おすすめ本No.5 『モモ』ミヒャエル・エンデ
ミヒャエル・エンデの書いた「モモ」という、タイトルだけ知っていた本を読んでみた。
児童向けのファンタジー小説という、ふんわりとした予備知識だけはあったのだが、読んでみると色々と裏切られた。まず、思っていたよりボリュームがあった。
浮浪児の少女モモが仲間と出会い、すったもんだあった後にみんなを幸せにするという、ミュージカル「アニー」に近いストーリー展開を想像していたのだが、話はもう少し込み入っていて、三部仕立てになっている。
話が込み入ったわけは、筆者がこの物語に配置した最大の試練にあると思う。
主人公の少女が乗り越えるべき試練が、「人々の時間を取り戻す」という、なんとも深遠なものだからだ。
時間節約という毒
作中に登場する「時間どろぼう」たちは、「時間節約こそ幸福の道」と謳い、人々の心を惑わせる。大人たちはこの言葉を真に受けて、自分の仕事に効率を追い求めるあまり、情熱も愛情も失い、ついには大事な人との時間までケチケチするようになっていく。人々の生活は、物理的な豊かさと引き換えに、精神的な豊かさを失っていくのだ。
時間節約という毒がまわり、効率を追い求めて時間をひねり出す。しかしそのひねり出された時間は、自分らしく生きることには使えず、「時間どろぼう」に奪われ消費されていく。
このエピソードを、この皮肉を、子供の頃に読んでいたら自分はどう受け止めただろう。大人たちが何故、時間を節約するために自分自身の本当の時間を手放してしまうのか、不思議に思っただろうか。
作中でただ一人、「時間どろぼう」の言葉に騙されず、自分の時間を売り渡さなかった主人公のモモのように。
ひとつとして同じもののない時間の花
物語の終盤、モモは大切な仲間たちの時間を取り戻すため、「時間どろぼう」に立ち向かうことになる。そこでモモは、時間の生まれる場所に行きつくのだが、その描写がとても美しかった。
筆者は人間の時間を花にたとえている。
ひとつとして同じもののない人間たちの時間の花が、次々に咲いては朽ちていくさまが、映像で浮かび上がってくるような鮮明な描写だった。
あの時間の花のシーンだけでも映画で観てみたいと思っていたら、どうやら再び映画化されるらしい(1986年に一度ドイツ語で映画化されたが、今度は英語で映画化されるとのこと)。
機会があったら映画館で観てみたい。
そして、周りのこどもがどんな反応をするのかも見てみたいと思う。
Kindle Unlimitedでも読めます。
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