【霊見えます】もし霊が見える人が霊について二人きりたっぷり語った(妄想をした 笑)場合⑲
【霊見えます】もし霊が見える人が霊について二人きりたっぷり語った(妄想をした 笑)場合⑱ | 記事編集 | note
↑前回の続きです。
私(霊見える人)「広く俯瞰して見て、霊について語ります!霊記事ですwよろしくお願いします」
Aさん「はい、どうぞよろしくお願いします。前回は、『酔い』と『我』というテーマパート3でした。前回は酔いのデメリット、について語って頂きました」
私「はい。これが結構多く語れる。今回もその続きです」
Aさん「あ、こちら長く扱われるのですねwそれほど、霊との関係性が濃く、人にとって重要な要素であると言える?」
私「ですね。もう宗教とか、道徳以上に重要かもwま、資本主義や政治の在り方がある意味偏っていたり、国民が『正しくあるべき形』という指針や目標を見失わされている国、地域の場合は・・・ですね。」
Aさん「なるほど。それで今回の『酔いと我』の中身とは?」
私「前回の続き…にしておきますか。『酔いと我の(あるべき)割合はそれぞれの環境下において、「規定値」「理想とされる値」というものが大体決まっている』これについて。」
Aさん「えっ、そうなんだ。」
私「うん。こう仰られる人もいると思います。『霊もいねえし酔いも我も人それぞれだろ。それは職場・地域・学校・家庭によって千差万別。ある日ある時間は酔ってるタイプが強く、ある日ある時は我が強いタイプが強い。状況によって異なる。というか、そんなどっちが強いかとかブレたりしない。ほぼ皆毎日どの環境下でも5:5でバランス取れてるって』と。そう自信を持って言える人がいる地域はほぼ霊が少なく、治安も良く精神的健康がある意味保証されている環境下です。理想の民主主義形態。」
Aさん「そうなの。ということは、そう言える人が少ない地域は、『酔い』『我』に偏る傾向?」
私「ほぼそうですね。特に『酔い』が強い県・市はとても多い。特に日本人の場合、「安定した資本主義社会」「多くの人が仕事に困らない街」「経済成長し続ける地域」に、思想的偏り、精神的健康面での懸念など、外側からは起こり得ないと思っている方が多そうですが、実はありますw極右極左が活動していない、リベラルのみの地域でも、人は頭がおかしくなったり、霊に取りつかれ易くなっていたりする場合が存在する。」
Aさん「へえー。資本主義経済が安定しているのに、そこに住む人が幸福じゃない!しかも、外部要因でそうなる!!?」
私「はい。ここまで記事を読んでくださった方々は薄々お気づきでしょうが、『酔い』は一定値を超えると個人個人が『宗教属性』を備え、個人の思想であったり『我』の正当性を否定出来るまでに至ります。つまり、全体主義・いじめ・同調圧力・弱者迫害・無関心・道徳や心の不必要性・合理主義、などが加速し、あたかもそこにいる複数の住民が一つの宗教を信奉しているのと変わりないのではないか、と客観的に見て言えてしまうのではないかといった様相が濃く表れることになる。」
Aさん「宗教名の無い宗教的様相!!」
私「最近ちょっと自分の視点、意見が多めだったのでここで他者の意見を素材として参照させて頂きます。私は派遣社員として、また観光好きとして色んな県・市を見て回ってきました。それで東京(品川区辺り)、新潟のある駅にいた時、そこにいる二人組(片方は女性同士、片方は男女)の20代女性がこんなことを呟いているのを聞いた『私ここに住めって言われたら絶対嫌。一年もいたくないと思う』『ここに住んでる人たちってなんか(略)』と。その際自分は、彼女の台詞に同調しなかったが、批判もしなかった。『ああ、そういう視点か』と。」
Aさん「人を見ていた・・・?」
