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無名小説家と朝日の書斎部屋

東京に住もうと思った。
東京には情報と人が集まっており、チャンスがあるのではないかと想像したのだ。

小説を書くぞということ以外に、
特にこんな仕事をしたいという具体的イメージがなかった私は
なんとなく、風通しがよさそうで、飽きなさそうな会社を探した。
そしてたまたま内定をもらった会社に就職することに決めた。

いまでこそ、大きな会社の仲間入りをしつつあるけれど
入社当初はまだまだベンチャー企業で、整っていない場所だった。
そういう環境は積極的に手を挙げる人が活躍する。

そういう空気だろうと踏んだ私は
入社前の人事との面談で
「東京で働きたいです」と言った。

もともと、私は関西の支店の人員の採用枠として、採用されたのだった。
なにも言わなければ、計画通り大阪で働いているはずだった。

「東京に来たいの? じゃあ来ればいいんじゃない?」
そして、あっさり配属は東京になった。

人事には、東京の大きなマーケットで働き成長したいですなんて、こしらえた理由を述べて
東京に行きたいと言ったが
もっと、理由は夢見がち。

「小説を書いて、作品が世に出るチャンスがあるはずだ。東京には」

まるで、アーティストの上京物語。夢見がち。

会社員として活躍することを想定して東京にきたわけじゃなかった。
あくまで小説家をめざすために、
情報やらネットワークが東京にありそう。
そう思った。

いち早く、上京準備をしていた、
私と同じ大学出身で東京配属になった同期の子に、仲良くなった不動産屋を紹介してもらう。
(ちなみに、同期の彼女は、内定者の中で優秀という理由で、社長に気に入られ、東京に来いと言われていた。語学堪能おまけに美人)

はじめてのひとり暮らし、見知らぬ土地、それも家賃の高い東京でと。
不安要素があるだろうけど、この不動産屋のおじさんは親切で、女の子のひとり暮らしでも安心できるエリアを紹介するし、良心的なアドバイスをくれるという彼女からのオススメだった。

彼女のオススメのとおり、不動産屋のおじさんはいい人だった。
そしていい物件に出会えた。
家賃は、少し背伸びしたけれど、(東京だし仕方ない)
オートロックで安全面ばっちし、
綺麗な分譲型マンションタイプで居心地よし、宅配便BOXもある。内廊下。
そして部屋、
4階、角部屋、1K、キッチンは2口コンロ、浴室乾燥もある。
南向きベランダ、角部屋ならではの窓は東向き。
これがもう、朝日が窓から入り、日中もずっと明るい。
ベランダから見える範囲で、近くに高い建物がなく、見晴らしがよい。
天気良く空気が澄んでいる日には、なんと、端のほうに富士山が見えた。(富士山の存在に気付いたのは、住んでからだいぶ経ってからだけど)

はじめての部屋。
たしかに素敵な部屋だけど、広いわけじゃない。
6畳のスペースで、少し細長め部屋の空間利用は工夫が必要。
家具類は厳選しないとなと思った。

ベッド(服とか収納できる下に引き出しついたやつ)、これが一番かさばった。
本棚。(これもマスト品。本収納するスペースはいるでしょ。物書きなのだから)
デスクにチェア。(キチンとした執筆スペースがほしい。)
食器棚。ローテーブル。(これらは食事環境を整えようと)

そんな家具のラインナップで、狭い部屋でも大丈夫なサイズ感を選び、部屋にならべた。
長細い部屋の長い辺の片面にベッドをドーンとおいた。
もう片面には、本棚、デスク、食器棚をならべた。
あとはもはや通路というほどのスペースしかなかったが、そこに長細いローテーブルをおき、ラグを敷いた。
テレビは本棚の上に置いた。床に座ると見上げる感じだが、ベッドに座ってみればちょうどよい高さだった。

うん、ちょっと、手狭になったけど、明るい部屋で開放感があったから、そこまで圧迫感は感じなかった。
ぎゅぎゅっとつまった感じが、期待や夢を胸にした私となんかリンクした。

この家具の配置で一番気に入ったのは、
デスクの位置だった。
物書きするぞという私が一番こだわったポイントだった。

デスクの正面に、ちょうど、東向きの窓がくる。
小説を書く時間は、出勤前の朝早くが多かった。
だから、
薄暗い時間から、だんだんと日が昇り光が射してくるのだが、
夜が明ける希望に満ちた時間に、光を浴びながら、PCに向かうのは気持ちがよかった。
未来に向かって、小説を書いているような高揚感があった。

