旅行先で事故したらどうなる?①転落
今回は私が体験した事故の話を少し書こうと思いました。
子どもを抱っこしたまま、転落しそうになった。ヒヤリハットの体験多いと思います。この事故未遂は、ネット検索してもヒットしてきます。
息子は3歳の時、宿泊先のホテルの階段を、パパに抱っこされながら、一階分転落しました。
私はこの事故以来、階段は怖いのですが、子どもを抱っこして、降りていく人が、ハイヒールだったり、重い荷物を持ってたり、走っていったり、見ていられません。
手すりをもったり、歩ける子は手を繋いで歩いてもらったり、エレベーターを使ったり、スニーカーを履いたり、とにかく慎重におりていくことを心がけたり。
やれることは色々あります。“急がば回れ!”私は心で叫んでしまいます。
自分も子どもも、大事なパートナーや友人を守るために、これを読んで怖いなーと思ったら、是非安全対策してもらえたらと思って書くことにしました。
ここからは、楽しかった家族旅行が一瞬で様変わりした話しになります。
転落
伊豆への旅行に行った時でした。
子どもが大好きな動物園などをまわり、海やプールなどはじめての体験もして、すごく楽しんだ旅行の最終日のことでした。
今日は時間があれば、ここ行こったかっ!なんて話が盛り上がり。何事もなく、家に帰っていく、そんな当たり前な最終日を過ごす予定でした。
朝を迎え、朝ご飯を食べようと、パパはサンダルでホテルの部屋を出ていきました。
夕食バイキングもおいしかったので、朝食バイキングもとても楽しみにしてました。旦那が息子を抱っこしながら、息子の大好きな『いないいないばあ』の『のりものステーション』を歌いながら、レストランに向かっていたのです。
朝食会場は2階下だったと記憶してます。エレベーターに乗ろうと思ってたのですが、朝食に向かう人で満員だったため、隣にあった階段で降りていくことにしました。
そして、それは一瞬の出来事でした。
階段を一、二歩踏み出したとき、楽しい歌声が途切れ、えっ!?と思ったときには息子と旦那の姿は隣から消えてました。
そして、目を階段の下に向けると、既に旦那は子どもをぎゅっと抱え階段の途中で一回転目の腰をぶつけ、さらに前回りでもう一回落ちていくのがみえました。
何故前回りと思ったのですが。後から聞いたら、子どもを庇うためと言ってました。
旦那と息子の元に駆け寄ってると、旦那は息子をそっと横におき、苦痛で転がり回っていました。
息子は額を流血しており、立ったまま大泣きしていたのでした。
私はどうしていいかわからず、息子を抱えながらオロオロしていました。
看護師のご夫婦
この時とても運が良かったのは、たまたま宿泊していた看護師さんの夫婦が通りかかってくれたことでした。
息子の様子をみて、頭打ってる可能性があるので、抱っこをやめて横向きに寝かすように言われ、症状や状態をみて貰えました。
旦那の方も足の動きや足の感覚があることを確認して、神経が正常であることをみてくれました。
ホテルの方もすぐ駆けつけて来ていただき、看護師のご夫婦と共に応急処置も救急車の手配など諸々対応していただいたのです。
私はとても役立たずでした。”パニックってはだめだ!子どももいるし、私しかいないし、気をしっかりしなきゃ”と奮い立たせていたことだけはしっかり覚えています。
お名前をきくのも忘れてしまったのですが、ずっとそばにいて声をかけてくれていたこと、ものすごく心強かったです。
お二人の存在がいなければ、私も不安で押しつぶされていたところでした。
こういう時に、感謝という言葉しか語彙力がないことに不甲斐なさを感じます。
救急車
救急車が着いてから、病院まではながかったです。
観光地ということ、土曜早朝ということ、子どもと大人二人の受け入れということで、病院はなかなか見つかりませんでした。
結果的に、到着から30分位後に(実際はわかりませんが)、40分先の大きな病院へ運ばれることになりました。
救急車に乗り込む前に、”終わったら電話下さい。迎えに行きます!”とホテルの方が電話番号を書いたメモをサッと手渡していただいたのを覚えています。
この事故は不運だったのですが、周りの方にとても恵まれました。親切で支えて頂けていたんだと、こうやって振り返るとまた改めて感じます。
救急車の中では、旦那は痛みにもがいていたり、車が、アップダウンするたび辛そうにして、怪我が大したことないことをただただ祈っていたことを覚えてます。
診断結果
病院に運び、ちゃんと診察して貰える安心感なのか、あまり細かく覚えてないのですが、息子の簡単な診断をしてもらった後、とにかく待合室でかなり待った記憶があります。
診断結果ですが、息子は旦那が庇ってくれたこともあり、頭は大丈夫だということで、ステープラーで二針縫うだけで済みました。
しかし、旦那の方はレントゲン結果から第一腰椎の圧迫骨折と診断され、即入院となったのでした。
そして、入院手続きをしたあと、これからのことを話しあったのは、3時くらいだった記憶があります。
何を話したのか、しっかり覚えてませんが、記憶を呼び戻すと、こんなようなことだったと思います
救急車に乗る時に手渡された電話番号に電話し、もう一泊させてほしいことを伝えると、”大丈夫ですよ。荷物もそのままにしてありますので、宿泊してください。”と快諾。私だけなら病院もあったのですが、息子もいるし、泊まる場所があったことに、涙が出るほど嬉しかったのを今でも覚えています。
宿泊先が決まり、ホッとしたときにきづいたのですが、息子を出血したままで抱っこしていたので、私の服も血まみれで、外を歩ける状態ではありませんでした。
息子
3歳の息子は、イヤイヤ期もあり、その時期特有の自己主張が強い時期でした。長距離のドライブとか、親の用事など、じっと黙ってついてきたことはなかったのですが、この事故の日や翌日、自己主張をすることもなく、ずっと黙って私についてきて、本当に素直で大人しくしてました。家に二人で帰る際も、めちゃくちゃ大人しく後部座席に座っていてくれました。
子どもなりにどんな状況か、分かっていたのかと思います。
小さい時の事故、私も体験あります。7歳の時に車の事故で私以外の家族全員入院して、私だけあまり認識のない親戚の家に預けられました。とても心ボソくて、親戚の家ではすごく大人しくしていた記憶があります。
あの時の寂しかった記憶と、事故の時の孤独感、きっと息子も同じ気持ちかと思うと、私くらいは事故前と同じように振る舞わなきゃと気持ちを引き締めたのを覚えてます。
長くなってきたので、ここからは次回にしようと思います。
事故翌日、帰路、転院先や転院方法、家事と育児と病院の付き添いなど、どんなことが必要になっていったのか、書いていけたらと思ってます。