富樫森著「俳優の演技術」を読んで、まずは感じたこと②
人間のコミュニケーション
会話とは、
相手の話す言葉を聞く→内容を理解する→相手に言葉を届ける
これの繰り返しである。
つまり、相手がどう話すかは予定されない。(209頁より)
このことが大前提としてある。
サブテキスト
サブテキストがある台詞・会話・場面は、意図しなくても伝わる場合と意図的に伝える場合がある。
台詞を言う役者がサブテキストを意識して演技することで、心の中で思っていることは伝わる。
自分が受ける台詞にどんなサブテキストがあるかということまで脚本に向かう段階で行う。演技する段階になったら、相手の台詞はそれに含まれるニュアンスもよく聞くこと。
言葉に含まれるニュアンスまでもを理解して話すことが人間のコミュニケーションである。
芸術作品にはメリハリがあるもの。
上の内容を実践して演技すると、芝居の中にさまざまな顔や表情が表れる。顔つきや表情が面白く変化するからずっと見ていたくなる。会話の中に感情が溢れているのがお芝居である。
それぞれの台詞をどう言ってほしいかは脚本に書かれていない。しかし、演じるにあたっては、自分でト書きを表に出して明確にしまわないといけない。これは1人1人が読み取るもので、正解はない。人によって違うから面白い。でも、始めの「私はここはこうだと感じる、思う」には、”私”がどういう人間なのかが表れる。
台詞を覚えて、いざ本番。
抑揚をつけないで。棒読みで。
しかし、最終的にどんな感情になるのかは台本(現場での呼び方に変わりました。)によって定められている。だから、頭で予定していることと今の感情の動きを同時に行わなければならない。これはつまり、考えることと感じることを同時に行う、という鴻上尚史さんの表現の言い換えだな。
観客は役の人物を見に来ているのであって、自分や自分の演技を見に来ているわけではない。役の人物を通して、脚本が作り出す世界を味わいたい。
人間は未来が見えない。だからその場で起こった相手との関係に身を委ねる。そのシーンで持つべき「核心」だけを持って相手の前に飛び出し、そこで生まれた感情で演技すること。常に役者が持っている感情が意図より前に出なければならない。そうするために、段取り・言い方・行為などの演技プランは捨てる。
逆に演技プランを持ったままだと、自分の感情が本番で動かなくなってしまう。
――ピアノで言うなら、ある程度は楽譜通りで決められているし自分なりに方向性を決めておくが、本番のピアノや自分のテンションで多少なりとも変わるし、全く同じ演奏は二度とできない。ただ、型がガチガチに決まっていたりすると自分でいじれる部分が少ないので、ロマン派以降くらいの自由に弾ける曲がいいかな、と思う。代表的かつ私が好きなのはショパン。演奏者によって全然違うものになる、そういうもん。こんな感じ……伝わるかなぁ?
プロで上手と言われている俳優は、用意したものを捨てるという課題にどう向き合うのかというと、「核心」と「ある程度の演技プラン」だけを持ってきて、あとは現場や監督(舞台なら演出家)から、そして相手から受け取ったもので演じる俳優がほとんどだと思いますだそうです。へぇ!!
また、お芝居は「あなたの感情で~」と説明されているように、自分の感情を使うものである。よって本来の自分を解放して相手に見せるところから始まる。自分が殻をかぶっている限り、お芝居は成立しない。
歌手をもっと広くして音楽家とすれば「音楽の内容はその音楽家にとって本当のことなのです」に変わるな、つまりショパンの曲に感動するのはショパンにとっての本当のことが伝わってくるからということ。幻想ポロネーズが好きなのはそういうこと、的を射た表現です🥲
緊張は誰でもします!
