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向き不向きは甘えではない
仕事で『向き不向き』みたいな話をすると、甘えだとか、努力してから言えみたいな時代を社会人として泳いできた昭和生まれの私ですが。「仕事に向き不向きはありますでしょ」という考えに落ち着いている。落ち着くというか、以前より強まっている。
向いていなかった環境の時代は、自分をどんなに責め叱咤したとて興味が薄く、元々もっていた真面目さ一本でなんとか勤めていた。その環境で私が活かせるのは真面目さしかないと痛感していた。
共に働く仲間は大好きだったけれど、どうにも職種が合わず消耗した。消耗していることを認め、重い腰を上げて転職という環境替えをすることにした。仕事の引っ越しだ、新しい場所に移ってみよう。
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向いている環境が見つかってからというもの、精神的には良好なのにもかかわらず、前職より役に立てている事を実感できた。『これが向いているって事か』劣等感もわいてこないぞ。
ストレスがとても少ないのに、パフォーマンスは以前よりも良いという。なんということでしょう。
昭和生まれのため、『楽な仕事なんて他の人より怠けているだけだ』という思い込みもまだ、いくぶん身体に残っているけれど。もう一度言おう、ストレスが減るのに、パフォーマンスは以前より良いのです。なんということでしょう?!
一生懸命になれない自分を恥じたり責めたり、疑問に思ったりしていたけど、それらが私の特性を活かせる場所じゃなかっただけだ。向いている環境を見つけ、そのように腹落ちしているのです。
努力で乗り越える胆力のある人は本当に凄いと思う、もちろん称賛している。私がそちら側には行けなかったというだけのこと。胆力がないのです。わたしは無理しても花なんて開かない、なんならしおれてしまう。しおれたから環境を変えたのだ、変えたらまた咲いた。
向き不向きは、甘えなんかじゃない。
少なくとも、私から見えている世界においては。
何事も人によるのだから他者と比べずに、「過去の自分」と「いまの自分」のどちらがより良いかを自身で選択してゆけばよい。そう思っておりますよ。