私が公務員を辞めてハッピーになった話 – 第3話:公務員4年目で再び辞めようって思った編
※この記事は、2018年8月15日に書きました。
私が公務員を辞めた時の話を、数回に分けて書いています。
公務員辞めたいと悩んでいる方に読んでもらえたら嬉しいです。
前回の記事を読んでいない方は、ぜひ、こちらの記事を先に読んでいただけたらと思います。
「第1話:1年目で辞めたくなる編」
「第2話:1年目で辞めますと上司に言う編」
1、公務員2年目〜3年目に辞めなかった理由
前回の記事で書いた通り、1年目の最後に「辞めたい」と上司に言った結果、庶務係から広報係へ異動することになりました。
そして、結果的に広報係に2年間いました。
あれだけ辞めたかった公務員を、広報に異動してから辞めなかったのは、やっぱり仕事が楽しかったからだと思います。
係長は、役所は新しいことをしなくても別に問題ないのですが、それでも新しいことをやろうとするタイプの人でした。
今までやったことないイベントを年に数回企画したりしていて、すごいなと思いました。
私にもイベントの企画や実施などをチャレンジさせてもらえました。
また、当時の知事が、突然「全庁的に各局がTwitterのアカウントを運用します」と発表したことで、次の日にTwitterとFacebookを始めることになり、前からSNSの運用をやりたいと言っていたので、私の担当になりました。
この頃から私はディズニーが好きだったので、ディズニーのSNSを参考にしながら、毎日更新していました。自分が考えた投稿内容が、翌日どのくらい反応があったかわかりやすく見えるので、面白かったです。(全ての投稿は決裁を取った上で投稿します。)
楽しいことだけじゃなくて、ストレスなこともありました。
例えば、やっぱり政治的な影響を目の当たりにすることとか、あとは苦情対応とか。
でも、1年目に比べたら、やっぱり楽しかったです。
公務員になってもうすぐ2年が経つ時に、結婚もしました。
仕事も前よりは楽しいし、結婚もして幸せだったのですが、やっぱりまだ、自分のやりたい仕事というのはわかっていませんでした。
この部署にいられるのは、2年間だろうな・・・。いつ辞めようか、でも辞めて何したいのかわからない・・・とずっと悩んでいました。
結論が出なかったので、異動希望の紙には「異動を希望しない」と書きました。
そして、同じ部署で公務員3年目を迎えました。
3年目は、部署は異動しなかったけれど、担当の仕事が少し変わって、私はホームページの担当になりました。
TwitterとFacebookも、そのまま私の担当でした。
(これがきっかけで、のちにWebデザイナーになりました。)
ホームページの仕事というのは、ホームページ自体は業者に委託して作ってもらっているので、日常の更新作業が仕事でした。
各部署からの更新依頼を元に、決裁を取ってから、私が更新していました。
CMSを使っていたので、HTMLなどのWebの知識がなくても更新できます。
私は、中学・高校時代に趣味でSMAPのファンサイトを作っていたので、HTMLとCSSを少しだけ知っていました。
でもそれは素人レベルの知識で、デザインの知識やスキルも全くなかったです。
それでも、久々にHTMLに触れて楽しかったし、各部署が依頼してきたままに更新するだけではなく、私がデザインやユーザビリティを考えて「こういう風に見せるのはどうですか?」とか提案することもできたので、自分の裁量があって楽しかったです。
しかもホームページの仕事は結構たくさんあって、半分くらいはホームページの仕事をしていたと思います。
時間ができたら、ホームページ、もっと良くできないかなとか、考えていました。
ホームページのことを考えている時に別の仕事が入ったら、「あ〜私ホームページだけの担当が良いのに・・・」って思いました。
ということは、ホームページの仕事に転職すれば良いのかも!って思いました。
ホームページの仕事と聞いて、すぐに思いついたのが「Webデザイナー」でした。
でも、当時の私は、HTMLとCSSをちょっと知ってるだけの素人で、Webデザイナーってなるのが難しそうって思いました。
調べてみると、HTMLとCSSだけじゃなくて、JavaScriptとかプログラミングとか、PhotoshopやIllustratorなどのデザインソフトとか、勉強しなきゃいけないことが沢山あることがわかりました。うわ・・・ハードル高いなって思っていました。
(今思うと、実際にWebデザイナーになれたので、思っていたほどハードルは高くなかったです!)
