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新曲「It's only lonely crazy days」楽曲レビュー(その3) 〜簡潔な攻撃性に見るベテランバンドの凄味と覚悟〜

前書き

この記事は新曲「It's only lonely crazy days」の楽曲レビューのその3になる。単独でも読めるが、その1から続けて読んでいただけると嬉しい。

ギリギリの攻撃性

この曲には「戦争反対 U.S.A」という歌詞がある。

ここに注目した人は多いと思う。よくぞ言ってくれた!という声も少なからず見かけた。しかし、私は「戦争反対 U.S.A」の部分だけを取り出して論じたくはない。
ここは、取り出すとすれば「無粋な showbiz テンパってんじゃん 戦争反対 U.S.A」までをひとまとまりとしてみなければならないはずだ。

「戦争反対 U.S.A」のインパクトに気を取られて見落としがちだが、「無粋な showbiz テンパってんじゃん」も相当な攻撃性をもつフレーズである。しかも、ミュージシャンは戦争には関わっていないが、showbiz には関わっている。諸刃の剣なのだ。そして、自分自身に対してもギリギリのところを攻める、高みの見物ではないメッセージだからこそ、続く「戦争反対 U.S.A」が力をもつ。安全地帯から物を言う人間を人は信用しない。

いつまでエレカシだけに戦わせる気だ?

この歌詞は計算で書けるものではない。本気で生きている人間からしか出てこない。「俺は信じてきた revolution」という歌詞もあるが、過去形で歌われていようと、その心情は過去形であるはずはない。

むしろ逆だろう。これは呼びかけなのだ。
「俺は信じてきた revolution、おまえらは違うのか?」と、この曲を聞いている私たちが問われているのだ。

私は呼びかけに応えたい。戦争反対なんて当たり前すぎる。何も大きなことはできないが、個人でだってできることはあるはずだ。寄付でも募金でも、署名でも、真剣に選挙に行くでもいい。何もしないよりははるかにマシだ。

エレカシは35年、戦いつづけてきた。
「権力者の力には鼻で笑ってこたえろ(1988年、ファイティングマン)」
「もっと力強い生活をこの手に!(1999年、ガストロンジャー)」
「革命も瞬間の積み重ね(2000年、so many people)」

そして、35周年。
「戦争反対 U.S.A(2023年、It's only lonely crazy days)」
という歌詞が、ここにきて、歌に乗せられた。

これまでは婉曲的に革命を、戦うことを促してきたエレカシが、ついに直接的に「戦争反対」と表明したのは、35年かけてもまだ革命が起こせなかったからではないのか。このストレートな反戦表明は、もはや最終手段だろう。

エレカシは今でも戦い続けている。

我々は、本当に、それをただ見ているだけでいいのか?
エレカシだけに戦わせていていいのか?
彼らが革命を起こせないまま玉砕していくのをファンはただ見送るつもりなのか?

私は同じことを言いたい。「俺は信じてきた revolution」と。
それが、エレカシと宮本浩次のファンとして、誇れる生き方だと思う。

簡潔さに見るベテランバンドの凄味と覚悟

しかし、攻撃的なメッセージが含まれていようと、この曲は全体としてはシンプルに格好いい、ザ・ロックのサウンドで、いつも通りのことを延々と歌っているだけの曲である。「一切合切 It's alright」でも「夢に向かって」でもいいが、完全にいつも通りなのだ。攻撃的なサウンドですらない。

反戦の意を示しているのは、「戦争反対 U.S.A」の一言のみである。

これはベテランバンドだからこそ為せる技である。エレカシは昔からずっとメッセージ性の強い歌を歌うバンドだが、強いメッセージを35年間歌い続け、「エレカシってこういうことを歌ってきたバンドだよね」のパブリックイメージが完全に形成されているからこそ、唐突とも言える「戦争反対 U.S.A」の一言だけでも成立させられる力を得た。

これは絶対に若手バンドには真似のできない、ベテランのロック・バンドの凄味と言えるだろう。そして、年を重ねて、いつか活動停止することも当然視野に入っているだろう彼らの、最後の覚悟を感じるのだ。

エレカシとソロの分離

そして、この「無粋な showbiz テンパってんじゃん 戦争反対 U.S.A」がエレファントカシマシで出てきたことで、ようやく、ソロ宮本浩次とエレファントカシマシの使い分けが分かってきたような気もするのだ。

正直、つい最近までは、ソロ宮本浩次は、よりキラキラした方、より音楽的な向上心を追求する方、よりロックに拘らない多ジャンルの音楽を攻める方、くらいの漠然とした考えをもっていた。が、この歌詞がエレファントカシマシで出てきたことで考えを変えた。

エレファントカシマシは、その35年間で培われてきたバンドイメージを戦略的に使っていくための場所でもあるのだろう。

仮に、この歌詞を、ソロ宮本浩次が歌っていたらどうか。まるで響き方が違うはずだ。そして、エレカシとソロで、より「showbiz」と言える売り方をしてきたのは、明らかにソロの方である。先生は、エレカシを使ってソロの自身へも攻撃性を向けていると言える。ロックなやり方だ。

現在の宮本先生は、エレカシを再始動しつつ、ソロ活動も継続していく構えを見せている。この件で確信したが、先生の中でエレカシとソロは、ファンが想像している以上に、明確に役割が分離されているのだろう。その方向性の違いがこの先の活動でさらに明確になっていくのを期待したい。

終わりに

またしても長文を書いてしまった。この「It's only lonely crazy days」について、実はまだまだ語りたいことはある。もしかするとその4が出るかもしれない。

なぜなら、ここまででメロディ、歌詞、歌の話題はあったが、肝心のバンドサウンドについてはほとんど触れてこなかったからだ。エレカシがバンドである以上、バンドサウンドについて語らずに終わらせていいとは思えない。私のモチベーションが続けば、おそらくその4が出ると思う。

ここまで読んでくださった方、ありがとうございました。

追記:続編

さらに続編を書きました。その4で完結です。


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