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長崎の原爆と北九州

皆さまこんにちは。
彰子(しょうし)です。

77年前の今日、
長崎に原爆が落とされました。
8月6日の投稿にも書きましたが、
長崎の原爆は、元々北九州に投下される予定でした。
北九州には八幡製鉄所を初めとした工場地帯があったため、
そこが狙われたようです。

〜〜以下、「原子爆弾投下までの米軍側の記録」を参考に記載〜〜
投下目標ポイントは小倉。
しかし、当時の小倉は雲に覆われていた。
投下目標を目視確認しようと、3回に渡り爆撃態勢に入ったが、
確認できなかった。
(原爆の投下は必ず目視で確認してから行わなければならない、とされていた)
すでに爆撃態勢に入ってから50分を経過しており、
残りのガソリンも少なかったため、
第二目標である長崎へ向かった。
長崎も、雲の切れ目からかろうじて目視できる程度の視界だったが、投下に至った。

〜〜〜〜
繰り返しになりますが、私は、北九州の出身であり、
本来、原爆は北九州に投下されるはずだったにも関わらず、
長崎に投下された、という点は幼少期から聞かされていました。

北九州全体でその意識が強いようです。
私の小学校では、修学旅行は長崎に行き、
原爆資料館、爆心地に近い浦上天主堂を訪れました。
さらに平和公園を訪れた際は、
千羽鶴を捧げ、平和祈念像の前で、原爆の歌である『夾竹桃のうた』を捧げました。
原爆資料館での衝撃的な写真は、
大人になった今でも強く心に刻まれたままです。
この惨状が身近な北九州で起こる予定だったこと、
雲の影響で長崎になったこと。
生かされた北九州出身者には、
後世に原爆の惨状を伝え、核なき世界を訴えるよう、
使命を与えられているような気もします。

私はこうしてnoteに想いを綴ることで、
広島、長崎の原爆が教科書の中の出来事ではなく、
少しでも身近な出来事だったと捉えていただければ幸いです。

彰子(しょうし)


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