一応、Illustratorの本を買って、自分で勉強してみようと思ったのですが、数ページだけ開いて全く勉強しませんでした。笑
そして、異動希望を書く時期(11月)になったのですが、本当にどう考えても異動したい部署がありませんでした。
それでまた、「異動を希望しない」と書きました。
でも、庶務係含めて同じ課に3年いるので、次で絶対異動だろうなって思いました。
3年目の最後には、Twitterフォロワー限定イベントを実現することができました。
これは、当時ではすごく新しいことで、今までSNSで毎日発信を続けてきたことと、私でも新しいことができた!という達成感がありました。
そして、3年目の3月末、異動の内示が告げられ、異動先は、(本庁ではない)出先の事務所の契約担当でした。
本庁の次は出先だろうなと思っていたので、「そっか。やっぱり。」って思いました。
2、公務員4年目で再び転職を考える
公務員4年目の4月、出先の事務所で契約担当になりました。
広報に比べたら、ルーチンワークが多くて、決まったことをやるって感じの仕事でした。
自分の裁量でできることは、ほとんどなかったと思います。
仕事も、正直言って暇で、残業も1回もしなかったです。
同じ係の人たちは、仕事ができてすごく良い方達でした。
ただ、出先にはびっくりするくらい仕事ができない人(おじさん達)がいました。
仕事を期限までにやらない人とか、言われた通りに書類を作ることすらできない人とか、本当にびっくりしました。
「いや、こんなの1年目でもできるよ」と思っていました。ここは職業訓練所なのかもしれないって思いました。
本庁と違って、政治的なストレスを感じることは少なかったけれど、出先には仕事ができない公務員がこんなに沢山いることにショックを受けました。
(本庁にいる時から、仕事できない人が出先にいることはわかっていたけれど、ここまでとは・・・って思いました。)
やっている仕事も、役所のルールに乗っ取った事務作業を淡々とやり、仕事をしてくれないおじさん達に仕事を依頼し、それでもちゃんとした仕事をしてくれなかったり逆ギレされたりして毎日色々なことが起こり、時にはそのおじさん達の上司に頼み、それでもダメなら自分でできるところは自分でやるみたいな仕事で、全然面白くなかったです。
私はこの状況はまずいと思いました。
「私は役所の異動レールに乗って、組織の部品になってしまったんだ」って思いました。
このままだと、契約の次は経理、人事、財務、そしてまたいつか庶務・・・などへ異動して、係長や課長になって、議員にペコペコしたり、仕事しないおじさん達の尻拭いをしたりするだ・・・と思ったら、絶対嫌だなって思いました。
ただ、1年目で辞めたいって言って大ごとになってしまったことがトラウマになっていたのと、私自身、公務員としてもう3年も働いていて、このある意味安定した生活を手放して転職することに不安も感じていました。
1年目のような勢いがなくなっていました。
3、翻訳とWebデザインの勉強を始める
それでも毎日の仕事がつまらなすぎたので、他にどんな仕事ができるか考え始めました。
まず最初に、韓国語の翻訳者に転職しようと考えました。
翻訳を選んだのは、在宅でフリーランスとして働くことに憧れていたからです。
でも、最終的に、韓国語と日本語の翻訳者として転職するのは違うなっていう結論に至りました。
韓国語の翻訳案件は、英語と比べて少ない上に、日本には日本語が上手な韓国人も多いので、本当に翻訳が上手な人か、専門分野がないと難しいようです。
それで、私は翻訳実務検定(TQE)というのを受けたのですが、結果は4級でした。(1級が一番上で、5級まである。)
それから、産業翻訳者になるための添削コースも受けました。
でも、全然上手くできなくて、私は翻訳は向いてないなって思いました。
そして、次に考えたのは、Webデザイナーでした。
4月に異動して、5月には、Webデザインの学校に入学しました。
学校に通うのに、約50万円かかりました。高いなと思ったのですが、いきなり辞めて転職するより、学校でWebの勉強をしてみて自分に合うかどうか見てから転職できると思ったので、50万円払ってリスクを減らして転職できると思いました。
(実際、Webデザイナーになってしまえば50万円はあっという間に回収できるし。)
私が通った学校は、「デジタルハリウッド(デジハリ)」のWebデザイナー専攻です。
金曜日の仕事が終わった後と、土日に通っていました。
Illustrator1ヶ月、Photoshop1ヶ月、HTMLとCSSを1ヶ月、JavaScriptを1ヶ月で習って、2ヶ月で卒業制作として1つ自分でWebサイトを制作します。合計6ヶ月のコースです。
さらに、「主婦・ママクラス」っていうのに入っていたので、プラス2ヶ月でバナー制作も習いました。(私は主婦・ママじゃないけど。)
この「主婦・ママクラス」っていうのは、主婦やママが在宅フリーランスでWebの仕事をできるようになろうっていうコースです。
最初の2ヶ月のデザインの勉強は、新しいことを学ぶので大変でした。やらなきゃいけない課題も沢山あってキツかったです。(今思えば、デザインは向いてなかった)
でも、HTMLとCSSは、少しだけ知っていたのでラクでした。そして、今まで知っていたHTMLが今は使われていない書き方だということもわかりました。
JavaScriptは、最初全く理解できませんでしたが、授業(動画)を2回見て、ようやく理解できました。