私「そう。県民性、個性も無論ある。しかし駅周辺は特に強いのですがその県・市にとって『どれくらいの割合で酔い、我の値があるべきか』が決まっていて、それに倣って『俺はこうであったら幸せだ』と言った感じで行動に乗せる形で(自分の酔いと我の値を調整した上で上手く)合わせる。すると、他県から来た方々からすると、その尖った部分、即ち酔いの割合・色合いが異常、おかしいと捉えられることもある。ま遠まわしに地方の政治家批判になる部分ですがw」
Aさん「な、なるほど・・・」
私「例えば今話してる私は作られたキャラクターで、現実には出さないタイプ(笑)なのですが、見ての通り『酔い』の属性はかなり、抑えていますよね。」
Aさん「ああ、どちらかというと『我』が強い・・・いや7:3,6:4くらいかな」
私「そう。なのでこのキャラクターのまま現実で生きていく場合、『酔い』が強めの地域では、むしろマイノリティー存在となって、仕事でも誰とも馬が合わず、また自宅でも何かに集中できず鬱になったり、霊に捕らわれ易くなる。要は、陰キャタイプ・陽キャタイプが幸せになり易い地域・環境というものはある程度決まっている、数値化は可能だというわけw」
Aさん「そういうこと・・・。つまり、悩み多き労働者、うつ病患者、自殺者が多い地域では、『酔い』の割合が強く、その値まで引き上げきれない場合は、その方がマイノリティー存在となっていく傾向?」
私「そういうことです。つまり、その地域で『酔い切っている』方々からしてみれば、『もっと酔えよ!』『そうすりゃ幸せになれるのに』とw酔いの内容やノリの特色に関しては地域によって異なりますが。これが、地域毎の『偏狭性』の説得力であり、個や多様性が排除されて然りという説得力でもある。もちろん、アベプラ動画などで議論すれば『貴方のところは多様性が認められていますよね!』『・・・はい!もちろんですよ』といった会話になる。しかしその答えられた方が現場、地域に戻ると、全然そうではないwむしろ酔いの正解、というものが規定として用意されていますと。郷に入っては郷に従え、ですね。」
Aさん「分かりやすい。ええっと今回の記事では『我』の割合があまり出てきませんが、そこどうなのでしょう」
私「他国でもそうですが、『我』がそれぞれの地域にて許容される割合が、数年前、10年前と比較して高まりつつある場合、それは改革であったり、全体が救われる可能性が生じているという証拠です。これ話すと長くなるんで省略しますが。逆に、『酔い』の思想が蔓延している事実が老若男女誰の目から見ても明らかであり、『その状態を継続する事(で良し)』が強調され続けている場合、これは改革であったり全体が救われる可能性が無いのはもちろんの事、宗教属性や霊の活発化が加速されますので、生産性の向上、経済安定と反比例する形で精神的不健康者が多く出てくる。」
Aさん「ううん。平和って難しいのですね・・・」
私「『我』は除霊には有効的ではあるが、先進国の、多くの国民は望まない。特に政治家・役所の職員・不動産会社など、システムに携わる方なら無論の事です。むしろ酔ってもらった方がイイと勧めてくる。こういった形で、個人の思惑や健康状態、努力とは全く関係ないところで別の隠しステータスがそれぞれの地域にて存在しており、その軸からブレると自然と霊を溜め込んでしまったり、鬱になったりといった形で不健康になってしまうという枠組みが存在しています。」
Aさん「何か、腑に落ちる話です・・・w不思議と」
私「今回は、割と広めに語らせて頂きました。えーと、次回は、『対人関係悪化』と『S級以上の霊が持つ強い思想と性格』ですか。『「酔い」を否定し続けた人の成長と反省、その意味』について語ってもいいかなと思ったんですが、これはあまり長くならなそうだったので。」
Aさん「分かりました。次回も楽しみにしています。」
私「はい。ここまでお読みいただきありがとうございました~ <(_ _)>」