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富樫森著「俳優の演技術」を読んで、まずは感じたこと②


前回(①)の続きです。
次回「タイトル未設定」にも続きます。

人間のコミュニケーション

会話とは、
相手の話す言葉を聞く→内容を理解する→相手に言葉を届ける
これの繰り返しである。
つまり、相手がどう話すかは予定されない。(209頁より)

このことが大前提としてある。

サブテキスト

サブテキストがある台詞・会話・場面は、意図しなくても伝わる場合と意図的に伝える場合がある。

実際にそうとは言葉にしなくても、人は感情や情報を相手に伝えることができます。例えば言葉に伴われた語気や言い方、それに目や表情、体全体が表すものなどをも使って、私たちは会話をしているわけです。俳優は脚本に書かれた(明示されてはいませんが)サブテキストを、演技で相手に伝えるわけですね。

サブテキストは、あなたが本当に心の中でそう思っていてくれれば、その台詞にはきちんと言外の意味が備わります。人間とはそうしたものなのですね。

163から164頁

台詞を言う役者がサブテキストを意識して演技することで、心の中で思っていることは伝わる。

俳優とは言葉を扱う人です。いい使い手になる努力が必要なのだと思います。

169頁

自分が受ける台詞にどんなサブテキストがあるかということまで脚本に向かう段階で行う。演技する段階になったら、相手の台詞はそれに含まれるニュアンスもよく聞くこと。
言葉に含まれるニュアンスまでもを理解して話すことが人間のコミュニケーションである。

芸術作品にはメリハリがあるもの。
上の内容を実践して演技すると、芝居の中にさまざまな顔や表情が表れる。顔つきや表情が面白く変化するからずっと見ていたくなる。会話の中に感情が溢れているのがお芝居である。

それぞれの台詞をどう言ってほしいかは脚本に書かれていない。しかし、演じるにあたっては、自分でト書きを表に出して明確にしまわないといけない。これは1人1人が読み取るもので、正解はない。人によって違うから面白い。でも、始めの「私はここはこうだと感じる、思う」には、”私”がどういう人間なのかが表れる。

全ての一行一行のあやふやな箇所をなくすまで、読み込んで、読み解いてみる。すると隠された言葉が見つかります。いい脚本だと、なんて素晴らしいことが省略されているのだろうかと感動があるはずです。そこに俳優として脚本を読む喜びのほとんどがあると言っても過言ではないでしょう。

183頁

台詞を覚えて、いざ本番。

抑揚をつけないで。棒読みで。

抑揚をつけて覚えることがなぜダメなのかというと、その言い方にはすでにあなたが決めた感情が込められているので、相手がどう演じようと関係なく、そこで持つべき感情が先に決まってしまうからです。わかりますか? 相手があなたにどういう気持ちで台詞を言うのかは、実際に一緒に演技してみないとわからないことですね。だから、相手の台詞を実際に聞く瞬間までは、自分の感情を開放して受け入れられる状態にしておき、聞いた瞬間に生じたあなたの感情で次の台詞を言うのです。

芝居は今起こっているのです。今のあなたの感情がどう動いたかで、台詞を言うときの感情は変わるはずなのです。

192頁

しかし、最終的にどんな感情になるのかは台本(現場での呼び方に変わりました。)によって定められている。だから、頭で予定していることと今の感情の動きを同時に行わなければならない。これはつまり、考えることと感じることを同時に行う、という鴻上尚史さんの表現の言い換えだな。

事前に一生懸命に考え、この場面でおれはこういう演技をこの動きでやろうと決め込んできて、その通りに演じてしまう人がいます。気がついてほしいのですが、実はこれは毎回自分の演技プランを相手に押しつけることになってしまいます。

201頁

観客は役の人物を見に来ているのであって、自分や自分の演技を見に来ているわけではない。役の人物を通して、脚本が作り出す世界を味わいたい。
人間は未来が見えない。だからその場で起こった相手との関係に身を委ねる。そのシーンで持つべき「核心」だけを持って相手の前に飛び出し、そこで生まれた感情で演技すること。常に役者が持っている感情が意図より前に出なければならない。そうするために、段取り・言い方・行為などの演技プランは捨てる。
逆に演技プランを持ったままだと、自分の感情が本番で動かなくなってしまう。

――ピアノで言うなら、ある程度は楽譜通りで決められているし自分なりに方向性を決めておくが、本番のピアノや自分のテンションで多少なりとも変わるし、全く同じ演奏は二度とできない。ただ、型がガチガチに決まっていたりすると自分でいじれる部分が少ないので、ロマン派以降くらいの自由に弾ける曲がいいかな、と思う。代表的かつ私が好きなのはショパン。演奏者によって全然違うものになる、そういうもん。こんな感じ……伝わるかなぁ?