ある日、学校でコーディングの課題をやっていたら、先生が、「コーディングの才能があると思うよ。転職して、制作会社でバリバリやったほうが良いよ!」って言ってくれました。すごく嬉しかったです。公務員を辞めてWebの道に進むのは不安だったのですが、その言葉がずっと私を勇気付けてくれたと思います。
4、公務員4年目の6月、再び辞めることを決意する
契約に異動してから、ずっと辞めたいって思っていましたが、同時に辞めることが怖いと思っていました。
公務員辞めたら、今みたいに、年休5日間くらいとって海外旅行とか行けなくなるかもしれない。民間企業って休み取りにくいって聞くし・・・。とか、
未経験でWebデザイナーに転職できるんだろうか・・・とか。
公務員って仕事できないとか思われて、転職できなかったらどうしよう・・・とか、
Web業界ってブラック企業が多いって聞くけど、ブラックだったらどうしよう・・・とか、
お給料が減るんじゃないか・・・とか、
今の方がマシだったらどうしようって悩んでいました。
当時は、公務員って恵まれているって思っていました。
(今だったらわかるのですが、この不安は現実にはなりませんでした。未経験でもWebデザイナーになれます。公務員だから転職できないってことはないです。ブラック企業もあるけど、行かなきゃ良いだけです。ブラックじゃない会社に転職できます。休み取りにくい会社もあるけど、休める会社もあるし、会社辞めたら長期で海外も行けます。給料は、未経験だったので最初は少しだけ減ったけど、Webデザイナー約2年の経験で、公務員4年目の給料を超えました。公務員ってそんなに給料高くないです。私の場合は、この後入った会社の方が、公務員より労働環境が良かったです。私が今まで働いた職場の中では、公務員が一番労働環境が悪かったです。)
この時、公務員を辞めた人のブログを読みまくっていました。
その中で、「迷いがなくなって、自然と辞めるんだって考えられる時が、辞めるタイミングだ」みたいなことが書いてあって、そういうものなのか〜って思いました。
それから、職場で「汚職・非行防止研修」っていうのがありました。
公務員として、正しい行動をするようにという内容のビデオを見る研修なのですが、
その中に、副業していて見つかるシーンや、病気休暇中の人が海外に行くシーンとかが出てきて、「副業や、病気休暇中に海外行くことも汚職・非行扱いの公務員なんて本当に自由がないな。」って思いました。
特に、副業が絶対的にダメなのは、私にとって致命的だなと思いました。
Webの仕事を少しずつ始めながら、軌道に乗ったら辞めるっていうことができないからです。
民間企業でも、副業禁止の会社もありますが、公務員は法律で副業禁止が決められているので、「バレたら会社辞めればいいや」では済まされない感じでした。
それから、目に入ってくるもの全てが、「公務員辞めな」っていうメッセージにしか見えなくなってきました。
例えば、当時大ヒットした「アナと雪の女王」。
転職悩んでいる方は、英語バージョンの「Let it go」を聴いてみてほしいです。
「Let the storm rage on. The cold never bothered me anyway.」
とか、公務員辞めて何か悪いこと(嵐)が起きても、そんな嵐も別に吹かせておけばいいじゃん。そんな嵐、別に何も私に影響ないよ。もう気にすることじゃないよ。
って言ってるように聞こえました。(日本語だと「風よ吹け、少しも寒くないわ」だけど。)
「It's time to see what I can do」とか、
「I’m never going back, the past is in the past」とか、自分に言われてる気がしました。
それから、ディズニーシーの、シンドバッド・ストーリーブック・ヴォヤッジっていうアトラクションに乗ってる時、「コンパス・オブ・ユア・ハート」っていう歌を聞きながらボートで進むのですが、それ乗りながらも、「公務員辞めな」って言われてるように聞こえました。
最初の「いかなる時も心のコンパスに従うのだ!」っていうセリフとか、
「人生は冒険だ、地図はないけれど、宝物探そう、信じてコンパス・オブ・ユア・ハート」っていうサビの歌詞とか。
他にも、たまたま見たCMのキャッチコピーとかも、「公務員辞めな」っていうメッセージに聞こえて来て、「あ、これは自然と辞めるって思えているってことだから、今が辞めるタイミングだ」って思いました。
それで、ものすごく唐突でしたが、6月のある日、突然「明日、辞めるって言おう」って思いました。
契約に異動したのが4月だったので、異動して2ヶ月でこうなりました。
1年目で、1ヶ月半くらい前に辞めるって言って、言うのが遅すぎると言われた経験と、Webデザインの学校を卒業してから公務員辞めて転職したいと思ったので、辞めるのは3月末にすることにしました。
3月末で辞めるのに6月に言えば、言うのが遅すぎるとは言われないと思いました。
辞めるって言うこと自体も、また止められるんじゃないかとか、また自信をなくすようなこと言われるんじゃないかとか思って、1年目の時よりも怖かったです。
でも、もう何を見ても何を聴いても、「公務員辞めな」にしか聞こえない状態だったので、辞めるしかないと思いました。
この時は、Webデザインの学校で、まだコーディングを習っていなくて、先生から、「転職した方が良い」って言われる前のことだったので、自分が本当にWebの道に進めるのかどうかも定かではない時でした。
でも、もうWebの道を信じて、「辞める」って言うことで、もっとWebの勉強頑張ろうって思いました。
「第4話:円満退職 編」へ続く