![見出し画像](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/153976661/rectangle_large_type_2_3f3146cad6561276ebe61d4f9136e872.png?width=1200)
文章を書くためのリハビリ
インターネット上にまとまった文章を書くのは非常に久し振りで、noteに登録してから既に1ヶ月弱が経ってから、今さっきになってやっとのことで書き始めた。
もう深夜1時を回っている。私はなにをしているのか。
さて、そもそも文章ってどうやって書いていたっけ? いや待てよ——文章を入力するのはキーボードなのだから、どうやって打っていたっけ? と考える方が正しいのだろうか。まあ、それはどうでも良いことか。
以前は、1日に2万文字くらい平気で書いていたりしたけれど、考えなしに勢いだけで綴った文字たちは、とても気性が荒く、冒頭から指でなぞれば「ああなんて雑なんだろう」と繰り返し繰り返し直すことになった。
まとまり切らずに日の目を見ないまま葬りさった文章が沢山あった。あの頃の若さに頼り切った文体は自身でも嫌いじゃなかったから、振り返ってみると勿体ないなあ、なんて気がする……意外と、そうね、とってもする。
過去の文章はノートパソコンに取ってあった気もするのだけれど、何年も経てば電子機器なんて当然に買い換えることになるし、探したって見付からないし、別に探そうと思ったこともない。もし偶然に見付かったら、少し垣間見たいような気もしないではないけれど、探すまでもないものって、あるよね。
特に、内容を覚えていなくて、あれってどうなっていたっけ、くらいの必要性であれば、そこに労力を割くことに二の足を踏むというか。
あったら良いんだけど、なくてもそんなに困らないって感じ。
これって、何かに似ている。多分、中学時代の卒業アルバムに近い。たまに開いたら面白いけど、別に積極的に読みふけることはしないし。そもそも読み返さなくても困ることはない。その程度の痕跡だ。
ともあれ、だらだらっとした(まさにこんな感じの)文章は、書いていると楽しいし、自分にとっても発見があるし、世の中に迷惑を掛けないような内容だったら人に読んでもらっても構わない。なにより現在の自分においては、日常から離れられる数少ない瞬間の一つなので、とてもリラックスが出来る——という感覚に、今気が付いた。あ、悪くないなと。やっぱり書いてみて良かったなと。
少し話は逸れるけれど、ここ最近のプライベート時間では、インプットの機会は多くて、本を読んだり音楽を聴いたり映画を観たりしている。これらは立派な趣味だろうか? ただ、私は自分の感覚的に、それらを趣味というには難しいのではないか、という感覚があって、本来、私の腑に落ちる趣味っていうのは、もう少しこう、圧倒的に自由度が高いものなのだ。
端的にいえば、受動的ではなく能動的な事柄や経験が伴うものが趣味なのかなと考えている。先述したインプットの内容は受動的なので、あくまで個人的には趣味って感じがしない。例えば、絵を描くとか、音楽制作をするとか、小説を書くとか、自らでかたちになるものを生み出すことが趣味なのかなぁと思う。『趣』という漢字に囚われ過ぎているのかも知れないけどね。この論理だと、日記も立派な趣味になり得るし、書道も素晴らしい趣味だ。どちらも自ずと書を完成させるのだから。
こういうことを書くと「能動的というけれど、貴方がいうそれは特技ではないか?」という疑問を抱く人は当然出てくる。しかし、特技=特殊技能なのだから、それは他者より抜きん出ている能力を下敷きにしたものとなるだろうし、ちょっと趣味とはニュアンスが異なる気がするんだよね。
写実的な似顔絵が上手に描けることは、特殊技能に近い。みんながみんな絵を描くのが好きだからって出来ることじゃない。ただし、肌感覚なので、例えばその能力を持った当人が「これは趣味です」といえば、その人にとっては趣味の領域を出ないのかなとも思う。その能力を持って、何かを為すなら『特技』で、為さないなら『趣味』なんじゃないかな。間違えちゃいけないのは、当事者の自己認識によるという補足付きで。
そういったことだから私は、私が好きだった文章を書くという趣味をなんとなく思い出したし、思い出しつつ、これから定期的に書いていければ良いなぁと感じたわけである。
ここまでリハビリに付き合って頂いてありがとう。
いいなと思ったら応援しよう!
![西條まい](https://assets.st-note.com/production/uploads/images/151703678/profile_68dc5f1eab55e1f5aefe0c51d3a4c36a.png?width=600&crop=1:1,smart)