ベストポジションだな。これは。
ひとり暮らしの部屋っていうよりは、実家を離れて、
東京で書斎を作ったというマインドだった。

書斎をこしらえて、
新生活をやってみたけれど、そんなすぐに小説が書けたわけじゃなかった。
書斎をこしらえたばかりの当初は、小説を書くと言いながら、一つもまだ作品を完成させていなかった。
それに、初一人暮らし、見知らぬ土地で新生活、新入社員という
はじめてづくし。
慣れるまでに、かなり時間がかかった。創作どころではない時間がかなりあった。

親からは、「小説、小説言うてるけど、完成させてみんことには話にならんからな」としごく全うなことを言われて、
東京で出会った、ライター的な人には、「圧倒的に文章を書く量が足らん」と一蹴された。
くそー、いい作品早く完成させてやるからなと思い、
なんとか、執筆時間を確保しようと、
早起きするようになった。5時起き。

朝日とともに、私は小説を書くようになり
上京から1年半後、ようやく一つの長編小説を完成させた。
公募小説に出してみたけど、もちろん、簡単に受賞するような甘い世界じゃない。

でも、
ひとつの作品を完成させたという自信がついた。
ぎゅぎゅっとつまった書斎部屋よ、ありがとう。
そう思った。

作品を作ったという自信をもとに、
またなんとなく、物語るという作業に慣れてきだしただろうか
その半年後に二作品目を完成させた。
また公募小説に出した。

それが、なんと、
1,300作品ほど応募がある中の一次審査90数作品の中に私の作品が入った。
文芸雑誌に私の筆名が載った。
あれは、興奮したな。
(受賞まではいってない)

きみは、夢見て、小説書き続けていいんだよと言われたような気がした。
朝日の書斎部屋よ、ありがとう。
また思った。


それから、数年。
上京して7年目の現在。
あの朝日の書斎部屋からは、引っ越してしまっている。

気分を変えたくなったので、引っ越しした。
あまり広さは変わらないが、設計の空間活用がうまく広々とした生活スペースが確保されている。アクセスがよくなった分家賃も少しあがった。
まあでも、上京したばかりよりかは、少し生活水準があがった。
角部屋じゃないけど、ベランダは東向きだし、デスクもベランダにむけているしで、第二の朝日の書斎部屋になっている。

気分を変えたくなっているのも、
新しい可能性がないか、模索しているからだ。

現実のシビアさを痛感している。
公募小説はいくつか出してみたものの、あの一次審査突破だけで、他はまったく。
公募小説だけじゃなく、新たな可能性もと思って、一年ほどまえから、このnoteをしているけれど、
インターネットの海には、うじゃうじゃと、面白い書き手がいる。
その中で特出しようなんて、厳しい世界だなと思いながらも
書くことが、物語ることが好きだから、こうやって書いている。

会社員生活も
上京したばかりのころは、小説家になることが第一優先で、仕事はまあ、食べていけるくらいでいいと思っていたけれど、
さすがベンチャー企業、成長や変化が激しくて、仕事も必死でやった。
優秀とは言わないけれど、そこそこ奮闘してきたと思う。
いろいろと課題やら降ってきて、飽きず続けられた。(まあ、最近はやりきった息切れ感は否めない。)
物書きとしての特出するものよりも、もっと適性のある役割や仕事が降ってきているのを目の当たりにするにつけ、
自分の好きと他人から求められることは必ずしも同じじゃないんだなと思う。

そういえば、不動産屋を紹介してくれた美人で優秀な同期は
社長のプレッシャーでメンタルにきて、期待ほどじゃないという周囲の空気にも苦しみ、ほどなくして別環境に移る(転職)ということも目の当たりにした。

現実って厳しい。

小説を書きながら夢を見て、現実の仕事に疲弊しつつも頑張って、
そうこうしているうちに二十代を来年終えようとしている。

小説をと夢見ているうちに、時間がたっていき、
周囲は着々とライフステージを歩んでいく姿を見る。
いや、まあ、結婚、子ども、家族とそれが目的じゃないし、縁があればなんて思っているけれど、
そうのんびりしている間に、いろんな可能性を潰してきたんじゃないだろうか。
上手くいかなかった恋愛や、他の優先順位で避けた出会いのきっかけなど、いろいろと思いめぐらす。

まあ、体一つ、すべての可能性を、すべて実現するなんてできないから
選択だよなあ。

そう思って、選択をしてきた結果の現在を思う。

夢は、上京したころに見た煌びやかな輝きは鈍り、
仕事のやる気も行き詰っていて、別の仕事ないかなんて模索してて、
どん詰まっている感は否めない。

今、これを書いている、第二の朝日の書斎部屋から見える景色は曇っている。

はじめて暮らした、朝日の書斎部屋を懐かしく思いながら、
またあの希望や展望を今も探しているのかもしれない。

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まいこんのおと
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