プロで上手と言われている俳優は、用意したものを捨てるという課題にどう向き合うのかというと、「核心」と「ある程度の演技プラン」だけを持ってきて、あとは現場や監督(舞台なら演出家)から、そして相手から受け取ったもので演じる俳優がほとんどだと思いますだそうです。へぇ!!

また、お芝居は「あなたの感情で~」と説明されているように、自分の感情を使うものである。よって本来の自分を解放して相手に見せるところから始まる。自分が殻をかぶっている限り、お芝居は成立しない。

あなたが日頃目にしているドラマの演技の中でも、俳優たちは彼らの真実の感情のやりとりを行っているのです。本当のことを行っているから、感動するんです。歌手も同じですね。歌の内容はその歌い手にとって本当のことなのです。

212頁

歌手をもっと広くして音楽家とすれば「音楽の内容はその音楽家にとって本当のことなのです」に変わるな、つまりショパンの曲に感動するのはショパンにとっての本当のことが伝わってくるからということ。幻想ポロネーズが好きなのはそういうこと、的を射た表現です🥲

緊張は誰でもします!
緊張を解く方法として、まず大切なのは腹式呼吸をすること。鴻上さんの発声の本を読んで調べた時のを下に貼っとく。
緊張すると息が浅くなるので、意図的に深く呼吸して落ち着かせよう。
また、緊張するのは不安があるからである。できることはすべてやった状態で本番に臨もう。それでも緊張するのは仕方ない、人間だもの。
監督もスタッフも他の俳優たちもみんな緊張している。そこで最高のものを出し合おうとする緊張感のあるその時が、ものづくりの時間である。

スタッフの立場から。

技術的な話になりますが、この段階で本気が入っていない演技は、あとの本番で変わってしまうのです。それはスタッフが困ります。リハーサルど固めた芝居に合わせて、技術スタッフは準備するのです。

224頁
「この段階」はリハーサルのこと。

これは映画・ドラマに限った話ではない。
「映像メディアのプロになる!」という本で作品(ドラマではないテレビ番組のこと。それらも「作品」なのか、と本気度に感嘆しました。)のスタッフたちについて読みました。その時の記事でチラッと書いた通りちょこっとバイトしてるので、本番でいきなり変わる場面に遭遇したことはないけど困る。カメラマンの後ろがてんやわんやになってる画が頭に浮かぶ。

演技の相手の立場から。
カットバックとは、見つめ合う2人を交互に映す手法のこと。たいていは片方のお芝居を通して撮り、その時の相手は写っているかいないか微妙なところ。相手を撮って自分が写っていない場合の、役ではない自分としての思いやりについて。

そんなとき注意しなければいけないのは、気を抜かず、トータルでお芝居を通したときと同じように台詞をかけてあげることです。相手の芝居を引き出すのです。

225頁

常に1回目である

俳優を含めて映画や演劇などの芸術に携わる人は、目に見えない人間の内部を扱っている。よって…↓

事務的に数値として処理できない感覚を相手にしています。だからこそ、我々はこの初めて行われることに対するビビッドな感覚を、ずっと持ち続ける努力をしなければいけないと思います。
これは俳優にとって、とても大切なことです。1回の本番、次の本番と、そのたびに初めて行われることなのだ、これが1回目なんだという人として演技するしかありません。

206頁

それに、観客からすればその物語の中で起こる出来事は、初めて見るものである。いつでも初めての感覚でいることで、ビビッドな反応ができるし、それで観客は心揺さぶられる。観客は、感情を感じて、心を揺さぶられたい。

観ててしんどいだろうってわかってるのに気になって結局観てしまうのはある種の中毒症ですな。わたくし、心揺さぶられたい中毒症の患者でございます笑笑

ただし、持っている感情(実質)が足りない時、形だけでも盛った方が良いか?
答えは否。
常にその時にそこで生まれた感情で演技すること。持ち得た感情に即した声を出すこと。だからこそ、本番に必要な実質を持ってくること。これは役者の仕事の最も大切なことの1つ。しかし形を要求される場面もあるので、その時は形を見せる。つまり、形を見せることと感情(実質)を持つことの優先順位をつけなければならないということ。

