うのは。「家畜化」以前に先ず時間と環境で受け身姿勢を強要され、家畜化させられているようなもの、という場合も日本では多々ある。それを緩和させてからじゃないかな?