【私の感想です】今日のヤフコメ12



なぜ日本人は「公共的正義の感覚」が乏しいのか?…「法と権利」に関する現代日本人の法意識(現代ビジネス)のコメント一覧 - Yahoo!ニュース


kan********

12/7(土) 7:41

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欧州はともかく、米国の個人の権利意識は日本以上だ。何なら義務すら顧みない権利の主張がある。公共の正義ではなく個人の権利と個人の権利のぶつかり合いにより、より普遍性の高いものが正義と見なされていく。しかしそれでいいと思う。正義とは先に提示するものではなく、徐々に明確になっていくものだ。百年前の正義と今の正義は違う。 欧州は正義の自己割り当てとしての権利というが、そもそも正義とは何なのか。予め提示した正義が本当に普遍性のあるものなのか。全て欧州が正しく日本がダメというが、本当にそうだろうか。 そして欧州の価値観に照し日本国憲法を優れていると暗に持ち上げているが、それを個人権利の米国が監修した矛盾については触れずじまいだ。 権利といってもこの星の中だけの理だ。正義は人類の繁栄と密接に関わる。滅びたら意味がない。スェーデンを持ち上げるが、労働力の補充という利己的な理由により、かの国は滅びつつある。

↑「義務すら顧みない権利の主張がある」確かに。そこは欧州より下ですね。正義を貫くということがそのまま自己と社会の進化・改善に繋がるという思考。解ります。「労働力の補充という利己的な理由」ここも重要か。どう考えても日本の政治家、経済界は利己的な資本のみに重点を置いている。もし戦争が起こったり治安が悪化した場合、この数年、十年の「会社を支え続けた」「官民一体で資本主義社会を安定化させることが出来た」という小さく浅い正義といったものは個人の自己防衛、地域での支え合いが先に優先される故容易く軽視されてしまう。

Yah

6日前

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日本人は「法」の影響がすべての人に等しく及ぶことをもっと意識しても良いと思う。 また「多数決」と「民主主義」、「公共の福祉」と「全体主義」が反対の概念であることも知っておくべきだと思う。 これらを初等教育でやらないのは明確な愚民政策であり、戦前の旧体制派、今の自民党主流派の細やかな抵抗であると思う。

↑言うね。この「多数決=正義=民主主義」と誤解されてる人が何と多い事か。また、資本主義・自民党が思想上壊れているので「公共の福祉と全体主義」ここも誤解されている方が多いが実は逆だ。全体主義により、正しく公共の福祉が拡充されず、市民に配当が行きわたらない要因となっている。その全体主義を自民党、そしてそれぞれの自治体や経営者が宗教家の如く上手く使ってきたわけだ。

sled****

12/7(土) 8:02

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日本人が重視するのは社会的通念や世間体。個人の利益よりも集団に殉ずる傾向が強く、その反面倫理観は極めて薄い。所属する組織から犯罪を唆される。断ると生活出来ないとなれば日本人は誰でも簡単に乗っかる。敗戦直後に日本人の特徴をまとめた名著「菊と刀」では罪の文化と恥の文化の違いと言ったが、今や恥すらない。堂々と開き直る事が当たり前になった

↑その通り。倫理観や正義感は薄いが、集団に殉じていれば良いとされる。その後者の内容、「法に触れさえしなければ『恥』も感じず何でもしてよい」という性格、明らかに民主主義・教育の劣化ですね。EU,欧州に追い付くどころか逆にアジア・中韓に寄ってどうする。

man********

6日前

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日本人は「権利」を正しく把握していない、と仰るが、違うでしょう? 日本人は日本語である「権利」を正しく理解しています。 憲法を押し付けたアメリカの人間が、日本語の「権利」の意味を間違えたので現在のような歪な形になっているのでしょう? 記事にもあるように、アメリカが作ったんだから作った人間に責任があるのであって、それを使用している人間に法意識の責任を押し付けるのは違うと思いますよ。

↑んーなんだろうな。日本語である権利って。遠因、結果論としては「権利を主張」する際に用いる日本語が、そもそも現場のアメリカ主導の中身に殉じている故に、ってことかな。

sug*****

12/7(土) 7:37

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こんな視点はどうか。 法律を踏まえた「社会」と、道徳を前提とする「世間」という観点で考えると、日本は時に、「社会」でなく「世間」の根拠が乏しい正義が支配的になるがある。日本の特殊性でないか。 たとえば、コロナ禍でマスク着用マナーが、欧米のように義務の法律を作らなくとも、同調圧力でみんな守ったね。