緊張を解く方法として、まず大切なのは腹式呼吸をすること。鴻上さんの発声の本を読んで調べた時のを下に貼っとく。
緊張すると息が浅くなるので、意図的に深く呼吸して落ち着かせよう。
また、緊張するのは不安があるからである。できることはすべてやった状態で本番に臨もう。それでも緊張するのは仕方ない、人間だもの。
監督もスタッフも他の俳優たちもみんな緊張している。そこで最高のものを出し合おうとする緊張感のあるその時が、ものづくりの時間である。
スタッフの立場から。
これは映画・ドラマに限った話ではない。
「映像メディアのプロになる!」という本で作品(ドラマではないテレビ番組のこと。それらも「作品」なのか、と本気度に感嘆しました。)のスタッフたちについて読みました。その時の記事でチラッと書いた通りちょこっとバイトしてるので、本番でいきなり変わる場面に遭遇したことはないけど困る。カメラマンの後ろがてんやわんやになってる画が頭に浮かぶ。
演技の相手の立場から。
カットバックとは、見つめ合う2人を交互に映す手法のこと。たいていは片方のお芝居を通して撮り、その時の相手は写っているかいないか微妙なところ。相手を撮って自分が写っていない場合の、役ではない自分としての思いやりについて。
常に1回目である
俳優を含めて映画や演劇などの芸術に携わる人は、目に見えない人間の内部を扱っている。よって…↓
それに、観客からすればその物語の中で起こる出来事は、初めて見るものである。いつでも初めての感覚でいることで、ビビッドな反応ができるし、それで観客は心揺さぶられる。観客は、感情を感じて、心を揺さぶられたい。
観ててしんどいだろうってわかってるのに気になって結局観てしまうのはある種の中毒症ですな。わたくし、心揺さぶられたい中毒症の患者でございます笑笑
ただし、持っている感情(実質)が足りない時、形だけでも盛った方が良いか?
答えは否。
常にその時にそこで生まれた感情で演技すること。持ち得た感情に即した声を出すこと。だからこそ、本番に必要な実質を持ってくること。これは役者の仕事の最も大切なことの1つ。しかし形を要求される場面もあるので、その時は形を見せる。つまり、形を見せることと感情(実質)を持つことの優先順位をつけなければならないということ。
感情を持つ方法
書き方は違っているが、言っていることは魔法の「もし」ですね。
俳優は台本に書かれた通りに動く人形ではない。
日々の実践方法
①演技漬けになれる環境に身を置く
②考えを文字にする・言葉にする
③作品と自分に徹底的に向き合ってみる
④クセを直す
⑤自分の方法を編む
⑥映画を見る
早速ですが考えたことは文字にしなくても脳内に存在します。科学的に言えば、脳の働きは物質が神経細胞中やシナプスを通って動いています。つまり肉眼では見えなくても実際に物理的なエネルギーが存在します。
※参考図書「『人間とは何か』はすべて脳が教えてくれる」カーヤ=ノーデンゲン
急に脳科学を持ち出すと元研究医志望としての性格が丸出しになりますなァ、事実だからしょうがない。脳はまだわからないことだらけだけど超重要で奥が深くて面白くてヲタクとしては「ここ掘れワンワン」されてる気分なんですよ(一息)
「考えていたこととなんだか違うことを書いているものです」とのことですが、頭の中で固めてから書き始めるとそうでもないと思います。
「あなたは何のために俳優をしたいのですか?」と③で問われますが、いつも言ってるやつ~!細かく書くと延々語ることになるので省略。気になる方は自己紹介を見てください。
⑥については少なくとも映画を年間100本って書いてあります。
映画1本あたり2時間とすると年間200時間。「1万時間の法則」とか言うので、1万を目安とします。10000÷200=50なので、この法則が成り立つとするなら達成するまでに50年かかりますね。映画に限らずドラマを含んでいいなら……私は中学以降の約8年で1万は突破してるというざっっくりした計算結果が出たという衝撃事実に基づくと楽勝説あり。いちいち計算してしまうところ、元ガリ勉の気質が丸出しだ。
役者として生きる情熱はあるか。
表に出さずとも情熱が溢れてしまう人がいるそうですがこれはもう隠しきれないヲタクというやつですね。オタクとしての成長過程で自分なりに論じ始めたりとか色々主張し始める。参考まで実技科目・オタク学を。
冨樫さん、くどいくらい同じ作品を例に出すから、きっとその道のヲタクなんですね!
俳優の魅力とは
いつかどこかで誰かが魅力的だねって言ってくれるように努力しましょう。それで何か、良いことありますように𓂃 𓈒𓏸◌