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ゆるっと不食生活、その後。

先日、こんなnoteを書きました。

「人って、本当に食べなければ生きていけないのかな?」

「栄養バランスをきちんと考えて食べないと健康でいられないのかな?」

「本当は食べなくても生きていけたりするんじゃない…?」

なぜか、突然そんなことを思ったのです。

(中略)

私たちの中での大前提として

「人は食べなければ生きられない」

という固定概念がありますよね。

これまでだったら大抵の人が疑うことのなかった常識でさえも、今は軽やかに手放していける時代なのかもしれません。

「食べなければ生きられない」という思いこみを試しに手放してみたら、驚くほどそこから心が軽やかになったんです。

それもそのはず。「食べること」は、生きる上で土台とも言えること。

食べる物がないという飢餓感や不安、食べなければ生きていけないという恐怖心…
そういうネガティブな思考を根こそぎ手放せたのですから、それは軽やかになりますよね。

それからというもの、さらに自分の感覚が研ぎ澄まされていくのを感じています。

食べても食べなくても生きていけるけど、今の私は何を求めているんだろう?
食べたいと思っている?食べたくないと思ってる?
食べたいと思うなら、何を食べたいんだろう?

自分の身体が欲するものに対して、とても敏感にキャッチできるようになりました。

「スイカが食べたい。」
「今日はお肉を欲してる。」
「パンよりお米。」
「この量でOK。それ以上はいらない。」
「今日はお酒飲みたいな」

3食きちんと食べなければならない、栄養バランスを考えて献立を立てなければいけないというルールたちも手放して、本当に自分の身体が欲したときに、欲するものを、欲する量だけ摂るという方法に変えました。

すると、どうでしょう。
前よりも幸福感というか、心が満たされる感覚が爆上がりしたのです。

不足感や恐怖心がなくなって、今まで以上に豊かさと感謝に満たされています。

そして、その私の波動と夫も響き合うかのように、質素な料理でも、何氣ない休日でも

「あ〜幸せだな〜。」

と夫が何度も口にするようになりました。

以前は、常に「何か欲しい」とか、休日にぐうたら過ごしてしまうと「もったいない」とか、「お肉がないと食べた氣がしない」とか言っていたんですよね。

でも、それも私が発している波動が、

「不足感」「もったいない病」「献立は栄養バランスよく作らなければ」

だったから、ということですよね。

最近は、休日ものんびり起きて、家のことをして、夕方にフラッと近所の銭湯のサウナでととのって、近所の安い定食屋さんで夕飯食べて・・・

そんな、なんでもない休日の帰り道に、

「いや〜幸せだね〜。」
「なんて豊かなんだろうねぇ。」
「ありがたいねぇ。」

なんて言い合っている2人です。

なんだか、この夏大きなものを手放せた感。
ほんとに羽が生えたように軽くなりました。

私が不食を知るきっかけになった、CHIKOTOさんのnoteと電子書籍。

ピンときた方は、ぜひ読んでみてくださいね。おすすめです。






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