「死」を意識した私が真っ先にやりたいと思ったことは?
2024年、2月某日。
寝室で立って作業をしていたら、突然左手がねじくり返り、視線が上を向き、声を出そうにも出せなかった。
そのまま意識を失うまで、恐らく数秒のことだったと思うが、
“嘘でしょ?また来たよ・・今まで何もなかったのになんで・・”
そう思ったのは今でもはっきり覚えている。
あの時と全く同じ症状で、忘れられるわけがなかった。
一度目の発作
20年前の春、1年間の自宅浪人の末、私は念願の心理学部に入学できた。
その入学したての授業説明会の時、階段型の大きな講堂で大勢の新入生が集まる中、私は人生で初めての痙攣発作(強直間代発作)を起こして意識を失った。
その時の詳細はまた今度書きたいと思う。
結局1ヶ月半の検査入院の末、幸い他の大きな病気が見つからなかったので、生理痛緩和のために飲んでいたピルの副作用で血栓が頭で詰まり、脳出血したことよる後天的なてんかん発作だと結論が下された。
脳出血とてんかん発作
症候性てんかんと言うそうだが、そういう脳の損傷部位の影響で電気信号の異常が出て後天的に発作が出るようになることもあるそうだ。
左半身の運動領域のため直後は左手の握力が20位下がったけど、剣道をやっていたお陰か元々の握力が37kgと女子としては異様な握力だったのであまり問題がなかった。
大学4年生の時も一時的にまた不調になり、一瞬検査入院したけれどそれでも大丈夫だったので、医師の判断で薬も飲まなくて良くなり、それから十数年、発作のことは完全に忘れて普通に生きていた。
原因はたぶん
お酒やタバコ、夜更かしに疲労、ストレスがかかることetc、医者にダメだと言われたことはむしろ率先してやっていた20年だったので、本当に高を括っていた。
タバコに関してはサロンをオープンした年に完全に止めたが、お酒に関しては年々量が増し、仲間内ではいい歳こいてラッパ飲みがトレードマークのようになっていたことをここに暴露する。
三十路を過ぎてからは睡眠不足だと仕事ができなくなったので睡眠だけはたっぷり取るし、去年からまた人を雇うようになり、ここ半年程はスタッフの皆さんもお仕事に慣れてきてかなり楽をさせてもらえるようになっていた。
倒れたその日も1日オフにさせてもらっていた日で全然元気だったので、自分では疲れていないつもりだった。
医者にストレスは?と聞かれて瞬時に思ったのは今ちょうど決算期で溜め込んだ経理作業に鬱々とはしていたのだが、そんなの毎年のことで今更死んでたまるかって話で。
だから原因はたぶん・・・老化だろうなと笑
居合の師匠(75)にも私が昔事故って怪我したり(それも麻痺の影響なのだが)ヘルニアになったりするたびに「もう若くないんだから…」と繰り返し言われ、その度に心の中でモロが吠えながらも「うるさいですよ」と静かに嗜めていたが、今回ばかりはそうですねと言わざるを得ないので黙って聞き流してやった。
てんかんの死亡リスク
しかも今回医者に言われてハッとしたけど、状況的にはめちゃくちゃラッキーで生き延びれたのだ。
脳波の検査をするまでは夜更かし、1人で入浴、極力階段や踏み台に登っての作業、車の運転、登山など疲れても途中で止められない運動全般などは危険だから控えるようにと言われた。
危険というのは、これらの動作中に意識を失うタイプの痙攣発作が起きた場合、最悪の場合死亡するリスクが高いという話だ。
私の場合一度目は椅子に座っていた時で、今回もたまたま寝室だったのでどうにか最後の力で体を捻ってベッドの真ん中にダイブしたので無傷だったのだが、むしろそんな奇跡のような状況が次も起こるとは思えない。
そもそも自分は脳卒中の既往歴がある人として生きていたけれど、自分がてんかん患者であるという自覚が全然なかった。
だからてんかん自体の病識が乏しかったので取り急ぎネットで調べてみたのだが、発作の状況に伴う事故死だけではなく、てんかん患者の突然死の研究が出てきて衝撃を受けた。
幸いなことに、と言っては該当する方に失礼な話だが、10個挙げられていた危険因子のうち私が当てはまったのは一つしかない。
だがSUDEPの原因が特定されておらず避ける手段は薬をちゃんと飲んで危ないことをしないということしかないのであれば、自分にも起こる可能性があると捉えるのは悲観的過ぎはしないだろう。
「死」を意識した私がやりたいこと
流石に先週2回目の救急搬送の直後にこの研究を見つけた時は不安でちょっと泣いた。
でも見た目以上に強いので、どうか心配しないでほしいです。
私は経営者であり自分が作った団体の会長だから、自分が居なくなった後(それは事業売却やリタイアというポジティブな状況も含めて)も事業が継承されていくように準備しなくてはいけないとは前から思っていた。
だから今回の出来事は良いきっかけになったと思っている。
そして私は現役の公認心理師でもある。
特に大学院ではターミナルケアと筆記療法について研究していたので、こんなにおあつらえ向きな被験者はいるだろうかとちょっとワクワクすらしている。
ストレスについて思い当たることは実はもう一つあるのだが、それはこうやって好きな文体で文章を書くことが長年できなかったことだ。
できなかった理由はいくつかあるが、一番大きいのは過干渉でドリームキラーな父親である。
父の知人がわざわざ私の仕事の公式LINEアカウントを登録して、そこで告知した私のYouTubeの内容を父に面白がって伝えたそうで、父と電話で話した時にそれを言われ、一生懸命作った動画達の内容を茶化すようにバカにしてきた。
それ以来その公式LINEのアカウントで発信することは気持ち悪くなってできなくなったし、動画もしばらくの間更新ができなくなった(立派な業務妨害だと思う)。
その件で父とはもう2年以上会っていないが、ちなみに母や弟とはその前に色々あって連絡を取らなくなって6年目である。
ころっと死ぬ可能性が人より高いと思ったら、なんだか全てがどうでも良くなって、溜め込んだその膿の様な記憶を全部書き出してから死にたいなと思った。
※とは言え私は家族達が私と関わりのない所で幸せに生きてくれるのを心から願っているので、事実以上に本人達を煽るようなことを書くつもりはないし、センシティブ過ぎると感じた内容は限定公開にする予定です。
私は面白い小説は書ける気がしない。
でも自分の半生は、小説より何倍も波瀾万丈で面白い自信がある。
同じように苦しみながら生きている人へ、乗り越える手助けになれたら良いなと思う。
そう思ってnoteを始めることにしたので、興味を持ってくれた方はフォローしてくれたら嬉しいです。