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2月7日

親ガチャとは。
自分の親が作り上げた環境ってこちら側は選べないよね、ということだ。携帯ゲームのガチャに喩えているらしい。

私の親ガチャはというと、はっきり言って大成功だった。

両親は共働きで、私の出生直後に二世帯同居をした。その為、両親がいなくとも、昼は母方の祖父母がよく遊んでくれた。「寂しい」と思ったことはなかった。
幼稚園は母も通っていたことから、地元の幼稚園に入園。その為、保育園・幼稚園戦争には巻き込まれず、穏便な幼稚園生活を過ごした。
小学校に入学すると、自分たちは勉強の面倒を見る時間が取れないからと、両親は塾に通わせてくれた。初めての九九は塾で教わった記憶がある。
他にもピアノ、水泳、習字など、興味のある習い事は何でもやらせてくれた。両親が来られない習い事のお迎えには必ず祖父母が来てくれた。
両親も時間がないなりに、休みの日は公園へ遊びに行ったり、父方の実家に帰ったり、バーベキューをしたりと充実した時間を作ってくれた。鉄棒、ローラースケート、スキー、キャッチボール、運動音痴の私に粘り強く教えてくれた。
母はメイクや脱毛、エステなど女性として流行なことに敏感で、私に対して「やってみたらいいんじゃない?」と手助けしてくれた。
父はパソコンや数学、アイドルやサッカーやダーツなど、自分の好きなことを押し付けがましくなく、一緒に楽しませてくれた。
中学時代、初めての模試でいい成績を取った時、「こんな点数は取ったことがない!2人の間の子どもとして十分すぎる、親孝行過ぎる娘だね!」と褒めてくれた。
高校時代、受験の燃え尽き症候群で家に手紙が来るほど悪い成績を取った時、「記念に写真撮ろう!」などと笑い飛ばして怒ることはしなかった。
精神的に不安定な友人の標的にされた時、「大事な娘にそういうこと言う人は許せない。死んだって許せない。」と私以上に憤慨してくれた。
大学受験直前、「大丈夫。どこに行ったって大丈夫だから。自分の勉強のことだけに集中しなさい。」と奮起させる声をかけてくれた。
大学で友人と噛み合ってないことがストレスになった時も「そんな友人、こっちからお断りだよ。どうせあと数年の付き合いなんだから。」と心を軽くしてくれた。

兎に角、私の人生全てを通して、両親から頭ごなしに自分のなにかを否定されたことがなかった。むしろ顔や考え方や勉強・運動の能力値とか、人間として測られるもの全て完璧ではないけれど、私の全てを肯定してくれた。

私にとって両親は、ずっと味方だったのだ。
今までずっと私がより生きやすい人生を作る味方だった。
二人が一番の味方だった。



2019年の10月に父親が「俺、癌らしい」と言った。
父親の7月の誕生日に受けた検査で芳しくない箇所があり、再検査したところ、癌だったというのだ。

その時点でステージ4。
でもステージ4にしちゃうと受けられない治療があるからステージ3ってことにしておきます、とお医者さんは言った。
両親と三人でお医者さんに話を聴きにいった時、何となく厳しいんだろうなって感じてた、感じざるを得ない空気を醸し出されていた。
でもそれを跳ね除けて、父親が「出来るだけ、抗いたい」と言った顔が、今も私は忘れられないのだ、今こそ父親の味方したいと思った。

父親は、本当に死ぬと思ってなかったのだろうか?
今となってはわからない。

入院中、私がお見舞いに行くと、ヨッシャ〜外出だ〜と言って、外出申請書を書き、看護師さんにヘラヘラしながら「娘とご飯食べてくる!」と言って病院の近くのあちこちのご飯を2人で食べた。焼肉とか寿司とかカレーとかオムライスとか。結構ちゃんと食べてた。死ぬ前の特別な会話は一切しなかった。

新年は自宅に帰ってきてみんなでおせちとお餅を食べた。父親はお餅に醤油をかけて海苔で巻くのが好きだった。

生きて最後に会えたその日の「ごめんなぁ今構えなくて。」と言ってた顔だけ、闘病生活の中で痛そうで、辛そうだった。

死に目は誰も看取れなかった。
家族が見舞いに入れる時間の数分前に息を引き取った。
私はバイト先から急いで電車を乗り継いで病院に行った。
病室を開けた時、痛みとか苦しみとかでギュッとなった顔をした父親が目を瞑ってた。
首を触っても何も動いてなくて、
ずっとずっと泣いた、手を握ってずっと泣いてた。
ずっと手を握ってると、顔の筋肉の強張りがゆっくりゆっくり解けて、安らかな顔になっていった。

今でも悔やむことは、「抗いたい」と言った父を助けられなかったこと。結果的に味方できなかったこと。もっと一緒に過ごしたかったと思う。
私の成人式の振袖、免許を取ってからのドライブ、結婚式のバージンロード、孫の顔を見ること。
1番楽しみにしてたのが父親だったから。

娘としての節目の姿を見てくれない父親なんて、親ガチャ失敗だと思う人もいるかもしれない。いやきっとそうなんだろう、状況としては幸せに劣る。
けど私は19年間で、そんなことどうだっていいくらいの愛を受け取ってきた。父は19年間、一番の味方であり続けてくれた。
だから、私は今も幸せなのだ。

私は父のことを考えると親ガチャっていうのは、結局「愛」なのかもしれない、と思う。そこにいるかどうかじゃない、今まで受け取った愛が本物だから、私は幸せなのだ。



父が死んだのは2020年2月7日。
今日でちょうど2年が経った。





【ひとこと】
願いを叶えて、また会う日まで。


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