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私と曲擬人化についての考え方


私は現在進行形で曲/擬人化をしている。
曲に姿と自我を与えて楽しむことを目的としたカルチャーらしい(pixiv百科事典/曲擬人化の記事より)。

曲/擬人化というものについての自分なりの考え方とかポリシーとか書き残そうと感じた、若干人に見てもらいたいという気持ちもある。

ここに描かれていることがマナーとかではない、そこは意識してほしい

あと、定期的に修正されたり追加されたりする

・前提として曲/擬人化の考え方は人それぞれ

曲/擬人化というのは「曲の解釈の違い」や「外見や設定の落としどころの違い」というのが面白いと思っている、その上で外見が中心~とか様々な機種を超えて~とか設定を重視して盛り込んで~とか、そういう人によって曲/擬人化の捉え方も違う、それが曲擬人化を見る上では楽しいと思う。

自分とは正反対の考え方もあるし、合わないと思うこともある。

合わなければ関わらないなりミュートするなり、いろんな対策はあるしね。

・愛があるから曲擬人化をする

私はグル/コス曲やそれに入っているゲーム曲などを擬人化している、それがメイン、それ故に実は他の曲を擬人化できない。

他の曲も「擬人化して~」と言われたら擬人化できるとは思う、ただ自分にはそれで擬人化された子を最後まで見れるかどうかの自信がない、自信があったら(その機種にハマったら)擬人化できると思う。

・基本は自己満足

そもそも曲/擬人化をし始めた理由も「勝手に擬人化してた」っていう感じの何気ないきっかけ、好きが昂じてこうなっている。

小説をpixivで投稿していたりする面から意外にも思われそうだが、交流がなくても擬人化してる、交流目的ではない。
だからうちのこを描いてもらわなくても大丈夫、描いてもらったらクソ嬉しいのは変わりない、クソ嬉しい。

・擬人化する=子供を産む?

擬人化したのなら最後まで彼らを見守っていきたいと思っていく、決して「飽きた」や「自信を持てなくなった」や「別の事の方が交流できる」っていう点などで彼らを見捨てたりしない。

自分の擬を自分が見れなくなったら他に誰が自分の擬を見るのか?

そういう思いからうちのこを本当の自分の子供のように扱うことがあるんだと思う。

正直一度産んだ子を見捨てようとするor見捨てる行為は曲に対する冒涜だと考えている節もある。

私は他人の意見に踏み込む権利もないので思っているだけだが…

・擬人化は絵で表現できない部分もある

正直私が絵で表現するのが苦手という事もあるが、基本的に絵で全てを完結させようとは思わない。

むしろ私は設定やストーリーに拘りながら擬人化をしている。

曲は擬人化しようとすると様々な思いやストーリー、テーマを纏める必要がある、一音一音伝えたいことが詰まっており、展開やそれを彩る背景、これを全部絵だけで表現するのは無理がある、私はそう思っている。

余談だが、こういう考えをするようになった理由の一つとして、私の好きな作曲家さんの言葉がある。
偶然にもその人とお話しすることがあって、とある曲の音の意味について直接質問したことがある。
その答えが「曲を構成する音には全て意味がある」といった答えで深く心に残り、曲/擬人化をする上で重要視することとなった。

・曲/擬人化でストーリーを作る理由

それはAC音ゲー特有という事と、自分が曲をずっと追っていきたいと思っているからだと考える。

私はpixivで小説を勝手に書いているが、時期によって曲の背景の違いが変わったりする、それを記すのに一番手っ取り早いということも。

もう一つ、曲は生きているという私の思想が関係している。

曲は少しばかり思いを持って生まれたので、生まれてきた子がどのように生きるかというのを見守っていきたいという考えがある。
私の連載している擬小説や私の曲/擬人化はそれを軸にして考えている。

・とりあえず結論

私は曲に拘り過ぎている変態だ

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