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「何者か」になりたい焦燥感

今年の5月にnoteを始めてみたものの、なんか違うなーと思って、1ヶ月足らずで投稿をやめていました。

その後、4か月の時が経ちましたが、違うなと思ったのは「自分が書きたい事を書いてないから」だったからだと、やっと自覚でき。読み手が価値を感じそうな内容にしようとか、いい記事だと思われたいとか、見返りを求めていたから、しっくりきていなかったと分かりました。

という事で仕切り直して、今日から書きたい事を書こうと思います。価値があるかどうかは、これを読んでくれる方に託します。

(アイコンを自分の写真から犬に変えましたが、顔を隠した方が本心を書けそうだなと思って変更!)

最初にnoteを書いた頃、私は人生に焦っていて、「何者かになりたい」という焦燥感がありました。今でも、自分が何者でもない感覚があり、Instaで生き生きと活躍しているフリーランスの方や、専門的なスキル・肩書きをもって仕事に邁進されている方に、強い羨ましさと憧れをもっています。

私はIT企業に11年勤めていますが、自分が何かを作れるとか、これなら誰にも負けない!といったものがなく。だから、今から何かを習得して、「何もない自分」を埋めて、「何者かの自分」を手に入れたいと思っていました。正直なところ今も、そういう思いはあります。

でも、「ない状態」を前提に探しても、一向に心にぱちっとはまるものがありませんでした。興味ある事を何ページもノートに書き出して、共通項を見つけたり、これならビジネスにできるかな?って計算してみたり。でもすぐに、この領域は〇〇さんがパイオニアだし…これは市場が飽和状態だし…と、やらない理由が頭を占拠して、グルグルして、思考停止、終了、という事を繰り返していました。

一向に埋まらない焦燥感と不足感。「あるものに目を向けましょう」って名言集みたいな本にも書いてあるし、頭では分かっているけど。「ないものを埋めないと価値が出ない」と、心の内側の内側で思っていたから、ずっと「ないものを埋める事」にとらわれていたんだと思います。

私の父は器用に物事をこなせる人で、そういうオールマイティさがカッコよさの象徴だった事もあり、小さい頃から私自身もオールAを取る事が快感でした。不足を埋めればカッコよくなれる、という法則が無意識にあったのだと思います。

だから4か月前に始めたnoteも、「自分には今ないものだけど、これから手に入れて、学習しながらアウトプット」したら、カッコイイし、価値が提供できると思って書き始めました。そして分かったのは、不足を埋めるための行動は疲弊するという事。そしてその行動は、「自分にはない」と証明するようなものだったので、自分を更に追い詰めるものだったという事でした。

もちろん学習する事やインプットは素晴らしい事だと思います。「今の自分を、更にプラスにしたい」という気持ちが前提で。

試行錯誤する中で、ある日ふと気づきました。よーーく考えたら、価値があるかどうかって、自分1人で決められるものじゃないなと。当たり前の事なんですが、この考え方を腹落ちできていなくて、ちょっとしたターニングポイントになりました。それと、私は価値=お金に変わるもの という考え方がものすごく強くこびりついていたのですが、一度お金を度外視して、人の役に立てる事があるとしたらどんな事?と客観的に考え直した事も、気づきのきっかけになった1つです。

私がすでに当たり前に持っているものの中に、誰かが価値を感じられるものがあるかもしれない。それはずっと私が求め続けている仕事のスキルや肩書きや、お金に変わる事ではないかもしれないけど、さまよい続けた思考の過程であれば、私しかもっていないものとして表現できる。

私の迷いや失敗が、誰かの励みなったり、応援メッセージとして元気に繋がったら、それ以上に嬉しい事はありません。私もnoteの場を借りて、自分の「あるもの」に焦点をあて、自分を前進させる場にさせてもらいたいなと思います。

よし。自分にしか書けない事、書きたい事、好きに書いていってみます!

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