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私の読書遍歴① 成長期

物心ついた時から本が好きだった。
一番古い記憶は、ノンタンだ。幼稚園に通い始める前から読んでいた(正確には母に読み聞かせしてもらっていた)本だ。

「ノンタンぶらんこのせて」の表紙をいまでも覚えている。本そのもののツルツルとした手触りも好きで、どこに行くにも持参していた記憶がある。幼児が小脇に抱えるのに、ちょうどいい大きさと重みの本。

図書館にもよく連れて行ってもらった。図書館で借りた本で記憶に残っているのは、「泣いた赤鬼」だ。
村人と仲良くしたい赤鬼のために、青鬼が一肌脱ぐ話。自分が乱暴者のフリをして村を襲うから、君が僕を退治すればいいよと、青鬼が赤鬼に提案するのだ。
たしか作家の江國香織さんが、「私は切ないという感情を『泣いた赤鬼』で学んだ」というようなことを言っていたと思うが、私もまさにそうだ。青鬼が去っていってしまった後のなんともやるせない気持ち。取り残されてしまった物悲しさ。あれが人生においてはじめての「切ない」だったかもしれない。

小学校低学年の頃には、図書の時間があった。クラス全員で図書室に移動し、それぞれが好きな本を読む時間だ。当時は「旅の絵本」「あたまをつかった小さなおばあさん」にはまっていた。ドはまりと言っていい。

「旅の絵本」は、穏やかな色合いと静かな空気が好きだった。
図書の時間のたびにこのシリーズを開いて静かに眺めるルーティーン。それはまさに、疲れた大人が日々の喧騒から逃れてサウナに足繫く通う行為に似ている。
小学生なりに、「この本を眺めていると不思議と心が“整う”」と感じていたのかもしれない。

「あたまをつかった小さなおばあさん」は、心がうきうきするタイプの本で、主人公のおばあさんが、日々の暮らしのモヤモヤを知恵と工夫で解決していく物語だ。
冬を迎えたおばあさんが、飼っていたガチョウの羽で羽毛布団をつくり、ガチョウには古い毛布をほどいて編み直した毛糸のベストを着せてやるというエピソードは、今でもその挿絵とともに鮮明に憶えている。
大人になった私が、YouTubeで日々の暮らしの工夫をまとめた動画を見るのが好きなのは、このあたりにルーツがあるのかもしれない。

小学校三年生くらいになると、「クレヨン王国」シリーズを読んでいた記憶がある。
福永令三さんの書かれた、ファンタジー小説だ。人生で唯一読破したファンタジー小説のシリーズだと思う。
このシリーズの中に、苺の絵が描かれた表紙の本があって、その中に収録されたスミレのお話が特に好きで、繰り返し読んだ記憶がある(気に入るととことん再読する癖は、幼児の頃にすでに確立されていたようだ)。
「10歳の子供に本をプレゼントするとしたら何を選ぶか?」という質問をされたとしたら、私はこのクレヨン王国シリーズを挙げると思う。

子供の頃は、本屋に住みたいと本気で願っていた。暖かくて明るくて、読み切れないほどの本があるからだ。
大人になり、暖かくて明るい居住スペースと、Kindle Unlimitedを手に入れた。これはもう、本屋に住んでいるようなものである。
子供の頃の夢をかなえたのだから、幸せというより他ない。

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