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炎症性乳がんになった私・・・ でも元気です! (2) 抗がん剤治療と治療中の出来事

(1)の続きです!

 翌朝早く、エリノール先生のいる大病院から電話がかかってきました。

「今日、こちらにすぐ来られますか? 明日でもいいですよ」

えっ?!

 検査後すぐに来いと言われるのは、必ず悪い知らせです。私は今日行くと即答しました。夫もついてくると言いました。

 待合室に私と夫を呼びに来たエリノール先生の表情は固く、ああやっぱりこれは何かあるんだと覚悟を決めました。それまでに私はネットで色々な情報を探していました。

乳房が赤く固くなるこの症状は、「炎症性乳がん」という希少な乳がんではないのか?

鎖骨部分を触ってみると、既に鎖骨した部分に小さなしこりがあります。触っても動かないこのしこりがあるということは、かなり進行しているのかもしれない。私は神妙にエリノール先生の話を聞きました。

前日の検査の結果はこうでした。

左脇の下に病的に肥大したリンパ球が複数(5個以下)、最大のものは5.7 x 2.9cm

左鎖骨下に病的なリンパ球複数、最大は直径 2.2cm

左鎖骨上に肥大したリンパ球複数、最大は1.5cm

がんは思っていたよりずっと、進行していることがわかりました。私はあらかじめネットで調べていたので、心の準備ができていましたが、夫の方がすごいショックを受けていました。(「患者本人より夫の方がショックを受けている様子だった」とカルテにも書かれていて、後で笑いました)

 乳がんの中でも炎症性乳がんの進行はとても速いと聞いたので、民間治療や自然の治癒力では決して間に合わない。なるべく早く抗がん剤治療を受けるしかない、と即座に判断しました。

 患者によってはまず摘出手術を受けてから抗がん剤治療を受けるということですが、私の場合もうかなり進行しているので、まずは抗がん剤治療を受けてがん細胞を小さくしてからでないと、いい手術にはならない、とエリノール先生は言われました。

 抗がん剤治療か・・・ 色々と恐ろしい話を聞いているので気がすすまないけれど、もうそれを受けるしか生きる道はなさそうです。私は、明日から抗がん剤を受けます! と宣言しました。先生は、その前にやらなくてはいけない準備があるのだと言います。

それにしても、大変な病気にかかってしまった・・・ ネットで調べると、炎症性乳がんの5年生存率は50パーセントとなっています。少し古いサイトになると、5年生存率が10パーセントと書いてあるページまであって、私は絶望的な気持ちになりました。

炎症性乳がんは、レベルでいうとⅢ期のCになります。つまり、末期とされる期の一歩手前ということです。期となると、完治はもう望めず、できるだけ長く生きられるように延命治療をすることになります。

Ki50パーセントを超える値が出たということは、かなり進行が早いがんだということです。こうなれば一刻も早く抗がん剤を受けたいと思いました。

もちろん、抗がん剤には反対意見を持つ人もたくさんいることは知っています。しかし、これほどまでに進行度が早いがんの場合、抗がん剤を使わずに治るということはありえないように思いました。

その後、他の臓器や骨などに転移していないかをまず調べるため、全身の検査を受けました。これらの検査は抗がん剤治療を始める前に必ずしなくてはならない、ということで、がん診断から抗がん剤治療開始まで二週間半ほどの間がありました。

その間が、私が最も恐怖を感じた期間でした。

それにしても、もし私が夫の忠告を無視して、超音波検査を言われた通り9月30日まで待っていたらどうなったでしょうか。このがんの進行の速度を考えても、治療の結果は全く違ったものになっていたはずです。それを考えると本当にぞっとします。あの時のふとした電話で、命拾いをしたのでした。

息ができない!

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