秋の気温はつるべ落とし。
気がつけば10月下旬。
寒くて嬉しい限りですね!(冬派)
前回の記事から準備を進めつつ、
そこでまた少し歩みを止めていた事を理解。
今年はすごい。
自己理解がこんなに進んだ年はない2023年。
本当に最高の年になってます。
私は幼少期から、
自分の見ているもの、聴いているもの、考えている事が
説明しても他の人に伝わらないことがあまりに多く、
「どうして伝わらないんだろう?どうやったら伝わるんだろう?」
と文章だったり言葉だったりを試行錯誤しながら過ごしていました。
色々な人にアドバイスをもらった結果、
「もっと説明が上手くなれば良いんだよ」
「もっと相手が求めていること、興味のあることやウケることをやれば良いんだよ」
という言葉をもらう事が多かったです。
そしてそれを大真面目に受け取り、
必死でそれに合うように合うようにと繰り返し…
やりたい事があっても、そうやって考え直して考え直して、
何だか無難な感じになる。そして停止。
「これは本当にやりたい事なんだろうか…?こんなに進まないってことは、私はそもそもこれをやりたくないのかな…」
とか無限ループしてました。
今回私がやっていこうと思い立った内容を、
結局まだ誰か(今回は旦那ちゃん)のためにやろうとして思考停止している自分が居ました。
そしてそれは結局、
「自分がやりたいことをやっている時に、
滅多に居ない大好きな人(=旦那ちゃん)が、目の前に居る(=応援してくれる)状態じゃ無いと、悲しい。
私がやりたい事をやると、みんな私の前から消えてしまうんだ」
という、謎の孤独感、寂しさがあったんだと理解しました。
でもそんなことはない。
旦那ちゃんが目の前で自分のやりたい事をやって、めっちゃ楽しそうにしてる時(私にはなんとなくしか分からない)、
私は一緒に遊ぶことはあまり無いけど、ただ楽しそうな旦那ちゃんを見て、いつも嬉しい気持ちになっているし、心から応援している。
そして、
旦那ちゃんにとっても、私が自分のやりたい事をやって楽しそうにしているなら、例えその場に居なくても、きっと嬉しい気持ちになってるし、応援もしてくれているんだと。
私の感覚や考えに「共感」はあまり無いけど「理解」はしてくれて受け止めてくれているんだと。
これが「安心」って事なんだと、
昨夜にじっくり話して理解しました。
私はずっと怖かったんだなーと。
自分がやりたいと思った事が、誰にも理解されず、
自分にとって大切な人が側から居なくなる事が怖かったんだと、理解しました。
一人は全然平気というか一人の時間が無いと死ぬけど、孤独は無理。
ということなんです。
ということで実験会の魅せ方を、最初に考えた方向に戻します。
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