↑良い分析だ。法と社会、そして世間。あとは不安遺伝子が強い故だろう。正義、権利というものは定義する前に一度擦り合わせが必要なわけだがその過程を面倒くさがるというのも背景にはありそうだ。

sug*****

12/7(土) 7:47

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「世間のルール」の拘束は法のルールと同等またはそれ以上で、順守しないと排除されかねない。 日本人の大半は「世間を離れたら自分は生きていけない」と思い込んでいるから、いつも世間の目を気にしながら暮らしている。 だから、学校でブラック校則、職場や町内で謎ルールが残っていても、とりあえず従う者が多いね。

↑うん。それは確かに。現場のノリ、県民性、習慣性というものも土地毎に存在している。そこに異論を訴えたり調整・改定を申し出たりすると例え動機は正しく、正義であったとしても異端者、悪とされることが多いだろう。しかしその、日本人が今とは逆に欧州やヨーロッパのように、権利や正義を個々人が正しく発信・主張するようになると、それはそれで色々と感情的になったりデモなど起こったりし易くなりそうだ。昭和中期から後期では正義と道徳を背景に感情的になる日本人を誰も咎めはしなかったと記憶している。日本人が正義や権利を一切主張しないのが当たり前の現代が、最も良い時代だった、と後々思われる方も多いだろう。

kar********

12/7(土) 9:15

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つまり西洋的な法は我々にはなじまないってことだろ。 その解決策は、人間が法に歩み寄るか、法が人間に歩み寄るかだ。 法が優越するってなったら、ほとんどの人は拒否すると思う。 だいたい現状を見れば、「権利」を法で規制するのは不可能だろう。次々と「新しい権利」が生まれるからね。 そこを考えると、権利と法は互いになじまないってことになると思う。 元々権利を守るために法を作ったのに、法で権利を規定すると規定外の権利は制限されるか無視されるからね。 だから法を厳格に守るかどうかよりも、結果としての社会や生活が良くなるかどうかに重きを置くしかないだろうな。

↑んーー。そう捉えるならある意味、日本はどの国よりも成功している国、とも考えることができるか・・・。正義・法・権利が例えそれぞれの現場で正しく機能しなくとも、皆で生活・社会を良くしよう、守ろうと自然に浄化作用が働く。新しい権利が出てこない事が果たして良いのか、そういった逆の捉え方も必要かなって。法の抜け穴で裏金工作であったり犯罪に加担する日本人・外国人もいるよ。

jel********

12/7(土) 6:58
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法を執行する側に正義の感覚がない、或いは薄いのは、とても怖いことだと思います。

↑役人、政治家に正義の感覚が無いというケースは昨今よく見かける。合理的に判断し、間接的に人を騙し陥れることも出来る。恐ろしいです

שלום

12/7(土) 6:56

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思うに憲法とか人権とか政治とか、全部借り物で本質的にニホンジンのDNAにマッチしていないのだと思う。 ルールっていうのは、天皇だかお殿様だかの偉い人が決める事で、自分たちはわがままを言わずそれに従うみたいな?それは上が決めてくれないとみたいな言葉が普通に出てくる。自分の事でも自分で主体的に決めると言う意識がない(薄い)ように感じる。 よく「国がなんとかしろ」という発言があるが、国の主権が国民にある、つまり国がなんとかしろと言うのは自分(達)が何とかすると言う意味なのだが、それを理解していないように思う。理解しようがしまいが法体系はそうなっていて、責任も負担も国民に帰ってくる話なのだけれど、「自分とは違うどこかのエライ金持ちがポケットマネーでなんとかしろ」みたいな意味合いで上記発言をしているとしか思えない場面がよくある。国が何とかするので、自分は関係ないみたいな。

↑それはあるね。上が決めたことに従う。上に全てを一任して、下の者は議論や思考錯誤を一切行わない。そこ台湾人と真逆だよね。例え今日、若者同士集めて何か議論するとしても「・・・どうする」「下の者である俺たちが決めて行動したとしても・・・ガクブル」みたいになる可能性が高い。
一理あるんだけど、「自分とは関係ない」「自分と関係ある」この後者、接点を持たせられる条件と場が選挙しかないのもいかがなものかと。外国の一部の国ではコロナ過に民間人が村長さん、政治事務所を訪ねた。それで一言二言の会話で食料供給、空室提供が決まったんだって。それ日本で今後行っても高確率で断られるか、ずーっと保留となって主張や正義が無かったことにされるでしょw「自分とは関係ない」これを役人、大人側がむしろ間接的に強く押しているという側面もあるということ忘れずに。

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