【分析】顕正会の「仏界が涌現する」「勤行功徳と[好奇心・芸術理解の感覚]の関係性」について

こんにちわ顕正会員です。今回は「過去の記事を改めて深堀する・解説する」という、あまり自分がやらない種の記事ですwネタ率は今回は低めなので、そこは申し訳ございませんw<(_ _)> 一応、軽く分かり易く短く、を心がけて記事を書いてみようと思っています。

【分析】何時もの顕正会員の先輩と電話でお話させて頂きました。|Maid King (note.com)

顕正会最大の謎の一つ、『好奇心・趣味をサポート出来る効力は期待出来るのか。』について - アニメでも政治でもネタなら何でも食べます。blog (hatenablog.com)
自分が特に「一番知りたい!」「これを解決しないと、前には進めないんですよぉ!」という程でもないのに(笑)、何故↑の二つの記事の内容のパート2,パート3を軽ーく(でも軽すぎというほどでもないw)この一、二年間、望んでいたかと言いますと、一言で「頭に引っかかっていた」「引っかかる頻度/回数が何故か後天的に多く生じることがあった」からです。それで、自分の頭の中で「そういえば、あれどうだったんだっけ。」と、頭の中の「引っかかってるものリスト(みたいなもの)」の上の方に来易い課題、といった感じに度々、ランダムリーに浮上してきてたので、上記のように二度、たまたま記事になったというわけ。
さて、その(疑問が残る事となった)最初のきっかけ・・・のようなものですが、先ず何時もの顕正会員の先輩と二年ほど前、お電話させて頂いた際に、彼が10代後半の頃、ヴァルキリープロファイルをプレイしていたということが解った(彼の口からちょろっと飛び出した。)という事があった。
その時自分はヴァルキリープロファイルのBGMの良さ(桜庭統さん)と、セラフィックゲートを最後辺り惰性もありましたが10周プレイしていたな~って事を、軽く、短めに電話越しに、15秒以内で語ったのです。
すると何時もの顕正会員の先輩は「あーーーーーー」と、だるそう面倒くさそうに反応して、自分からヴァルキリープロファイルをプレイしていた、と語ったばかりなのに、その後の私のヴァルキリープロファイルの内容については全く興味なしという反応で。その時「ん??」と。それが最初の違和感だった。
彼はもう大人なので、ゲームより楽しい生き方、人生観、仏道修行、また功徳という感覚を得ているんだろう。そう軽く推察して、済んだのですが、その時の違和感は小さく残る程度は、一応あったんですよね。
次の違和感は20代顕正会員の方と、名古屋の会館勤行に二人で赴いた際の彼との会話。この時彼は、「2023年一月には全ての県の会館・公共施設・店などは大地震や中国軍の侵略によって封鎖されていて、入れなくなっているはずですから(だから会館勤行に行けるのは今日が最後だと思って来た)」と本気で信じていて、問題はその内容に自分が疑心を持ったのではなく、彼の「信じる」感覚が他の顕正会員の「信じる」感覚と違ってて、『現実的だった』というもの。これは言葉では伝わりにくいのですが一応例え話をもって説明すると
①明日この場所(または建物)は崩壊する恐れがあるから避難しなさい!
という、「信じる」という属性・気持ちと
②明日この場所(または建物)は崩壊する恐れがあるんだから。それを信じないと貴方が損するんだからね。知らないよ。
という、「信じる」という属性・気持ちと
二通りある、と。それで自分が名古屋でご一緒した20代顕正会員の方は、明らかに①だった。この時、①②と二種類の「信じ方」いや、正確には感覚の色の違い、というものがあるという「違和感」を、脳内に残すことになったわけです。無論、2022年当時は文章化・思考にさえしませんでしたが。
それで、自分はその20代の彼が、本気で、現実的に
>「2023年一月には全ての県の会館・公共施設・店などは大地震や中国軍の侵略によって封鎖されていて、入れなくなっているはずですから」
これを信じていて、また他の浅井会長の数々のご予言も本気で信じていたので、また自分が[顕正会員ではない20代の若者]とも色んな県を回って職場内等で関わっていたこともあり、「その感覚に信憑性はある」と当時は中身に共感していたんですよね。なので顕正会員の方がリモート集会や動画の中で、②の感覚を持った方々ばかり(①は超マイノリティ。新入信者にはたまにいるが続けていけば最終的にはゼロになるほど)出てきていたもので「?」と。観念を強める、それが第一であって、100:0の100という数値で信じるのではないのだ、そういう感覚ね。分かるかなぁ。例えば格ゲーで言えば、①「必ず相手のライフポイントがゼロになり、自分のライフポイントが1以上残る。この未来は決まっている!」②「相手に勝てると信じる。そこに疑いなんて絶対にあっちゃいけない。あったら悪いことだ。」これは違う、ということね。①②共に信じる気持ち・強さに差異はあまりない。大きく違うのは、①は個の確信・感覚が強く、②は個は実は弱い、しかし感情は強く、感覚は実のところ鈍い、と。
さて話は戻りますが、「仏界が涌現」し、アニメ・漫画がもっと面白くなる、または芸術的感性が高まり・・・という話を一度も聞いたことが無かったし、自分も感じたことが無かった。これが二つ目(二種類目)の違和感。だから上記二つの記事を残す事になったのね。「仏界が涌現」これを疑いはしていない(なんでも100:0で語り決定づけるのは早急過ぎる)、どちらかというと仏法>アニメ・漫画、いやむしろ若さ?という恐れ・懸念さえあったので、「こりゃもしそうであるならば、実は(続けていくのは)やべえな」と。
いやでもしかし、これ(仏法と好奇心の関係性-有/無)は案外、早く決着・結論付けられる疑問であるのかもしれないと思っているのですよ。だから、前回の記事、つまり電話中に無理やりああいった質問を投げかけてみたわけなんだ。
この疑問は、顕正会員や他宗教者(実は似た共通点がある)からしてみれば、重箱の隅だったり無駄な疑問とされ易いかも(あとは「あなた考えすぎです」「雑念です」笑)しれませんが、実はこれが解けさえすれば、自分の中でどう転んでも腑に落ちる、スッキリするなー・・・とw
まぁそういうわけなので明日も何時もの顕正会員の先輩との電話で↑の内容、ぶつけてみようかなって。
特に善意とか悪意とか、信じるとか疑うとかじゃなくて、「知りたい」という動機・気持ちがあるだけですね。何かが、開けそうです。

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