感情を持つ方法

書き方は違っているが、言っていることは魔法の「もし」ですね。
俳優は台本に書かれた通りに動く人形ではない。

これはとても大切な問題を含んでいます。「演技する」とは、実は現場であなたが生きてみて下さいと言われているんですね。そこに存在して、人としてやるべきことをやって下さい、と言われているんです。

218頁

日々の実践方法

①演技漬けになれる環境に身を置く
②考えを文字にする・言葉にする
③作品と自分に徹底的に向き合ってみる
④クセを直す
⑤自分の方法を編む
⑥映画を見る

脚本の読解も同じで、心の中で漠然と思ったことは、実は存在していません。体の外、表に書き出してみて、初めて考えたことになるのです。

映画作りがまさにこのことの連続です。企画やプロットを読んで意見を言う。脚本が上がって、それを読んで感想を言い合う。その繰り返しで決定稿ができ上がって、いざ撮影です。俳優の演技を見て、意見、ダメ出しを言い、編集されたラッシュを見て、「ここがいい」、「ここはこう変えよう」と言う。最後の最後まで、まだ映画になってはいないものを見て、映画にするためには何をどうしたらいいのかを考え、言葉にする作業が続くのです。なので、言葉が鍛えられます。

②について。243頁より

早速ですが考えたことは文字にしなくても脳内に存在します。科学的に言えば、脳の働きは物質が神経細胞中やシナプスを通って動いています。つまり肉眼では見えなくても実際に物理的なエネルギーが存在します。
※参考図書「『人間とは何か』はすべて脳が教えてくれる」カーヤ=ノーデンゲン
急に脳科学を持ち出すと元研究医志望としての性格が丸出しになりますなァ、事実だからしょうがない。脳はまだわからないことだらけだけど超重要で奥が深くて面白くてヲタクとしては「ここ掘れワンワン」されてる気分なんですよ(一息)
「考えていたこととなんだか違うことを書いているものです」とのことですが、頭の中で固めてから書き始めるとそうでもないと思います。

「あなたは何のために俳優をしたいのですか?」と③で問われますが、いつも言ってるやつ~!細かく書くと延々語ることになるので省略。気になる方は自己紹介を見てください。

⑥については少なくとも映画を年間100本って書いてあります。
映画1本あたり2時間とすると年間200時間。「1万時間の法則」とか言うので、1万を目安とします。10000÷200=50なので、この法則が成り立つとするなら達成するまでに50年かかりますね。映画に限らずドラマを含んでいいなら……私は中学以降の約8年で1万は突破してるというざっっくりした計算結果が出たという衝撃事実に基づくと楽勝説あり。いちいち計算してしまうところ、元ガリ勉の気質が丸出しだ。

役者として生きる情熱はあるか。
表に出さずとも情熱が溢れてしまう人がいるそうですがこれはもう隠しきれないヲタクというやつですね。オタクとしての成長過程で自分なりに論じ始めたりとか色々主張し始める。参考まで実技科目・オタク学を。
冨樫さん、くどいくらい同じ作品を例に出すから、きっとその道のヲタクなんですね!

俳優の魅力とは

魅力的な俳優の魅力の部分は、努力して手に入るものではないと私は思います。いい役者になろうと努力して生きていたら、ある日誰かが「あの俳優さん魅力的だね」と評価してくれているのを聞いたというようなことなのではないでしょうか。そのように、あとで他人から言われるものなのだと思います。つまり、それは努力目標にはなり得ないのです。なぜなら魅力は定義できませんからね。

最終的には人としての人間的魅力が俳優の魅力なのだということだと思います。それはたかだか数ヵ月の努力で身になるものではありませんし、誰かを真似ようとして獲得できるものでもありません。俳優とは人柄を売る商売なのです。あなたがあなた自身として、あなたが俳優として、そして人間としてやるべきことをやり続けるしかないということなのだと思います。その結果そのような人生を歩んだあなたが、あなた自身として、魅力的な俳優になって輝くことになるのだと思います。

236, 239頁

いつかどこかで誰かが魅力的だねって言ってくれるように努力しましょう。それで何か、良いことありますように𓂃 𓈒𓏸◌‬

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